読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

今野敏「隠蔽捜査」

2008-03-06 20:13:57 | 本の感想
 すっかり警察小説づいてしまって、今度は吉川英治文学新人賞受賞作の「隠蔽捜査」(新潮文庫)
 普通の警察小説は最前線の刑事が主人公のことが多いが、これは出世街道まっしぐらの警察官僚いわゆるキャリアが主人公だ。警察庁長官官房総務課長の竜崎伸也。超堅ブツで、息子に「東大以外は大学じゃない」と言ったり、妻に「家庭はおまえが守れ、おれは国を守る」などと言う。(よくできた奥さんみたいでよかったですね)。総務課っていうと庶務や担当事業の割り振り、国会、閣議などからの質疑の受付、広報など、おおよそ事件とはかかわりのなさそうな部署だ。警官の不祥事があったとき、長官の声明文を起草したりもするらしい。

 都内で連続殺人事件が発生した。その犯人としてあがってきたのがなんと現職警官であった。被害者はいずれも過去に残忍な少年犯罪を犯し、数年で出所して社会復帰を果たした者たちだ。事件を起こした警官は、少年犯罪の軽い量刑に憤りをおぼえていたようだ。警官の不祥事が相次ぐ中で権威の失墜をおそれた上層部はもみ消しを画策するが、竜崎はそれを阻止しようと全力を尽くす。

 竜崎は事件を故意に迷宮入りさせようとする画策を、何が何でも阻止しようとしている。良識の問題ではない。優等生的なモラルでもない。拠って立つものが失われるかもしれないという切実な危機感のせいなのだ。警察自体の権威が失われたら、当然警察官僚の権威も失われる。学生の頃からあらゆるものを犠牲にして手に入れた警察官僚のポストだ。それが価値を失うというのは我慢がならない。

 少々頭が固い人みたいだけど、これぞエリートの本道。
 で、隠蔽工作をするよりも、最初から情報開示をした方がダメージが少ないと判断したのは「国松元長官狙撃事件」の前例があるからだというのだ。えー、それ、私は初耳だった。(なぜ記憶が薄かったのかと後でよくよく考えたが、その頃は下の子がまだちっちゃくって、毎日ウンチ、しっこで明け暮れていたのだった)
 国松元長官狙撃事件はまだ未解決の事件であるが、いろいろと奥が深いようだ。
 1995年に起きた、国松孝次警察庁長官狙撃事件の捜査本部は、公安部長の指揮のもと、南千住署に設置された。刑事部ではなく、公安部が指揮を執ったのは、当時のオウム真理教の犯行であるという見方が強かったからだ。
 捜査の過程で、小杉巡査長の名が浮かび上がる。捜査本部で取り調べを行ったところ、「国松長官を狙撃したのは、自分である」と自供してしまった。そのことをマスコミ各社宛てに投書した者がいたのだ。世間は騒然となり、公安部長は「虚偽の投書である」といったんは否定した。しかし、日々マスコミの追及は強まり、ついに公安部長は、小杉巡査長の自白は事実であることを認めたのだった。
 事件隠蔽の責任を取らされ、このときの公安部長は更迭されている。

 この事件から学ぶべきことは、狙撃事件そのものよりも、その後の隠蔽工作によって警察の信頼が揺らぎ、まったくの逆効果になってしまったということだと竜崎は考えている。
「マスコミに知られたら、それこそおまえだけじゃない、警視総監や警察庁の刑事局長の首が飛ぶぞ」
「ばれなければいい」
「事実、東日の福本は勘づいていた」
「非公式な情報だ。ちゃんと裏が取れなければ報道はできない。」
「白を切ればいいだけのことだ」
「どこかが抜くぞ。新聞に限らない。テレビの報道番組だってある。週刊誌だってある」
「警察を敵に回したがるマスコミはいないよ」
「甘いな。北海道警の裏金作りを世に知らしめたのはテレビの報道番組だった。マスコミは従順な飼い犬じゃない。ときに牙を剥くんだ。警察庁の広報を担当している俺が言うんだから間違いない」

 まったく、そのとおりだ。最近ではインターネットというものもあるから、どんなに報道規制をしてもどこかから漏れ出てくる。私の感想として、現職警察官の殺人というのはワイドショーネタで2、3回見れば飽きてしまうだろうけども、もしもそのことを警察が組織ぐるみで隠蔽したとしたら、ぞっとして決して忘れはしない。一生忘れないだろう。要するに事件そのものよりも、その事後処理をどうしたかの方が大事だ。
「何かの工作をすると、それが暴露されそうになったときに、また新たな工作が必要になる。その新たな工作は、最初の工作よりもエネルギーが必要なんだ。そして、それが次々と連鎖して、しまいにはとてつもない大問題に発展してしまうわけだ。そんなとき、人は思うんだ。ああ、最初に本当のことを言っておけばよかったなとな・・・・・・・・」
ああ、こわい。ほんと、こんなことにエネルギーを割くなよ!と思う。


 竜崎は朴念仁でちょっとヤな奴だけど保守本流のエリートだ。抜群に頭が切れて、正しい判断力もある。自分が泥をかぶっても組織を腐敗から守ろうとする男気も持ち合わせている。こういう本当のエリートが日本には不足してるんだろうなあと思う。私ら庶民は国のことは全然わからないのだから本来は官僚や政治家にまかせておくべきなのだけど、最近怒っているのは税金の無駄遣いそのものではなくて、全体的に官僚組織が形骸化、空洞化してしまっていて物事に適切に対応する能力を欠いているのではないかという不安があるからなのだ。経済のグローバル化、財政の逼迫、労働人口の減少、そういった流れの中でつじつま合わせではなくてちゃんと正しく物事を見通して、方針を示してくれているのか。それならばマッサージチェア買ったくらいで問題にならなかっただろうと思うのだ。みんなが怒るのはこのままいくと借金まみれで大変なことになるということを、国のトップクラスの頭のいい人がなんで計算し損ねたのかということだ。自分の代だけ安泰ならいいと思っていたのだろう。とんでもない奴らだ。そして責任の所在がわからない。この竜崎みたいにほんとに「国のために命をかける」という硬派の官僚がもっともっと必要だ。

 この竜崎がこの後、左遷されて警察署長になった続きの小説もあるらしいのでぜひ読んでみようと思う。