navikuma のブログ 陽炎のようにゆらめく景色のなかを走行中です。

ユーラシア大陸の端っこからのたわごとです。

ウクライナ方面への旅-12

2006年12月04日 | 日記
どうにかしなければと色々想いを巡らせるのだが今この場で一体何が出来るのかまたすべきなのうまく考えがまとまらない。
一生懸命考えようとするのだが,脳細胞回路に入っていく情報と出てくる結論がそれぞれスムーズに流れてないような状態だ。*(怒り)*

“ワガオツムノチノメグリガオモワシクナク スコブルコンランシテイルノダ!”

思考回路が頭の中ではなくまるで出入り口付近=おでこの辺りでひどい渋滞を起こしているような感じかする。
目の前の事態にショックを受けいわゆる“あせり”に翻弄されているようだ。
何とか冷静になろうと努める。落ち着いて考えるのだと。*(クール)*

ガソリンスタンドの大兄いさんが仕事の合間を縫って我々の様子を見にきてくれた。
我々がいるほうに向かってやってきて ”どうしたんだい?”と心配そうに覗き込んだ。

彼のすぐ目の前に展開された”惨事”を一目見てすぐに何が起こったのか解ったようだった。*(青ざめ)*

彼はロシア語(たぶん)で話しかけて来るのだがこちらは殆どチンプンカンプンでまったく要領を得えない。うまく対応できない。
むろんこっちがしゃべる英語もさっぱり伝わらない。

それではと高度文明的な言語を駆使しての会話方式からこんどは未開文明的な”身振り手振り語 = ミブテブ語 ”に切り替えて試みる。*(ニヤ)*

何々?
”ここから17kmぐらい先へ行った街道脇に車の修理屋があるのでそこまでゆっくり走って行って修理してもらいなさい。”
だと?
ヤルタで買った道路地図を持ってきてその場所を指差して教えてもらった。

それで?
”その壊れたリアサスを元通りの壊れた状態?に戻せば何とかゆっくり走れるだろうからそうすればその修理屋がある場所へたどり着くぐらいは走れるはず。”
だと?

それでは,では?
”俺が壊れたリアサスを元の場所へ押し込む合図をするからお前はゆっくりゆっくりとジャッキを下ろしなさい。”
だと?

OK! 了解。
”よーしわかった,ではそうしよう!”
と注意しながら合図に従いつつジャッキをそろそろと下ろしはじめた。

一番下まで下ろしきると幾分左側に傾いたけどとにかく元通りの壊れた状態?に戻せたようだ。

恐る恐るトランクの左肩端の辺りを両手で押し下げて壊れたリアサスの収まり具合?を確かめてみた。
大兄さんも同じように押してみた。

「ギーッキーッキッ???!!!」
これはこの車の”ミブテブ語?”のようです。*(はてな)*

息を微かに吸い込んでそして二人でお互いの顔を無言で見合わせる。

と、
”うん~ん...,ゆっくり走ればまあ何とかその修理屋へはたどり着けるはずだ。幸運を祈るよ。じゃっ!”

いやぁ,
”大兄いサンキュー,ヨンキュー,ゴキュー ~ x まとめて1ダース!”
*(ハート目)*

通りがかりの悲運の旅行者に対して大兄いの善意と好意に対し“ミブテブ語”を駆使して息子と二人の感謝の気持ちを表す目一杯のパホーマンスでした。

トホーにくれていた私たちにとって大兄いの助け舟はまさに“地獄に仏”心から有難いことだと思いました。
歩き去る後ろ姿の大兄いが仏さまのようにも見えました。涙が出るほど感謝の念で一杯になりました。*(うるうる)**(グッド)*

よしもうこうなったら何とかしてその修理屋とやらへたどり着くしか最良の方策はないのだ。*(ダッシュ)*

そう決断するとさっきまでとは打って変わって渋滞状態だった脳細胞が俄然活発に活動を開始し思考回路のメーターを一気にMAXのレベルに押し上げた。

今やらねばならぬことがはっきりとくっきりと見えてくる。
まず作業のために取り出して地面に散らかっていた荷物とカージャッキをリアトランクへ戻した。

“よし,MAX60km/hぐらいに抑えて十分注意しながら走っていけばいい!

腕時計を見ると火曜日午後6時を指していた。
その修理屋はまだ開いているのだろうか?
そんな懸念もあったがとにかく前へ進むべくそのガソリンスタンドからゆっくりゆっくりと走り出した。
5km/h,10km/h,20km/hと徐々にスピードを上げて試してみたが、ガソリンスタンド敷地内では大丈夫のようだ。

大きな困難は目の前を左右に走るあの”ウクライナの悪路 ”だった。*(進入禁止)*

注意深く進行方向の車線に合流する。
対向車線側にはたくさんの車やトラックが相当なスピードですっ飛んでくる。我々の車はスピードが出せないので道路の右端に車を寄せながら走り出す。
当然我々の後ろからこれまたけっこうなスピードで他の車がどんどん追い越していく。
超大型トレーラーにも追い越されるときはそのあいだ自分のからだがこわばるのがわかる。
*(青ざめ)*

穴ぼこやわだちそれからこぶに注意して運転する。
思えばこの時間帯は夕方のラッシュアワーなのだ。

スピードメーターと車の挙動と我々を追い越していく車達に全神経を集中しつつ同時にそのガタガタ道のより良い路面を探しながら緊急事態的のろのろ運転をつづける。

あのガソリンスタンドを出発してからトリップメータの数字がちょうど17kmを走った辺りでそれらしき車の修理屋かその看板を見つけ出そうと目を凝らして見廻すが...。
どうもそれらしきものが見当たらないようだ。
大兄いさんが教えてくれた地図の場所付近に着ているはずなのだが。
その小さな町の近郊へさしかかっているはずなのだが。*(困る)*

辺りの道路の両側には露天商の野菜売りが軒を連ねていてその間にはバス停,何かの荷物集積場みたいなものも見える。

きょろきょろしながら停まったりまたのろのろ走り出したりしながらさらに先に進むと今度は鉄道の踏み切りに出くわす。
しばし4両編成の色あせた車体の電車が通過するのを待って再び走り出した。
ウクライナ版“鬼の洗濯岩状”の踏み切りを恐る恐るでもなんとか渡りきる。

我々はまったくこの土地の地理に暗いし勝手を知らない者たちである。
誰かに目的地を訪ねようにも言葉が通じないのでこの複雑な状況は説明しようがない。
また今の車の状態ではあちこち走り回れる状態でもない。

その目当ての修理屋は見つかりそうもないのでさらに4~5km前方にあるシェルソン(xepcoh)の町まで行ってみることにした。

ドニエプル河が黒海に注ぎ込む河口デルタをまたぐ大きな河橋を渡った。
シェルソンの市街中心部へ向かうと思われる道路標識に従って幹線道路国道M24?を下りた。

河岸に沿って街中に向かう道路を走っていると息子が,
“あっ車ガレージのサインがある!ほらあれっ”
と前方を指し示す。
確かに左手前方に小さな青い車の絵がついた標識があった。

それをたどってしばらく走り続けるとちょうど信号機がある広い通りの右側に一軒の自動車修理屋を発見した。まだ開店営業中のようだった。
助かった!

青信号に切り替わるのをまってそして万感の想いをこめて最後のアクセルを踏んでそのワークショップ前へ乗りつけエンジンを止めてサイドブレーキを引いた。
“ふうっ 何とか修理屋までたどり着けたぞ。”と息子と顔を見合わせ
“ やれやれ,これで何とかなりそうだ。”と安堵のため息をつく。*(いっぷく)*

店先で話をしていた3~4人のうちの一人でマネージャーらしき人物が我々を認めてやってきた。
通りがかりの旅行者風の客でのっぴきならない用事がある客と判断して向こうからやって着てくれたらしい。

また“ミブテブ語”を使って話し始める。
“どうしなすった旅の旦那?“
実は,
“ 左後輪のリアサスが壊れてしまって,ほれこの通り”
とリアタイアをつかんで左右に動かしガタツキを見せる。

どれどれ、
“ほほおっ。 おいっ!お前ちょっと来てこの旦那の車をみてやってくれ!”
と近くにいたメカニックを呼ぶといっぺんに若老3人の大兄いさん達がやってきた。

なんと,そのうちの一番若い大兄いが片言の英語を話すではないか! ありがたや。

彼の通訳で,
“マネージャーがあっちの方へ車を回しなさい。そこで修理をするから。と云っている。”
ということで、なかなか大きな構えのその修理屋の別棟にあるワークショップへ移動し建物の中へ乗り入れた。

大きな専用のカージャッキの中へ。
ジャッキアップする前に作業の邪魔にならぬようリアシートとリアトランクから大きな荷物を降ろした。

そこにはマネージャー以下合計5人のメカニック(と私と息子で総勢7名)が総出で我々の車をとき囲みゆっくりとジャッキアップしていった。

他の3輪は足が伸びきっているが問題の左後輪は明らかに異常にみえる。
さっきガソリンスタンで見た時よりもさらに垂れ下がり漏れたオイルで濡れ壊れたリアサスペンションが飛び出しぶら下がっていた。*(汗)*

さらに車輪とリアサスペンションを取り外してみると故障の状況がはっきりわかった。

故障の真因はこうである,
「リアサスペンションの車体へのマウントベースが腐食していたところに過度の衝撃と圧力が加わった結果そのベース(スチール製円盤)が破損してしまった。

その結果リアサスペンションのマウント(固定)が用を成さなくなりサスペンション本体も破損してしまった。それでもスプリングだけは壊れなかったのでガタゴトつきながらも何とか走れた。」
と言うことだった。

隣のカフェで冷たいものを飲んで我慢していた小用を済まして戻るとワークショップの床には壊れたリアサスペンションとオイルにぬれたぼろぼろになったラバーブーツなどが見るも無残な姿を横たえていた。*(バツ)*

しばらくマネージャー以下5人組がその壊れたものを取り囲んで相談していた。
英語がしゃべれる大兄いとマネージャーの二人がやって来て“すまないが修理は明日の朝11時ごろになる。
修理が終わるまで車はここへ置いてくれ。だから明日の朝また来てくれ。”
と説明してくれた。

よくわかる。今は修理に必要な交換パーツがないのだ。
どんなに早くてもまあ修理は明日になるだろうとは予想していたしその覚悟も出来ていた。

さてと,
どうやって今晩の宿泊先を見つけそこへたどり着こうか?
そして明日の朝またここへ戻ってこなければ。
修理代はいくらかかるのだろう?
現金はドルとユーロの手持ちしかないのでいつどこでクリブナへ両替しようか?
あっそうだ今日は昼飯を食べていなかったんだっけ!
このぶんでは晩飯もヤバイかな?

と逡巡していると英語のわかる大兄いさんが,
“お前たち今晩はどこへ泊まるのだ? 良かったらおらの知っているホテルへ連れて行ってやるぞ。”
とおっしゃる。
二つ返事で,“ではぜひそうしてくれ!”
とお願いした。*(笑顔)*

もう時刻は午後9時半過ぎ彼らもよく働くがもう閉店時間だ。
親切な人たちで本当に助かった。

宵闇が漂い始めたころ我々とその大兄いを乗せた大宇製の小型車タクシーはちょうどこの街の反対側にある瓦屋根に蒼いネオンサインで表示された“MOTEL NON-STOP”へたどり着いた。

今日は8月15日,日本では終戦記念日です。
しかし我々にとっては突発的困難遭遇疲労困憊顛末道中の日でした。
将来も恐らくずっとず~っと“忘れがたき日”になりました。*(地球)**(砂時計)*

ここホテルの名前“NON-STOP”なんて我々の事情を知っているはずもないけど妙にいやみっぽく響く。

そこではやっぱり危惧した通り晩飯も摂れませんでした。
仕方がないので持参のポテトチップと部屋の冷蔵庫から取り出したコーラをすきっ腹に収めました。

しかし考えようによっては修理屋へ車を持っていけたしそれから今晩はまともな寝るところがあっただけでも幸運でした。窮地に陥った我々を助けてくれた大兄いさんらにただただ感謝でした。*(ハート6つ)*

浴室には湯船があったのでゆっくりこの長い一日のたくさんの出来事を思い出しながら重い汗をさっぱり洗い落として明日を想って眠りに着きました。

明日はまたウクライナの暑い夏日が続くのだろうか。オランダの自宅はまだ遥かかなたにあるのだ。

次回は修理屋での顛末と旅のその先を書きます。


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