群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

「隅田川の花火大会」と言えば…、デンキブラン…。

2006年07月29日 | 自分!
今月もまた、いつもにも増して時間が過ぎるのが速かった…。
イオン出店に関して、いろいろなことが決まってきているが、肝心のオープン日はまだ決まらない…。
来月は、施工説明会やら運営説明会やら、説明会がいろいろ予定されているので、ここ辺りで発表になるとは思うが…。

さて、今日は「隅田川の花火大会」だったようだが、「隅田川の花火大会」…と言えば、自分は大学1年の時に一度行ったきり、その後は行っていない…。
この一度が、強烈な思い出としてあるのだ。
と言うのも、この時確かサークルでの集合がかかったのだと記憶しているのだが…、とにかく浅草の集合場所に行くと、男の先輩が二人だけ…。
他には誰も来なかった…。
男3人浅草で、花火までの時間つぶし…。
「神谷バー」で「デンキブラン」のうんちくを聞いていた…と思う。

この二人の先輩…、サークルの中で仲がよくない二人…。
花火の前からことごとく意見が対立…。
後輩である自分は二人の言い分を聞きながら、ただうなづくばかり…。
今から思えば男3人しか集まらないのだから、解散にすれば良かったと思うのだが、この時は最後まで3人で行動していたのだ…。

人がすごくて、ずっともみくちゃになりながら歩いていたような気がする。
先輩二人は、「こっちだ!」とか「あっちだ!」とか、花火を見る場所でももめていて、自分はそれぞれの先輩の発言に従って右往左往…。

そして、「もう二度と来ない…」と誓ったのだ。

しかしまあ、この時に「神谷バー」と「デンキブラン」を知った。
「電気」が珍しい明治の時代、目新しいものというと「電気○○○」と呼ばれハイカラ品として人々の関心を集めていた…ということ。
文学作品に中にも数多く登場しているが、この店は今はどうなっているのだろう…?

今でもわからないのは、あの時はサークルで全員に連絡が行っていたのだろうか…?
仲の悪い二人で花火見物させてその行動を観察するドッキリだったりして…。



劇団『Flare-UP』(フレアー・アップ)

2006年07月25日 | 自分!
先日、このブログで日経新聞のスクープのことを書いたが、その内容に関して大学時代の友人からメールをもらった。
この友人は今、新聞業界?で仕事をしているが、大学時代のクラスメートだ。

メールの内容は…、

例の「昭和天皇発言メモ」は、確かに日経のスクープだそうで、通常スクープ記事は最終版まで載せないでおくのだそうだ。
締切り時間の早い版に載せると、それを見た他社が最終版で後追いで掲載してスクープにならないのだそうだ…。

…と、そんな話を聞いて、その現場作業に興味を持った。

だいたい「新聞」というそのもの自体の意味が、この数年で大きく変化している。
ウチの店舗でバイトをしている大学生に聞いても、ほとんどのメンバーが「新聞」はとっていない。
情報収集はほとんど携帯だ。

「新聞」に折り込まれる販促チラシも地域によって効果が激変する。
明らかに昔とは違う…。

しかも、その「新聞」を作る現場で起こる「時間」をめぐるやり取り…。

これは面白そう…と思った。

と言うのも、今年の1月に東京で昔の劇団仲間と再会したときに、2008年までに1本作品を書く!…と酔った勢いで口にしたのだ。
自分が主宰していた劇団は「フレアー・アップ」という…。
これは、「宇宙空間にあるガスやチリが集まって星になる時に、輝き出す瞬間をフレアーアップ現象という…」という所からつけた名称。
1987年、自分が22歳の時に作った。
それから1996年の公演を最後に活動を休止しているのだが、活動休止から10年…。
そろそろ何かをやりたいとも思っていたのだ…。

現実には、日々の仕事の中で忙殺されている自分だが、日々起きる出来事すべてが、物語の題材になることなのだ。
だからこそ、毎日何が起ころうが平気だし、大変なことが起きればそれは大変な方が、物語の題材としては面白いのだ。

土台となる大枠の話の流れがあれば、そこに関わる多くの「人」と「人」の関係や、出来事は波乱万丈の方が面白い…。

…ということで、日々の生活は物語の題材を集めているのと一緒…。
そう考えれば、書けるんじゃないか…と思った訳だ。

と言うことで、口にした以上はやろう!と思っているので、関係者の皆様そのつもりでいて下さい…。

体調は悪いが、絶好調です!!

2006年07月24日 | 自分!
数日前から風邪をひいたみたいで、薬を飲んだりしていたが、自分の場合風邪をひくと、治るまでに何段階かのヤマがある。

まずは、引き始めの寒気と体のだるさなのだが、続いて風邪真っ只中の状態で、それを越えて治りかけてきて最後のヤマがくる。
子供の頃、小児ぜんそくだったのだが、子供の頃はこの最後にぜんそく症状が出た。
大人になって、本格的なぜんそく症状はほぼなくなったが、最後にそのぜんそく症状に近いような状態が数日続く…。
これが最後のヤマ…。

今がそれ…。

で、体調が悪いです。

が、しかし!
そんな体調が悪いという感じを周囲の人に気付かれていてはいけない訳で、自分では意識して普通通りに振舞っている。…まあ、わかるかもしれないが。

世の中、いろいろな立場の人がいて、いろいろな状況があるのだが、内面の本当の状態と違う外面を出さねばならない立場の人や、状況や場面…。

「顔で笑って、心で泣いて…」っていうやつだが、これが表現する人の土台になる部分だ。

…まあ、ただ単に風邪で体調が悪いだけなのだが、何もここでそんなことを公表するのも言い訳じみてるのだが、…でもまあ、今日は何を書こうか…?と思って、書いてみました。

『パンダジャミール☆伝説』が生まれた場所

2006年06月25日 | 自分!
今日、6月25日は母方祖母の命日だ…。
自分はおばあちゃん子だったから、自分の考え方にはおばあちゃんの影響が強く出ている…と思う。

1995年、4月に自分は群馬に戻ってきて、6月10日に結婚式をあげ、新婚旅行から帰ってきて、前の職場のメンバーに結婚祝パーティーをやってもらったその日の夜におばあちゃんは倒れて入院し、ほんの数日後の6月25日に息を引き取ったのだ。

あれからもう12年…。

ほんとあっという間だ…。

自分も今年は41歳…。

おばあちゃんのお墓がある場所は、山の中腹でここから街の景色が見える。
お寺の墓地になっていて多くのお墓があるが、お墓から自分の街が見えるのだから、お墓参りに行くと「どうか見守っていて…」というイメージがピッタリくる場所なのだ。

自分が子供の頃は、幼稚園とか小学校でよくこの場所でお弁当を食べたりした思い出がある。
それは景色がよかったから…。

実は自分が「フレアー・アップ」という劇団を作って、大学サークルからプロとして演劇で生活して行こうと思っての最初の公演『パンダジャミール☆伝説』は、このお墓の場所で感じたイメージが始まりなのだ…。

だが、今日この場所に行った時に気付いたのだが、今はこの場所の木々が育って街の景色はよく見えない…。

自然の木々が育つことは良いことなのだが、自分の昔から持っているこの場所のイメージが変わっていくのはちょっと複雑だ…。

『パンダジャミール☆伝説』とは、街を見下ろす丘に眠る過去の人と、その街に暮らす現在の人が、気の遠くなるような偶然の重なりの中で起こる星めぐりの日に出会う…お話。

それは新しい脚本を書くのにイメージが湧かなくて、実家に来ている時のある夜にこのお寺の墓地に行ってみて感じたことなのだ。
お墓に眠る人が街を見ていて思うこと、伝えたいこと…。
夜、この場所にいたら、空の星空と街の夜景の光で、自分の周り全体が星空になっていくようなイメージがあって…。

そんな場所なんだ…。

今はそこにおばあちゃんも眠っている。

景色がちょっと変わってしまったのだが、今でもきっと自分に何かを感じさせてくれる場所…だと信じている。

何かここぞ!というアイデア、イメージが欲しい時はこの場所に行って考えてみよう…。

近々、時間を取ろう…。今がそんな時…。

健康診断でショック!!

2006年06月24日 | 自分!
今日は会社の健康診断…。
年に1回、毎年この時期に行っている。
本社駐車場にレントゲン車と心電図車が来て、事務所に検査に必要な機材を持ち込んでの検診になる。

どうしても始業前に行うことになるので、参加社員は対象者の半分位になってしまう。
飲食店は夜が遅いので、朝弱い人が多い。
本社まで来て受けるのだから、遠い店舗の参加者はやはり少ない。
本当は各地域で会社検診ができれば良いが、人数が多くないので難しい…。
で、どうしても本社に集めての検診になってしまう。

若いメンバーは検診よりも少しでも寝ていたい…という気持ちはわからないではない…。
会社としては検診を受けた人数分だけ費用を払うので、参加者が少ない方が支払費用は少ないのだが、でも個人の健康に関わることなので、できるだけ全員に受けて欲しいと思っているのだが…。

この検診は年齢によって検査内容が違う。
年齢が高い人は、いろいろ細かくなるみたい…。
20代は簡単な検診で値段も安い…。

最終的に今日受けた人の請求を見たら、若い人向け検査は全体の1割で、やはり年とともに健康に対して意識が出るということ…?
サッカーの影響もあるか…?

さて、自分がショックだったのは、体重が増えて、視力が落ちた…ということ。
視力はついに1.0を切って、両目0.9…。
PCに向かう時は適度の時間で休憩を入れて、意識して星を見るようにしよう…。

体重は何と!…70をオーバー!

高校時代45kg。
大学時代54kg。

そんな自分が…!

どうしよう…?
走ろうか…?


深夜の白髪染め…

2006年06月15日 | 自分!
今日の午前中、就職サイトの取材があった。
そんな訳で自分の写真も撮影されるのだが、撮影される以上はやはりちょっとでも良く写りたい…と思うもの。

昨夜は深夜に帰宅して、家族が寝静まった洗面所で白髪染めをすることにした。
自分の白髪は、実はかなり深刻…。
毎月、散髪時に白髪染めもしてもらっているのだが、半月ぐらい経つとやはり目立ってくる…。

さて、白髪染め…。
シャツに付くと落ちないので、やる時はジャージを着たりしている。
昨日は暑かったので、上半身裸で鏡に向かった。

いつも使う白髪染めは、簡単な押せば出るやつ…。
で、髪の毛の白い部分に真剣に塗っていった…。
眠くて眠くて仕方ないのをガマンして白髪染め…。
塗り終わったら、しばらくそのままに…。
深夜の皆が寝静まった洗面所の床に上半身裸であぐらをかいて座ってウトウトしている自分…。
いざシャンプーで洗い流して見れば、地肌に色が付いているのを発見して、鏡を見ながら小さな声で雄たけび…。

にこやかに写っている取材写真の裏では、実はこんななんです。

えらい人でも皆そう変わらない…。

先日、某金融機関の支店長さんと話していた話の中でも、そんな話題があって、その支店長さんが「私も仕事ではえらそうなこと言いますが、家では肩身が狭いんです…」なんてシンミリ話をしていた。

お互い、あまり部下の前では言えない情けなさがあるなんて感じで…。

言っちゃったけど…。

初めて買ったレコード

2006年06月07日 | 自分!
自分が初めてレコードを買いに行った時のことはよく覚えている。

確か、小学2年の時だ。
お金を手に持って、歩いて街中のレコード屋さんへ行った。
買いたいレコードは決まっていた。
でも、そのレコードを手に持って、レジへ行くのにドキドキだった。

レジにいたのはおじさん…。
「小学2年生には売れないよ!」…とか言われちゃうんじゃないか?と思って、しばらく悩んで、考えて、…で、勇気を振り絞ってレジへ…!

買ったのは「桜田淳子の私の青い鳥」…。
当時のアイドルだ。ファンだった…。
ウチに帰ってきて、プレーヤーで何度も聞いた。
完璧に覚えた…。

小学校2年生…。

今、ウチの子供たちを見ていると、長女は小学3年生。
今年からお小遣いをもらえるように決まったが、何を買うのだろう…?
今のところ、アイドルのCDを自分で買う気配はない…。

こんなもんなのだろうか…?

自分は自分で買いに行ってしまったが…。

昔、列車事故に会いかけた…

2006年04月24日 | 自分!
今日は一日中いろいろ動いていて、JR山手線トラブルのニュースを夜まで知らなかった。これだけ長時間ストップしていたのでは、トラブルで影響を受けた知人もいるだろう…。

夜のニュースで乗客が線路をゾロゾロ歩いている光景を見て、自分も昔こうして線路を歩いた体験があることを思い出した。

中央線東中野駅の事故だったのだが、調べてみたら1988年12月の事故だということがわかった。
死者も出て、100名を超える人が怪我をした大事故だった。

この事故は東中野駅に停車していた電車に、後続の電車が突っ込んだのだが、自分は突っ込んだ電車の次の電車に乗っていた。
何と、新宿駅で発車間際の電車に乗ろうとして、目の前でドアが閉まったのだ。
仕方なく次の電車に乗ったのだが、この先に発車した電車が突っ込んだのだ。
しかも、自分が乗ろうとしていたのは、先頭車両…。
あの時、もうちょっと速く走って発車に間に合っていたら…。あるいは、目の前で閉まったドアが、もう一度開いたりしていたら…。
考えると怖くなったのを覚えている…。

そして、東中野駅手前で電車が停まって、そこから駅までゾロゾロ歩いたのだが、ヘリコプターがブンブンまわっていて、歩いている我々を撮影していた…。

この時は、芝居の稽古に行く途中。
結構、演技のことで思い悩んでいて、稽古に遅れる口実ができてホッとしたりしていた…。

ということで、今日の山手線トラブルは事故につながらなくてよかったが、我々は日々の生活の中で、本当にギリギリの所で事故に会わずに生きていたりするのだ。
いつ、どこで、どんなことに巻き込まれるかはわからない…。

今、普通に生きているということは、奇跡的に近いことだったりするのだ。

小学3年生

2006年04月11日 | 自分!
ウチの娘がこの4月から小学3年生になった。

…と、自分の小学3年生時代を思い起こすと、いろいろ思い出した。

先生はかとう先生。
年配の女の先生だった。

で、このかとう先生の一言がきっかけで、自分は水泳が嫌いになった…。

というのも、夏の水泳で泳ぎのテストか何かをして、教室に戻って各自が「できた」「できない」を発表した時、自分が「できない」と発表したことに対して、かとう先生が「ねぎくん、できてたじゃない…」と言って、できないことができることになってしまったのだ。

たぶん、別の誰かと間違えたのだと思う。

でも、自分も「できた…」と言われると気分がよくて、できたことにしてしまった…。

で、次の水泳の時間に、「できない」と確認されるのが嫌で、以後ずっとプールに入らなかったのだ。

風邪気味、目がかゆい、おできができてる…等、毎回何かしらの理由をつけてプールは見学にして、最後まで「できない」ことを「できる」ということで通してしまったのだ。

結局、これが元で4年生、5年生…と、プールには極力入らず、泳げるフリをしていた。

そして最後の小学6年生の時に、さすがにこれではダメだ!と思って、誰もいない早朝に学校のプールに忍び込んで一人で練習したのだ。

家の人にも気付かれないように真っ暗なうちに起き出して、小学校のプールで水泳の練習をして、誰も起きないうちに帰ってきて布団に入っていた。

これって、今なら補導されるかも…。
よく誰にも見つからずにすんだものだ…と思う。
しばらく続けたのだから、今思うと奇跡的だ。
プールの金網を越えて、水着になってバシャバシャやって、空を見ると星空で…。

結構、鮮明に思い出す…。

でも、おぼれていたらどうなったんだ…?こわいこわい…。

こんなことをしなければいけなくなった最初のきっかけが、あの小3のかとう先生の一言なのだ…。

ウチの娘にはこんなバカな体験をしないように…と思う。

自分が「できない」ことは、「できない」とちゃんと言った方が良いのだ。

亀田三兄弟と、私のボクシング体験

2006年03月09日 | 自分!
亀田三兄弟の活躍でボクシング人気が復活してきているが、今日はその長男興毅選手の試合がTV中継される…ということで、時間にこっそり『事務所』を出て駐車場の車の中でチャンネルを合わせた。

試合は見事興毅選手がKO勝ちしたが、ネットでいろいろ見ていると、ローブローじゃないか?とか、試合後のお父さんの態度は問題だ…とか、いろいろ批判的な情報もあった。

自分はとにかく、亀田選手には頑張ってもらいたい。いろいろな意見があるが、何だかんだ言っても勝ち続けることはすごい努力をしているということだ。しかも、これだけ挑発的な発言を続けながら勝っているのだから、これはもう頑張ってもらいたい…。

…と言っている自分も、高校時代はボクシングをやっていた。
自分の高校にボクシング部はなく、隣の学校に練習に行っていたのだが、やり始めたきっかけは中学時代に活躍していた具志堅用高選手…。
世界チャンピオンとしての防衛日本記録を作っているが、自分も世界チャンピオンに憧れた。

高校に入って、ボクシング部がなかったので、市内にあるボクシングジムに行った。
初めて行った時、緊張したが「自分は世界チャンピオンになるんだから何も心配することはない…」と自分に言い聞かせていた。
だから緊張はしていても、態度は大きかったと思う。
そうでもしないと、心の中の恐怖感で動けなくなってしまうのだ。
だから、格闘技の選手が皆態度が大きいのはよくわかるのだ。

そうして練習をさせてもらっていたら、コーチで来ていた隣の学校のボクシング部の先生が「ウチの学校へ来て練習しないか?」と誘ってくれた。

それから、週に何度か隣の学校へ練習に行くようになった。
合宿にも参加させてもらって、試合にも出してもらった。

この試合…。

結局1試合しかできなかった。

実際の学校の責任教師がいないので、以後の大会の参加は認められなかったのだ。

この1試合…。

相手は全国大会ベスト8の選手。

試合は2ラウンドでRSC(レフェリーストップ)負け。

とにかく緊張で、訳がわからないうちに終わった…。

何しろリングに上がったら、はいていたトランクスが裏表逆で、試合開始前にリングの上ではきなおしたのだ!

これは恥かしかった…。

…と、実はここまでしか覚えてないのだ。
試合中のことは何発か打たれた瞬間の衝撃は覚えているが、それ以外のことは何も覚えていない…。

気がついたら、終わっていた。

でも、この試合1試合しかしていないのに、この階級の出場選手が2人だったので堂々の2位、準優勝!

これでいきなり賞状とかもらって、新聞にも出てしまったので、学校も大騒ぎ…。
学校内では責任教師がいないで大会に参加したことが問題に…。

結局、この試合が最後になってしまった。

この後の大会の時、誰か責任教師になってくれれば…と、学校の先生全員にお願いしたのだが、誰も引き受けてくれなかった。

一人一人の先生にお願いしてまわった。

「受け持っている部活で精一杯なんだ…」と言ってくれる先生はまだわかるが、中には「危険だから…」と言って断る先生もいた。
この時、一人一人の先生と話していて、断られる度に自分の気持ちが冷めていく…のを実感した。

試合には出られなかったけど、この後も強化選手の合宿とかにも呼んでもらったりしていた。
でも、自分の情熱がボクシングから徐々に別のものへ変わってしまったので、だんだん練習にも行かなくなってしまった。

世界チャンピオンの夢はここで消えた…。

ボクシングから情熱が移った「別のもの」…。

これも、自分の中では共通する部分があった。
自分がやりたかったこと、目指してきたことは、実はずっと「同じこと」なのだ。

次に目指したのは「アイドル」。

この話はまた別の機会に…。