読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

乙川優三郎「生きる」

2007-10-27 12:49:52 | 本の感想
 例のあのナントカバーガー  

 私は2ちゃんねるはときどきしか見ない。聞き逃したニュースや詳しい内容、人の感想なんかを知りたいときにニュース速報板をざっと見るのだが、最近は目当ての情報を探すの大変で、しかも大したことは載ってないような気がしてあんまり見なくなった。インターネットには、新聞やテレビでは報じられないようなニュースが大量に、時々刻々と流れているけども、ほとんどは私には関係のない情報だ。しかも、本当に私が必要としているような情報は、おいそれと目には触れないところに潜ってしまっているようなのだ。ネットの世界でも分断化、二極化ですか。
 
 確か去年の10月ごろから2ちゃんねるで「○○毛バーガー」という言葉が何の脈絡もなくポイポイと出てくるのが目について、何のことやらと思っていたが、どうも気になるので検索してみて仰天した。なんてこった!そうか、朝日新聞で稲葉振一郎氏がなんか奥歯にものの挟まったような書き方で、ミクシィの株価急落につながった情報漏洩事件と書いていたのはこのことだったのか。
 もちろん、恋人のあられもない写真をパソコンに入れておいた男はアホです。そんな写真を撮らせた彼女も慎みがない。けども、その身元をほじくりかえしてはやし立てる人たちときたら、情けなくってもう涙が出そうだ。ましてや、ネット上のこんなかわいそうな事件を活字にして書き立てる週刊誌ってなによ!写真まで載せて!
 まったく人ごとではない。私だって個人情報からパソコンの中身まで漏れ漏れで過去の経歴からじーさんの職業まで調べられ(あるいは情報提供されて)、なんのかんのといいように言われまくってるもんな。ケツ毛ならぬ足の指毛だって見られてる。
 この事件を知って、あまりのかわいそうさにがっくりし、身につまされて1週間ほど気もそぞろだった。
 「ねえねえ、自分の絶対知られたくないような個人情報がネット上に流れてしまったらどうする?たとえば、ちんちん丸出し写真とか、おバカなメールとか・・・」と、家族に問いかけてみたが、もちろん例によって眉を顰めて無視される。どこかのサイトにアップされていれば削除してもらうことも可能だろうが、最近はファイル交換で無数に増殖しているだろうから実質回収は不可能だろう。ましてやどこかの閉鎖的ネットワークの中で情報がやりとりされているとしたら、「ある」ということさえ感知できはしない。いったん流出した情報はもはや回収することはできない。では、あの、ロリコン画像の収集がバレてしまった小学校教師のように死ぬしかないのか。

 自分は絶対大丈夫と言える人がいるだろうか。自分は何も悪いことはしていないし、やましいこともないし、インターネットもやってないという人でも、たとえば自宅に盗聴器を仕掛けられ、おならやうんこの回数まで勘定して公表している奴がいないとも限らない。そんな時代なんだ。

 やり場のない憤りでだんだん憔悴してきたが、どん底まで行って持ち直した。
 あの、丸出しヌードの彼女も、ものは考えようだ。かわいいし、肌もきれいだし、なかなかキュートな体ではないか。ここは、ひとつ「無料ヘアヌード写真集」を発売したと考えて、堂々としていればいいと思う。決して恥じるような体ではない。毛が生えていてどこが悪い!ニヤニヤしながらからかうような奴は、その程度の品性の持ち主であると判断して睨みつけてやろう。そして、夜になったら蝋燭を灯して恨み事を言うのだ。あんな品性下劣な週刊誌はすぐにつぶれてしまうよ。きっと。

 乙川優三郎「生きる」
 
 もやもやした気持ちでいたときに、無性に時代小説が読みたくなってきて、図書館で手に取ったのが乙川優三郎だった。知らなかったが、「生きる」は2002年の直木賞受賞作品だ。
 いつも時代小説を読むたびに思うのだが、江戸期の武家社会というのは、私などの想像を絶する窮屈なものだったのだなあ。規範と倫理と義理としがらみでがんじがらめだ。主人公の又右衛門は、主君逝去の折りに追腹を切らなかったというので家中から臆病者とののしられ、口をきくものもいない。実は「このような悪習をなくしたい」と家老に説得され、念書を書かされたのだ。しかし、そのことも口外を許されていないため言い訳すらできない。人から後ろ指をさされ、爪弾きにされてだんだんやせ衰えてくる。これならばいっそ死んでしまった方が楽であるとすら思うようになる。しかし又右衛門は生き続ける。だれに恥じることもないのだから、生き続けようと決心する。ああ、武士っていうのはなんてつらいんだろう。戦場で華々しく討ち死にするよりも、主君に殉じて死ぬよりも、仇討だのして切腹するよりも、人に謗られながら生き続ける方がずっとつらい。そのつらさに耐えて生きることにより人間が磨かれてくるのだろうな。
 又右衛門の晩年は穏やかだ。この小説に勇気づけられ、少し気分が晴れた。