読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

訂正その他

2008-03-12 15:31:26 | Weblog
1. 今朝、何気なく「週刊しゃかぽん」49号を読んでいたら、スターリン時代のエピソードが載っていたのでさっそく「新世界より」の記事を訂正
 GO!GO!バビィ!「空気が読めないとヤバイ?」「みんなが空気ばかり読んでいるとヤバイ社会になる!」で、独裁者の例としてヒトラー、金正日、フセイン、スターリンをとりあげてある。
 「スターリンは、反対派はもとより、忠実な部下や一般の民衆まで、数百万もの人を処刑。密告者が町のいたるところにいて「罪」をでっち上げていきました。ある集会でスターリンをたたえる拍手を人々が始めたとき、拍手がいつまでも鳴りやみませんでした。先に拍手をやめるとまわりから忠誠心を疑われるので、だれも自分からやめることができなかったのです。結局、10分以上も拍手が続いたといいます。」そーか、10分だったのか。出典はソルジェニーツィン「収容所群島1」(「とりにくまみれ」さんから)

 「収容所群島」(新潮文庫)を引っ張り出して読んだら、あらためてスターリン時代の粛清のすさまじさにたじろいだ。単に反体制的な思想を持っていたということではないのだ。職業や人種、宗教、ちょっとしたミス、気づかない違反、濡れ衣、密告・・・、収容所送りになってしまった人たちの罪状の理不尽さが延々と具体的に書き連ねてある。こんな一挙手一投足が危険にさらされているような社会では、私などはとても生きていけない。また収容所の生活の過酷さ。どこに書いてあるか見つけられなかったがこんなエピソードを思い出す。収容所は真冬にも隙間風が吹き込むような建物で食事は通常わずかな黒パンと塩漬けのニシン。ある科学者が計算してみて、ニシンを食べてはいけないという。二シンによって得られるカロリーより、塩辛いので雪を食べて失われる熱量の方が大きいというのだ。でもあまりにも空腹だから食べてしまう。それで命を落としてしまうのだ。私は収容所で生き残ることができるだろうかとずっと考えながらこの本を読んでいたが、「きっとだめだな」と思った。
 この本を初めて読んだとき、スターリン時代の独裁体制にはらわたが煮えくりかえるような怒りをおぼえたが、それと同時に、ソ連の経済がうまくいかなかったのも当然だと思った。国民の中でも最も有能で良心的で技術や知識を持っている人たちを無実の罪で数百万も殺してしまったのだから。
 収容所内でうまく生き延びるタイプの人の分析もあったが、それは世俗の地位や教養などとはほとんど関係がなく、このような極限状況においては人間の本性がむき出になるということが興味深かった。


 私の持っている本は現在絶版になっている新潮文庫だが、最近別の出版社から単行本が出たらしい。「収容所群島」を読んだ年の暮れのことだが、夫が年賀状に「家族の愛読書」を書くというので「一番はこれ」と出してくると即、却下された。二番目を言えというのでスティーブン=キングか何かを答えたらそれも却下だった。読書傾向が偏向しているという。「じゃあ、書いてもらわなくてもいいから」と答えると「ダメだ。家族みんなの読書が今年の年賀状のテーマだから」と言い張る。結局何を書いたのだったか忘れてしまったが、あのとき何と答えればよかったのだろうか。きっとほのぼの系にしておけばよかったのだろう。今だったら「ねこ鍋」とかね。やっぱり空気読むって大切だね。命にかかわるじゃん。と、「収容所群島」を再読しながら思ったのであった。


2、 昨夜のNHK「爆笑問題のニッポンの教養」「話せばわかったか ~REMIX 2~」を見ながら「わかってねーじゃん!」と思った。うーん、一見話が噛み合ってるように見えて実は全然別のことを念頭に置いているような会話。私は昔、田中克彦「ことばと国家」(岩波新書)を読んだときの衝撃をよく憶えている。冒頭で、アルフォンス・ドーデ「最後の授業」に出てくる感動の場面が一転、国粋主義的プロパガンダの押し付けであったことが暴かれているのだ。言葉は人々の文化や日常の生活、思想に根ざしているもので、言葉がなくなるということはその背後にあった実体も忘れ去られてしまうということだ。してみると政治的な思惑によって言葉を勝手に変えたり奪ったり、あるいは押し付けたりすることの罪深さもよくわかる。田中先生というのはこのような名著を書かれた方で、「巨乳」を例に挙げたからといって決して「女の子が好きな人」ではありません!(別に怒ってないけど)
 この番組を見て、「おっ、この人の本を読んでみよう」という気になった人がいただろうかな。どうも、「知ってる人はわかるけど、知らない人はわからない」の二極分解のままじゃないかなあという気もした。
 伊勢崎さんの「我々が信じている正義や良識はぜい弱だ。」という言葉が「国家の崩壊」を読んでる途中なので胸に響いた。どうすれば生き延びることができるのか、別々のアプローチでもいいからみんな考えなきゃいけないなあと思った。