群馬で闘う!「伝説」社長のブログ

『伝説』グループ社長、根木寛正の日々の雑談です。

ボクシング時代

2005年07月02日 | 自分!
先月、新店オープントレーニングのトレーナーを自らやって、一週間で体重が4kg落ちた。…が、オープン後以前のデスクワークに戻ったら、一週間で2kg増えた。
毎日、風呂に入る時に体重計に乗るが、考えてみたら高校時代より20数kg体重が増えていることになる。高校時代の自分が20kgの重りを身につけて動いているのだから、動きも鈍くなるし、心臓にも負担がかかるというものだ。

高校時代、自分はボクシングをやっていた。やっていたとは言っても、自分の高校にボクシング部はなく、市内にある小さなボクシング練習施設に通ってると、そこに来ていた隣の学校の先生に「練習に来い…」と言われて、隣の学校のボクシング部に練習に行くようになった。
当時から、人のマネをするのは得意で、プロボクサーのスタイルを真似て練習していたら、見た目では結構格好がついていたらしく、何だかわからないままに群馬県の強化指定選手候補にさせてもらった。強化指定選手になると、病院がタダだそうで、当時は群馬で国体が開かれる直前だったので、海外からも有名コーチなる人がよく来て指導していた。

自分は何故ボクシングをやったのかと言えば、目立ちたかったからだと思う。中学時代に当時世界チャンピオンだった具志堅用高選手にあこがれていて、カッコいい!と思っていた。自分もあんなふうに目立ちたい!と思ったのだと思う。だからこそ、やがてはもっと目立つアイドルになりたい!という気持ちに変わっていき、芸能学校に通うようになっていくのである。

さて、ボクシングだが、高校2年の時にインターハイ予選で群馬県2位になった。この時は、学校にボクシング部がないのに特例で出してもらった。学校からの引率はないし、責任者もいない。自分一人で隣の学校のボクシング部にお世話になりながら試合をしたのだ。
この大会で2位になったことで、新聞には乗るし、賞状ももらった。自分の学校でもこの成績に驚いたのか、いきなり校内放送で発表された。すると、通学用の自分の自転車に女生徒からのプレゼントがぶら下がるようになったりして、言うに言えなくなったことがある。

…群馬県2位になったこの大会。自分の出場した階級の選手は、…2人だった。
つまり、1回試合をして負けて、2位だったのだ。

このことって、実は誰にも言ってないのだ。