群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

大入袋

2005年07月03日 | 仕事!
ウチの会社の各店では、それぞれ「大入」売上金額が決まっている。
この額を売上実績が超えた日には、その日勤務に入っていた全メンバーに「大入袋」が出る。
「大入袋」の中身は、500円か1,000円。その日のシフトによって、どちらかの額が入っている「大入袋」を手にすることができるのです。

さて、この「大入」ですが、最近はめっきり少なくなりました。ここ数年は、年に1~2回。店舗によっては、何年か出ていない店もあります。

そして、この「大入袋」に関しては、最近は自分が自筆で筆書きするようになりました。これは、自分自身が演劇の世界で過ごしていた時期があることから、「大入袋」に対する思い入れがいろいろあった…ということからです。

「大入」達成の店舗が出ると、早速筆ペンと「大入袋」を用意して、その日のシフト表を見ながら一人一人の名前を書いていきます。
実際もらう側にとっては、そんな筆文字なんてどうでもよくて、肝心なのは中身なのかもしれないが、自分としてはコツコツと一人一人の名前を書いているのです。

ここ数年、「大入」になることが少なかったから続けてこれたのかもしれません。もっと各店で頻繁に出るようになったら、続けられないかもしれません。でも!!やはり「大入袋」に対する思い入れがあるので、できる限り続けていこうと思っています。
また、もっと頻繁に「大入」が出るようになって、自分自身が困るような状況になることこそ、本来望むことなのであります。

(写真:6月の「父の日」に出た『沼田店』の大入袋)

「栃赤城」を知っていますか?

2005年07月03日 | その他
昨日、『沼田店』の終礼に行った時に、アルバイトメンバーとの雑談の中で、「栃赤城」の話が出た。
「栃赤城」とは、20年前くらいに大活躍していた相撲取りで、その相撲はサーカス相撲と言われ人気があった。この「栃赤城」は、『沼田店』のすぐ近くに実家があって、自分が子供の頃はこの近くを通ると必ず皆が「ここが栃赤城の家…」と言う位有名な場所だった。たしか小学校のバス旅行か何かの時にも、ガイドさんが「ここが栃赤城の…」と言っていたように思う。
「栃赤城」は、関脇までいったがケガでどんどん番付を落とし、最終的には廃業して相撲界を去った。その後、ここ沼田に戻って実家の仕事をしていたらしいが、数年前にゴルフをしていて突然倒れてそのまま亡くなった。このニュースはスポーツ紙等で小さく扱われる程度だったが、往年の活躍を知る地元の我々にとってはショックな出来事だった。
で、その「栃赤城」を沼田の若者が知らない…と言うのだ!!
自分も信じられなくて、何度も何度も聞いてみたが、首をかしげている。こっちが首をかしげたくなる位だ。だって、大関候補と言われ、サーカス相撲を特集したビデオだって確かあると思う位の人気力士だったのに…。しかも店のすぐ近くに家があるのだから…。
その場にいた二人に聞いて、二人とも知らなかった。
…ショックだった。