3月19日に名古屋城へ行きました。そのときに撮った写真の続きです。

不明門をくぐって、いよいよ本丸に入りました。そこから見上げた天守閣です。目の前にあるので、大変立派に見えます。耐震性がないので、入場ができないのが本当に残念です。

少し離れたところから撮りました。左側が小天守閣で、天守閣と小天守閣の間が剣塀になっています。

これが本丸御殿です。

さらに、遠くから撮ってみました。天守閣と小天守閣がよく分かります。

天守閣は南北に建っていて、右が北側、左が南側になります。


金鯱も撮ってみました。上の写真が北側の金鯱、下の写真が南側になります。説明によると、創建時の金鯱は慶長大判1,940枚、重さ215.3 kgの金が用いられたのですが、空襲で焼失した後、昭和34年に復元されたときには鉄骨鉄筋コンクリートで作られ、その上に厚さ0.15 mmの金板を貼ったそうです。金の重さはそれぞれ40 kgを超えるようです。鯱は頭が龍、胴が魚という空想の生き物だそうです。また、北側が雄、南側が雌で、大きさとデザインが異なるそうです。確かによく見ると違っていますね。

この後、本丸御殿に入ってみることにしました。入り口で、何人かずつ集めて注意がなされました。リュックを背に担いでいると障子を破るかもしれないので、腹側にしてくださいというような説明でした。入り口で、履物を預け、手荷物をロッカーに入れてやっと中に入ることができました。

説明書によると、本丸御殿は尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により1615年に作られたとのことです。格式の高い御殿として知られたのですが、空襲で焼けてしまいました。それで、平成21年から復元に着手して、平成25年から公開を開始したとのことです。写真は中の廊下です。



廊下を歩いていると、襖絵が置いてありました。金箔が貼ってあるので光っています。名古屋城のHPによると、これは「竹林豹虎図」といって、狩野派の傑作で、重要文化財になっています。本丸御殿は空襲で焼失してしまいましたが、襖や天井板絵などは取り外されて別の場所に保管されていたため、多くが焼失を免れたとのことです。


さらに、進むとこんな部屋が見えてきました。やはり金箔でピカピカです。




しかし、こんな金箔の部屋が延々と続いていきます。鳥の絵が多いですね。



次から次へと部屋が出てきます。いったいどこを歩いているのか、途中でさっぱり分からなくなりました。



欄間の透かし彫りです。とにかく見事でした。


本丸御殿の見学が終わったので、そろそろ戻ることにしました。これは本丸表一之門跡です。これも空襲で焼けたので復元です。

清正の石曳です。天守の石垣普請は加藤清正に割り当てらました。清正自ら、石の上に乗り音頭を取ったと伝えられているので、それを表した像だそうです。


その横には梅林がありました。



ここから、東門に向かう途中で桜の花が満開でした。「名古屋城に咲く花」によると、オオカンザクラのようです。
これで名古屋城見学が終わりました。さすがに名古屋城だけあって、見る場所が多く、また、見ごたえがありました。

不明門をくぐって、いよいよ本丸に入りました。そこから見上げた天守閣です。目の前にあるので、大変立派に見えます。耐震性がないので、入場ができないのが本当に残念です。

少し離れたところから撮りました。左側が小天守閣で、天守閣と小天守閣の間が剣塀になっています。

これが本丸御殿です。

さらに、遠くから撮ってみました。天守閣と小天守閣がよく分かります。

天守閣は南北に建っていて、右が北側、左が南側になります。


金鯱も撮ってみました。上の写真が北側の金鯱、下の写真が南側になります。説明によると、創建時の金鯱は慶長大判1,940枚、重さ215.3 kgの金が用いられたのですが、空襲で焼失した後、昭和34年に復元されたときには鉄骨鉄筋コンクリートで作られ、その上に厚さ0.15 mmの金板を貼ったそうです。金の重さはそれぞれ40 kgを超えるようです。鯱は頭が龍、胴が魚という空想の生き物だそうです。また、北側が雄、南側が雌で、大きさとデザインが異なるそうです。確かによく見ると違っていますね。

この後、本丸御殿に入ってみることにしました。入り口で、何人かずつ集めて注意がなされました。リュックを背に担いでいると障子を破るかもしれないので、腹側にしてくださいというような説明でした。入り口で、履物を預け、手荷物をロッカーに入れてやっと中に入ることができました。

説明書によると、本丸御殿は尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により1615年に作られたとのことです。格式の高い御殿として知られたのですが、空襲で焼けてしまいました。それで、平成21年から復元に着手して、平成25年から公開を開始したとのことです。写真は中の廊下です。



廊下を歩いていると、襖絵が置いてありました。金箔が貼ってあるので光っています。名古屋城のHPによると、これは「竹林豹虎図」といって、狩野派の傑作で、重要文化財になっています。本丸御殿は空襲で焼失してしまいましたが、襖や天井板絵などは取り外されて別の場所に保管されていたため、多くが焼失を免れたとのことです。


さらに、進むとこんな部屋が見えてきました。やはり金箔でピカピカです。




しかし、こんな金箔の部屋が延々と続いていきます。鳥の絵が多いですね。



次から次へと部屋が出てきます。いったいどこを歩いているのか、途中でさっぱり分からなくなりました。



欄間の透かし彫りです。とにかく見事でした。


本丸御殿の見学が終わったので、そろそろ戻ることにしました。これは本丸表一之門跡です。これも空襲で焼けたので復元です。

清正の石曳です。天守の石垣普請は加藤清正に割り当てらました。清正自ら、石の上に乗り音頭を取ったと伝えられているので、それを表した像だそうです。


その横には梅林がありました。



ここから、東門に向かう途中で桜の花が満開でした。「名古屋城に咲く花」によると、オオカンザクラのようです。
これで名古屋城見学が終わりました。さすがに名古屋城だけあって、見る場所が多く、また、見ごたえがありました。