「スピリチュアルなものと護憲との結びつき」に対する批判つづき。
うーん、きびしい。
で、ここまで書いたとこでちょっとこれとあれとは違ってる気がしてきた。「イカの哲学」は憲法九条に全体性を投射してるっていうより、地球全体を「ガイア」という一つの生命体と捉えてそこに志向している。って平和憲法を地球規模に広げようってとこはおんなじか。それで私なんかは、唯でさえ地球温暖化対策の国際会議で削減目標や地域格差でもめにもめてるのに「ガイアなんて無理無理」、って思う。それに今度は人間だけじゃなくって動植物の生存権も絡むわけだから、シーシェパードのような過激な環境保護団体がいっぱい出てきて、開発反対とか資源の搾取反対とかって闘争を始めそうで嫌だな。中沢新一氏みたいな俗世を超越してる人ばかりじゃないからかえって紛争のネタが増えて、今だって世界中で悲惨な民族紛争や利権争いが起こってるのにそれが「ガイア」くらいで収まるはずがない。波多野氏がそういう発想になったのはシベリア抑留でソ連の思想教育を受けたからじゃないかな。もちろん絶対に共産党員にはならないと突っぱねたと書かれているけど、これって全体主義的な発想じゃないか?「天皇」とか「社会主義思想」とかに殉じるのは嫌だけど地球のためだったら死んでもいいって思ったのじゃないかな。
とはいえ、私は中沢新一氏のファンだから中沢氏が言うのならそうなんだろうと思っちゃうんで、これはこれで大事にしまっておこう。
それから田口ランディさんもそうだけど、宮台は改憲派で、民主党の小沢一郎の言ってる「国連の枠組みの中で紛争解決など国際貢献をするために海外派遣」という方向で改憲をするのに賛成している。というのはこのままいくと、ずるずるとどこまでもアメリカの世界戦略に引きずられるかわからないという心配があるからで、だから決して「日米同盟強化」のための憲法改正ではないのだ。今の自民党が目指しているのはアメリカの傘の下での改憲であるから安部政権が改憲を言い出したときは反対のスタンスをとったということを言っている。ここらへん参照。(2007年11月09日の日記)だから憲法改正を実現するには左翼平和運動家の前にまず「日米同盟堅持」の保守と対決して倒さないといけない。そのための政権交代。だけどまず難しいんじゃないかな。イラク戦争のつけがどっと来てアメリカが極度に衰退するとか、日本も費用負担しろって言われて大不況になるとか、新自由主義の蔓延で貧困層が世界的に増大して世界革命が起こるとか、そんな状況にでもならなければ。
宮台 「九条みたいな世俗の対象に全体性を投射してどうするんだ、おまえ」っていうツッコミは重要です。でも「じゃあ僕たちの超越的志向の妥当な受け皿って何なんだ」と、やはり僕みたいな超越系の人間は考える。精神科を受診する「心理学化した人々」もいるかもしれないけど、僕みたいな領域で仕事をする連中は社会政策的解決を志向します。社会のこういうボタンを押せば歩留り八割―周囲に迷惑をかけずに超越系の八割が満足してもらえるんじゃないか―みたいに考える。ガバナンス志向ですね。その意味で「批判よりも安堵」だと思っています。
ドイツの人々に比べると、日本の人々は自分たちが何を感じ考えてきたのかという歴史に無自覚です。過去の失敗について反省が甘いから同じ失敗を繰り返す。ボン基本法と日本国憲法の国民的な扱いを見れば差は歴然としています。たとえばフランクフルト学派の反省がすごい。旧枢軸国にありがちな超越的志向。これをダメというだけじゃ始まらない。全体性への志向を持ってしまった超越系の人はどうしたらいいか。危険な全体性の比較的安全な代替物が必要です。代替物として、アドルノならば「美学」を、ハーバーマスならば「理想的コミュニケーション状況」を持ち出します。
アドルノは「美学」に反するものとして近代に懐疑的で、ハーバーマスは「理想的状況」を実現するためのゲームのプラットフォームとして近代に肯定的です。そうした違いがあっても問題意識は共通で、近代において「美学」や「理想的状況」が不可能であることも先取りされている。不可能性を踏まえるという意味で、後期ロマン派に回帰しています。日本ではそうした問いがありましたか。皆無です。だから憲法九条のような具体物が崇高なものとして立ち現れるのです。後期ロマン派と区別がつかない。
うーん、きびしい。
で、ここまで書いたとこでちょっとこれとあれとは違ってる気がしてきた。「イカの哲学」は憲法九条に全体性を投射してるっていうより、地球全体を「ガイア」という一つの生命体と捉えてそこに志向している。って平和憲法を地球規模に広げようってとこはおんなじか。それで私なんかは、唯でさえ地球温暖化対策の国際会議で削減目標や地域格差でもめにもめてるのに「ガイアなんて無理無理」、って思う。それに今度は人間だけじゃなくって動植物の生存権も絡むわけだから、シーシェパードのような過激な環境保護団体がいっぱい出てきて、開発反対とか資源の搾取反対とかって闘争を始めそうで嫌だな。中沢新一氏みたいな俗世を超越してる人ばかりじゃないからかえって紛争のネタが増えて、今だって世界中で悲惨な民族紛争や利権争いが起こってるのにそれが「ガイア」くらいで収まるはずがない。波多野氏がそういう発想になったのはシベリア抑留でソ連の思想教育を受けたからじゃないかな。もちろん絶対に共産党員にはならないと突っぱねたと書かれているけど、これって全体主義的な発想じゃないか?「天皇」とか「社会主義思想」とかに殉じるのは嫌だけど地球のためだったら死んでもいいって思ったのじゃないかな。
とはいえ、私は中沢新一氏のファンだから中沢氏が言うのならそうなんだろうと思っちゃうんで、これはこれで大事にしまっておこう。
それから田口ランディさんもそうだけど、宮台は改憲派で、民主党の小沢一郎の言ってる「国連の枠組みの中で紛争解決など国際貢献をするために海外派遣」という方向で改憲をするのに賛成している。というのはこのままいくと、ずるずるとどこまでもアメリカの世界戦略に引きずられるかわからないという心配があるからで、だから決して「日米同盟強化」のための憲法改正ではないのだ。今の自民党が目指しているのはアメリカの傘の下での改憲であるから安部政権が改憲を言い出したときは反対のスタンスをとったということを言っている。ここらへん参照。(2007年11月09日の日記)だから憲法改正を実現するには左翼平和運動家の前にまず「日米同盟堅持」の保守と対決して倒さないといけない。そのための政権交代。だけどまず難しいんじゃないかな。イラク戦争のつけがどっと来てアメリカが極度に衰退するとか、日本も費用負担しろって言われて大不況になるとか、新自由主義の蔓延で貧困層が世界的に増大して世界革命が起こるとか、そんな状況にでもならなければ。