笛吹奮闘記

遠州に春を告げる「三熊野神社大祭」。祭りを彩るお囃子は、静岡県無形文化財「三社祭礼囃子」。四十を過ぎた男の笛吹挑戦記!

伝統を守ること

2007年09月28日 09時45分44秒 | Weblog
笛をはじめて1676日目。
いよいよ、明日は東京での「江戸天下祭」が開幕です。世間はF1で騒いでいますが、私の興味はもっぱら天下祭ですね。

 昨夜は、仕事が終わってからお祭りの準備に、帰宅後少し笛を持った。今年の祭りは昨日の生地通りなので、ゆっくりと丁寧に吹くように心がけた。

 先日隣町の青年衆が店に寄った。「手拭いを作って欲しいができるか」とのことだったが、私が「今作った物があるのに、どうして新しく作るのか」と尋ねると、「今の柄が気に入らないから」と答えた。
 それはごく一部の人間の考えであって、町内全体の総意ではない。だから私は、「町内みんなが替えたいと言うのならともかく、数人や青年衆が替えたいでは替えるべきではない。しかも、作った当時の人達がどういう思いで作ったのかを知ってから直すべきだと思うけど」と話をした。
 数日後、話を持ってきた彼がきたのでどうなったかと尋ねると、あっさりと「他の店で作ることになった」と言った。私は返す言葉が無かった。

 先日も、「音合わせ」で地元の公民館に出向くと、部屋の中ですが、おかしな旗が飾ってあった。5~6年前だと思うがあるお店が勝手に作って「寄付」だと言って置いていった。そんな物いらないけど、捨てる訳にもいかず倉庫の奥の方にしまってあったが、ここ数年引っ張り出しては飾ってある。
 浜松祭りを模しての大旗であるが、我々の祭りに大旗を掲げる伝統も風習もない。なぜなら立派な祢里があるから。しかもその旗の「代紋」はそのお店が勝手に作っている代紋。本来の代紋とは違う物。
 10年ほど前、祢里を新造した際に手拭いを作りましたが、その際に見直しを行い、当時の役員初め建設委員等で「お」の字の代紋はこれでいこうときまった物。当店の袢纏は、そのことを知っていたので同じ代紋をつかっていますし、祢里の格納庫のシャッターにも同じ文字が書かれています。しかしながら後発で作っているにもかかわらずそのお店はそういう事情も知らないというか、調べもせずに勝手に袢纏を作ったり、勝手に旗を作っているのです。

 伝統を作ることは大変です。また、伝統も守ることも大変です。そのとき、そのときの思いがあるはずで、そうした思いをしっかりとくみ取って守っていかなければおかしな物になってしまいます。
 数年前に作った提灯も すぐにまた柄が変更になってしまいました。なぜ、その柄に変更したかも聞かず、そのときの年長者の勝手な思いで変わってしまいました。柄を替える前に、なぜその柄にしたかを昔にさかのぼって調べ、様々な思いを込めて良い物へと変更したのに、ほんの数年でまた変わってしまいました。本当に残念です。

 江戸天下祭に参加する遠州横須賀の祢里は、江戸時代江戸で曳き回されていた「一本柱万度型」の祢里が、江戸近郊からすべて姿を消し、唯一遠州横須賀にのみ残されていると言うことで、毎年参加要請があります。江戸時代からずっと伝統を守り続けているわけですから、大変素晴らしい事です。