奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

伊勢神宮外宮へ

2023-05-25 21:12:30 | 神社・寺・古墳など
5月9日から11日まで、伊勢・鳥羽に旅行に行きました。引越やらコロナやらでずっと出かけられなかったので、5年ぶりの旅行になりました。初日は二見浦に行き、二日目は伊勢神宮内宮、そして、三日目に伊勢神宮外宮に行きました。その外宮の写真です。

崇神天皇の代にそれまで宮中で祀られていた天照大神があまりに畏れ多いと考えて、大和の笠縫宮にお祀りしました。その後、さらに良い土地を探すために、命を受けた倭姫命が各地を巡り、垂仁天皇の代に伊勢の地にお祀りしたのが内宮です。それから500年経った雄略天皇の代に天照大神のお食事を司る神を祀るとして造られたのが外宮でした。





鳥羽に泊まっていたので、近鉄電車で伊勢市駅に行きました。駅のすぐ横に、鳥居がありました。





ここから外宮参道が始まります。前日に行った内宮のおかげ横丁と比較すると、ずいぶん、静かでした。



この参道沿いに建つ家の玄関にはこんな注連縄がありました。「蘇民将来子孫家門」と書かれているのですが、その由来については三重県のHP()に書かれていました。スサノオノミコト(牛頭天王)が旅の途中、蘇民将来・巨旦将来という兄弟の住む土地に立ち寄りました。二人に一晩の宿を頼んだのですが、裕福だった巨旦将来は貧しい身なりのスサノオノミコトを断ったのですが、貧乏な蘇民将来は快く受け入れたとのことです。スサノオノミコトは喜び、今後、悪病が流行ってときは蘇民将来の子孫であることをいい、腰に茅輪をつけなさいと言って立ち去ったということです。それで、現在でも蘇民将来子孫家門と書いた注連縄を飾ることになったということです。





しばらく歩くと、こんな大きな木の灯篭が立っていました。



ここが入り口のようです。



この橋が火除橋です。



入ったところに手水舎がありました。



その横にはせんぐう館の休憩所がありました。



すぐ前には立派な奉納舞台がありました。



参道を行くと第一鳥居が見えてきました。



鳥居を過ぎると、こんな薄暗い参道が続きます。



そして、第二鳥居に着きました。



すぐ右側には神楽殿がありました。



さらに進むと正宮が見えてきました。ここには天照大神の食事を司る豊受大御神が祀られています。



内宮と同じで、写真はこの入り口までしか撮れません。



中でお参りをした後、左の出口から出てきました。



伊勢神宮はどこも質素な建物ばかりです。これは正宮の塀です。



正宮の建物は二十年に一度、式年遷宮といって、建て替えをするのですが、そのための土地が横に用意されています。



しばらく歩くと、別宮 風宮がありました。ここは風雨を司る級長津彦命、級長門辺命を祀っています。



そして、こちらは別宮 土宮です。ここは地主の神である大土乃御祖神が祀られています。



その奥に細い道があるので行ってみました。



ここは下御井神社で、内部には井戸があり、お祭りにお供えする水を頂くところだそうです。



出口は入り口と違う場所に出てきました。これは北御門口鳥居です。



最後にせんぐう館に行ってみました。ここは式年遷宮に関係した展示館です。展示はなかなか見ごたえがありました。特に、外宮正殿の原寸大の模型は圧巻でした。


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