読書と追憶

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5日のNHKテレビ番組より

2008-01-06 23:42:21 | テレビ番組
 引き続き、33か国共同制作“民主主義”~世界10人の監督が描く10の疑問~から「パキスタン“大統領との晩餐”」の感想。

 先日より太田述正氏のブログで「ブット女史暗殺」をめぐるパキスタン情勢の分析がされていて、今まで私が漠然と抱いていた「ムシャラフ大統領=軍事独裁」「ブット氏=親米、民主主義」という先入観が覆される思いであったが、このNHK BS特集番組を見てさらにその固定概念が大きく変わってきた。
 このドキュメンタリーを制作した人たちはパキスタンの最先端の知識人階級であることは間違いないが、それでもかなり公平に多くの人の意見を聞いて回っているという印象を受けた。番組の冒頭、女性の権利と地位の向上を訴えるデモが出てくる。彼女たちはイスラム宗教指導者と過激派たちが封建的な価値観を押し付け、女性の自由と権利を侵害していると抗議している。監督が「では、あなた方はムシャラフ大統領を支持するの?」と聞くと「とんでもない!彼はクーデターで政権を取った。軍事独裁者だ」と言う。それは私が今までムシャラフ大統領に抱いていた印象でもあるし、日本の多くの人が抱いているイメージであると思われる。本当にそうなのか?番組はまずそこから出発する。

 ムシャラフ大統領は1999年10月12日、無血クーデターによってパキスタンの国家元首になった。ウィキペディアには書いてないが、番組では、シャリーフ大統領がイスラム教を国教とする法案を議会に提出したためそれに反対したのだと解説していた。歴代首相はイスラム過激派勢力を取り込んで政権を自分の有利なように動かそうとしていたらしい。ムシャラフ氏はそれに反対した。外遊中のムシャラフ氏が急きょ帰国しようとしたところ、シャリーフ首相は空港を閉鎖した。軍部はムシャラフ氏に同調、空港を奪還して危機一髪、飛行機が地上に降り立ったのだそうだ。まるで映画にでも出てきそうじゃないか。

 ムシャラフ大統領は正常に機能していなかった議会が機能するようテコ入れしたと監督は言う。ほんとか?「この国では、選挙で選ばれた政治家が独裁者のようにふるまい、軍人たちが民主主義を実現しようと努力している」のだそうだ。今まで外から見ていたのとまるっきり正反対じゃないか。監督たちはムシャラフ政権成立当初からずっと彼をどう評価するかを討議してきたという。「彼は本当に民主主義の擁護者なのか、軍服を着たままでも民主主義は実現できるのか」
 街へ出て、いろんな人にインタビューもしていた。これが非常におもしろかった。映画館では看板に描かれた上映中の映画のヒロインの顔が黒く塗りつぶされていた。「何で?」と監督が聞くと「彼女はテロリストだから」と青年たちが笑う。違うのだ。彼女は映画の中で肌も露わなきわどい衣装で踊っていたからだ。青年たちはイスラム原理主義者たちにシンパシーを感じているらしい。塗ったのは映画館に勤めているという青年だ。このアホタレが!イスラム原理主義が政権を取ったら映画館は閉鎖されてお前は失業だ!
 同様に、ムスリム政党に投票に来たという田舎のおじさんたちもわかっていなかった。「車の中で音楽を聞いてきたでしょ。イスラム原理主義者が政権を取れば、映画も音楽もラジオも、みんな禁止されるんですよ。」と監督が言うと、「あー、テープを取り上げられても別なのがあるし・・・」なんて、自分の行動がどういう結果を引き起こすか、まるきり考えてないみたいなんだ。昔風の聖職者と部族会議ですべてが決まるみたいな状態に逆戻りしたいなんて誰も思っちゃいないようだ。「私みたいな女性をどう思う?」と監督が聞くと「女は家を守っているべきだ」みたいに言うが、一方でちらっと本音が出る。「うらやましいと思うよ、教育を受けて成功した人は。でも子どもを学校にやるにはお金がかかる。俺にはとても払えないんだ。」
 海岸でロック音楽をかけて踊り狂っていたヤンキー風の若者にインタビューすると、彼らはみなムシャラフ政権を支持していた。でも「私たちは恵まれているけど、この国には貧しい人が多すぎる。今に貧しい人たちの革命が起こると思うわ。」と言ったりする。だんだんわかってきた。イスラム政党を支持しているのは農村部の保守層と貧困層なのだ。「グローバル化で大儲けするやつがいるのに俺たちはますます貧しくなっていく。あいつらゆるせん!」という不満が宗教原理主義に向かっているのだ。一方、都市部の中流階級や若者、リベラルな知識人階級は、封建的な制度や厳格な宗教戒律を嫌ってムシャラフ氏を支持している。ブティックの女性オーナーは「ムシャラフ大統領が独裁者になっても構わないわ。イスラム原理主義者を排除してほしい」と言っていた。ムシャラフ大統領はリベラル派からは「弱腰」と非難され、イスラム過激派からは「アメリカ寄り」と非難されているのだ。

 監督たちは大統領に取材し、晩餐をともにしながら「民主主義についてどう考えているのか」を聞いた。
 「この国で民主主義が機能しないのは、この国が封建的な農業社会で、未だにその色彩が強いからです。部族の長老や地域のボスが牛耳っており、一般の人たちが意見を言って物事を決めるということをしてこなかった。さらに、元々軍に対する依存が強く、何かあれば軍がなんとかしてくれるとみな思っている。女性の地位も低い。このような状況を変えるにはまず、民衆に力を与えなくてはいけない。教育を受けさせ、大衆の権力を増さなくてはならない。民主主義とは民意の反映です。国民の3分の2が賛成すればそれが決まり、裁判所で下された決定が正しい判決とならなくてはならない」とムシャラフ大統領は言う。なんてまともな言葉だろう。感動的じゃないか。聞いたところではこの人はかなり頭のいい人で、言っていることもすごくクリアーだ。「その原因は第一に、・・・第二に、・・・」みたいに子どもでもわかるようなしゃべり方で、これってどこかの学者みたいな・・・。
 テロとの戦いについて。「そもそもの発端は、1979年のソ連のアフガニスタン侵攻に始まる。パキスタンはアフガニスタンの反共勢力と手を結んでソ連と戦った。当時アフガニスタンで戦ったのは、我々パキスタン軍とアフガニスタンのムジャヒディーン、パキスタン国内で教育を受けたタリバーン(神学校生)、外国から来た傭兵、その他の民族主義者たち。彼らがソ連撤退後、パキスタンに入ってきた。9.11以後、パキスタンはアメリカと共にテロとの戦いをしている。少しでも軍事的圧力を弱めれば、パキスタンはたちまち混乱状態に陥るだろう。」
 なるほど言っていることはクリアーで、難しい状況をよく乗り切ってきたと思った。

 監督はアフガニスタンにも行って部族の長老会議にも同席させてもらって人々の意見を聞いたのだけど、やっぱりパキスタンの保守的な人たちと同じような非論理的なことを言うのだ。「イスラム教にもたくさんの派閥がありますが、どの教えにしたがうのですか?」「イスラム教は一つだ。コーランの教えに従うのだ」「コーランの教えも人の施した解釈によってさまざまな読まれ方をします。」「我々のコーランの教えは1種類だ」「たとえばアフガニスタンでは女性はスカーフを被ることになっていますが、私は被っていません。私はムスリムではないのですか?」「女性はスカーフを被れとコーランに書いてある」「いいえ、私はコーランの原典も読みましたがそんなことは一言も書いてありません。」「いや、書いてある」彼らは憤然として席を立ち、「部族会なんて時代遅れだ!」と言っていた人が「ほら、あんな具合で彼らは変化を受け入れないんだ」と皮肉を言う。私はおじいさんたちの石頭にも驚いたが、一方でそれを批判する人たちがいるということにも驚いた。「反対しようと思っても誰もできやしない」と言っていたが、反対してるじゃないの。なんか自分たちが世界の中心だと思い込んでるようなところが田舎っぽくてアフガニスタンらしいかった。

 やっぱりパキスタンにしてもアフガニスタンにしても、もはや宗教が社会システムのすべてを支配するみたいな状況には戻れないと思う。すべての階層が幸福に暮らしていくためには、性急な西洋化ではなく宗教を尊重しながらも民主主義的な政治システムを徐々に作っていかなくてはならないと思った。言うのは簡単だけど利害調整がすごくむずかしいだろうなあ。で、ムシャラフ大統領は明確なビジョンをもっているみたいだし、ニュースでは独裁者みたいに言われているけどそれほど悪い人じゃないんじゃないかなあ。


 ブット女史暗殺をどう解釈するのか困惑していたが、1月3日の朝日新聞「私の視点」を読んで目からうろこが落ちる思いがした。パキスタン出身の歴史家・作家であるタリク・アリ氏が寄稿していた「パキスタン 戦略的視点だけで見るな」という文章だ。書き写しておこう。

 ベナジル・ブット氏の暗殺は許し難い。だが、彼女がパキスタンとその民主主義の救世主になりえたとはとても思えない。
 2回目に首相の座に就いたとき、彼女と夫の腐敗は最悪だった。パキスタンがアフガニスタンに介入し、タリバーン政権樹立に動いたのも彼女が首相の時だ。
 その彼女の遺志で、夫と19歳の息子がパキスタン人民党(PPP)を率いるという。政党の私物化。中世の封建制でもあるまいし、グロテスクとしか言いようがない。そんな政党を欧米は改革志向で近代的で民主的だと言ってきた。
 パキスタンは60年前の建国の際、イスラムを統合の核にしようとしたが、それだけでは近代国民国家のアイデンティティーにはなりえない。人権などの価値観の樹立が必要だ。結局、国家はできても人々を統合して国民を形成することができないまま、1971年にバングラデシュが分離独立することにもなった。
 この国のエリートは一貫して盲目的に米国に依存し続けた。冷戦期にはソ連への対抗策からイスラム過激派を支援し、今はそれと戦う米国を手伝う有様だ。
 パキスタンは近代的国民国家になり損ない、自律にも失敗しているのだ。
(中略)
 ブット氏が今回、帰国したのは、米国がどうしても非軍人の政治家を必要としたからだ。彼女の問題を覆い隠して政界に復帰させた。しかし、人々は彼女がブッシュ米大統領の手駒だと感じていた。パキスタンでは過激派自体は少数だが、大半の人々はイラクやアフガニスタンの米国の対外政策に反発している。
 もう一人の野党指導者、シャリフ前首相はもともとビジネスでサウジアラビアとつながりが深い。だがサウジは巨額の資金でイスラムの過激な宗派ワッハーブはの宗教者を送り込み、時のパキスタン政府の指示を得て体制内の一部をワッハーブ化した国だ。
 軍政と、さらにまして嘆かわしい政党。それがパキスタンの悲しい政治状況だ。早晩、選挙は行われよう。それは恥部を隠すイチジクの葉にすぎないが、米国は正統政府ができたと認めるだろう。米国は対外政策で同調しない政府ができるのがいやなのだ。
 現状から抜け出すのに本当に必要なのは社会改革だ。腐敗したエリートたちが着服したカネを、まずそちらに回さなければならない。
 貧しい人たちがまず望むのは子供たちへのちゃんとした教育だ。それがあれば過激派に取り込まれることもなかろう。それに基本的な医療制度。電気、水道も届かない地域はまだ多い。
 米国をはじめ国際社会はパキスタンを戦略的視点からばかり見る。それが悲劇を招いている。

 テロは非道だけどブットさん死んでよかったじゃん(不謹慎ですが)。でも、すっごく大変そう。

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