読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

佐々木譲「うたう警官」

2008-03-04 22:28:34 | 本の感想
 ちょっと硬い本を読み始めるとすぐに嫌気がさして読みやすい本に逃避してしまう。「うたう警官」(角川春樹事務所)「警官の血」でハマった佐々木譲の警察小説。「うたう」は内部告発することのようだ。

 美人婦警が殺された。道警本部は元恋人である刑事の津久井のしわざと断定し、指名手配。危険であるため射殺も許可すると通達を出した。しかし、この津久井は実は道警本部の裏金問題で道議会の証人喚問を翌日にひかえていた・・・・。そう、この小説は警察の裏金問題を背景に組織の腐敗と隠ぺい体質をえぐったものであった。

 「札幌には、定年したあとに競走馬を買った署長がいたな。どこかの署長は、歴代、定年後は必ず札幌に御殿みたいなうちを建てている。いくらなんでもひどすぎないかという話は、方々で出ていた。警察庁に戻ったとき、こっちで作った女に銀座で店をやらせたのは誰だった?」


 ああ、私は勘違いしていた。裏金を作ったのは表立って支出できない使途(情報提供者への謝礼など)に使われていたのだと思っていた。そうではないのだ。情報提供者に支払ったと見せかけて、プールし、管理職のふところに入っていたのだ。そして十分な活動費が支払われないため刑事が自腹を切って捜査をすることになり、借金をこさえて麻薬の横流しをしたりするようになるのだ。(この小説の話だけど)。ここらへんは「警官の血」とあわせて読むとよくわかる。
 刑事課であれ、生活安全課であれ、所轄署のベテラン捜査員たちは、長い年月をかけて管轄地域にひそかにそのエス(情報提供者)を育てる。何か事件が起こり、警察官には見えない社会の情報が欲しいとき、エスが役に立つ。刑事たちは、自分のエスにときおり取り締まりの情報などを教えて借りを返す。本来ならエスとの関係維持のために捜査協力費が支出されることになっているが、それは建前だ。捜査協力費は、副署長以下が管理する裏金の原資となる。刑事たちは架空の協力者の領収書を作って会計課に渡すが、金が下りてくることはない。そのため、エスを維持する費用の捻出に、無理をする警察官も出てくる。郡司警部は、その典型だった。彼は、拳銃摘発の実績を上げるために、覚醒剤の密売買にまで手を染めて金を作っていたのだ。

 ひどい、ひどすぎる。そして、この小説では本部のキャリア組が郡司警部に罪をすべて被せてうやむやに終着させようとしていたのに、部下であった津久井刑事が議会で証言することになったのであわててそれを阻止しようとしているのだ。

「おまえさんは、津久井が証言することをどう思う?うたうことだと思うか?道警の警官としてもってのほかのことか?許せないか?」
 テストされているようだ。新宮は言葉を選びながら答えた。
「この二年間、あの郡司警部事件以来、組織は変わるべきだと思うようになりました。裏金を作り、報償費の不正流用問題は、すっきりさせるべきです」
 佐伯が訊いた。
「釧路方面本部長だった原田さんの告発はどう思う?あれは『うたった』ことになるか。それとも、警官としてとるべき正しい態度か」
「正しいことだと思います」
「おれも、そう思う」
 町田が言った。
「現場の警官で原田さんを悪く言う人はいないでしょう」

おお、原田さんとは「太田総理」に出てた人だ。北芝さんもちょっと違ってるぞ。現場の警官は苦労しているのだから裏金くらい許されるっていうんじゃなくて、裏金が作られるために現場にお金がまわってこなくなるのだ。捜査員がピーピーいって借金をしたりしてるのに署長だの本部長だのが愛人に貢いでいてもいいのか?裏金問題っていうのはそういうものだったんだ。そして、多分、警察だけじゃなくて、官公庁や地方の組織でもそのような問題が大なり小なりあったのだろうと思う。やっぱりそこを正してからでなきゃ、信頼もへったくれもあったものじゃない。
 あの時、原田さんが「カードを持ってる」とおっしゃってたのはつまりそこの使途の部分のことだったのかな?やれやれ・・・・

NHK「その時歴史が動いた」 ~水野広徳が残したメッセージ~

2008-03-04 15:43:28 | テレビ番組
 2月27日のNHK「その時歴史が動いた」で、大正から昭和にかけて軍縮、反戦を説いたジャーナリスト水野広徳がとりあげられていた。私は驚いた。なぜって、この人物はNHKドラマ「花へんろ」に出てきたことがあるのだが、私は原作の早坂暁の創作だと思っていたからだ。実在の人物だったのか。

 調べてみるとずいぶん有名な人のようだった。
 
 水野廣徳(みずの ひろのり)
 忘れられた反戦の軍人・水野広徳(PDFファイル)

 「花へんろ」の中では、富屋の嫁静子がやっている大正座で水野さんの講演会があり、刺客まがいの海軍将校が訪ねてきたり、暴漢に襲われたり、てんやわんやであったと記憶している。なぜそんな危険な講演会を大正座でしなければならないのかと夫に聞かれて静子が諄々と説明する場面があった。水野さんは第一次大戦後、ヨーロッパの視察旅行に行かれた際、その被害の甚大さに衝撃を受けた。そして「今度もし日本が戦争をすれば必ず負ける」ことを確信した。以前水野さんが書いた日露戦争の海戦記である大ベストセラー『此一戦』、そして日米戦争を想定した『次の一戦』において民衆の戦意を鼓舞し、軍拡を唱えてしまったことを後悔し、「軍縮と国際協調こそが日本の唯一生き延びる道である」ということを訴えるために『興亡の此一戦』を書いた。しかしこの本は発禁処分となった。少しでも多くの人に軍縮を訴えるために今命がけで全国を回って講演活動をしているのだというのだ。その時、軍艦の数の比較から日米の軍事力の圧倒的な差を説明していたと思うのだがよく憶えていない。

 私は驚いた。そういえば第一次大戦前には世界的に反戦気運が高まって軍縮のための国際会議が開かれたのであったなあ。高校時代に習ったきりだ。だけど軍部が大反対して、内閣の決定を「統帥権の干犯である」と決め付けたのだった。それに対して水野はこう書いている。
 軍部が統帥権をうんぬんして憲法の正文を無視せんとするは憲政の将来を厄たいならしむるの恐あり
昭和5(1930)年6月5日の朝日新聞に発表した「洋々会決議案」より抜粋。

このあたりの歴史を見ていて、やっぱり当時日米開戦を止めることができたのは天皇ただ一人であったのだろうなあと思った。だって、一般人はみんな「やめろ」なんて言ったら殺されるのだもの。戦争前に「統帥権」云々って脅しまくったのだからやはり責任が一番重いのは天皇だよ。戦争責任がないなんていうのは右翼のトリックだ。

 東京大空襲を予言したかのごとき文章もすごいと思うけど、敗戦後に書かれた文章もすごいと思う。「日本において最も緊急を要するものは、国民の頭の切り換えであります。まず、第一に神がかりの迷信を打破すること。すべての生きた人間を人間として取扱うこと、生きた人間を神として尊敬したりするところから、神がかりの迷信が生まれてきます」(9月27日付)

 こんなふうに冷静に世界情勢を見極めて、警告を発した人が戦前にいたというのは驚くべきことだと思った。そして、番組を見て日本史のおさらいになった。日本が大陸に進出したのは貧しかったからだ。当時の軍事費は国家予算の半分を占めていたそうだ。まるで北朝鮮かアフリカの軍事政権国家みたいじゃないか。乏しい予算をありったけ軍事力につぎ込んで他国に攻め入り、土地と資源を収奪して一等国の仲間入りをしようとしたのだ。もちろんそういうやり方が世界の主流だったわけだけども。軍部のクーデターなどで政治家を惨殺した将校らは、きっと本当に貧富の格差と政治の無能に憤っていたのだろうが、果たして長い目で見てその行動が日本のためになったかといえばまるで逆だったじゃないか。なぜこんな短絡的な行動しか取れなかったのか。ああ、腹減っていたら思考能力が低下するのね。減ってなくても最近は短絡的にしか考えられない人多いしね。世界的な不況と失業者の増大が列強を植民地主義に走らせ、貧困層が戦争を支持したという図式と、その結果が自国の破滅的な被害と植民地の人々の怨念を招いたということを決して忘れてはいけないと思った。大虐殺がなかったとかたわごとを言う奴は死にやがれ!

 そして、今私たちが考えなくてはいけないことは、たとえひもじくてもじっと我慢して生き延びるために最善の道は何かということを冷静に判断することだと思った。だってサブプライムローン問題ですよ。世界的不況と物価の高騰がまた起きるかもしれない。不平不満が右翼的な思想に結びつくと怖いことになる。


 番組のゲスト、静岡県立大学教授 前坂 俊之氏は「言論報道は社会の酸素であって、自由にものが言えない社会は活力を失い、いずれは窒息して滅んでしまう。水野のメッセージは現代に通じるものがある」と言っていた。公式サイトに詳しい情報があった。


 このあたりを見ていて、「えーっと、石原廣一郎ってだれだっけ?」と調べてみたら戦前の右翼かー。A級戦犯容疑者から復帰して廃棄物処理会社の社長に復帰。右翼はいいよねー。石原産業フェロシルト不法投棄事件っていうのもあったな。
 このブログの「国家の品格」批判がおもしろかった。