なおパパ日記

前日の自分からの変化/成長を記録してみます!

癌は優しい?厳しい?

2012年01月15日 | コトダマ
今朝、仙台の実親から電話がありました。
声のトーンに普段の明るさが無かったので、気になっていたところ、実父親の長姉(鹿児島在住)に”すい臓癌”が見つかったとのこと。
今年で88歳になる私の叔母の選択肢は、手術は無理で投薬などの治療のみ。
つまり、よほどのことがない限り、癌の進行を止めることはできないというもの。

さぁ、この事実に対して、どのように捉えるのかは、現象学(心理学)を学んだものの真価が問われると思い、母親の気持ちを理解することに専念。
結局、30分以上、電話で気持ちを確認しましたが、母親は叔母の決定事項を尊重することが大切。
お見舞いのための鹿児島訪問も不要。自分の身辺整理を自分で実施したいという気持ちも尊重。
主治医か、本人からの連絡がなければ、現時点は動かないというもの。


このことを私の兄弟に連絡したところ、近々鹿児島に行って来るとの連絡が。。。
確かにお世話になった叔母なので、生きているうちに会いたいという気持ちは理解できます。
しかし、当の叔母は、88年の人生を1人(両親が戦争で他界したので、親代わりという事情で)で生き抜いてきたこともあり、人一倍、人に心配をかけたり迷惑をかけることが苦手で、仕事や家庭で忙しい甥っ子・姪っ子が鹿児島まで来てくれたら、おもてなしをしたくなってしまい、自分自身も疲れると思っているんでしょうね。

周囲がこの気持ちに気付けるかどうかがひとつのポイントであるとともに、残される(可能性が高い)人たちの気持ち<生きているうちにお礼を言いたい>をうまく伝えるにはどうしたらいいのか思案しています。

いずれにしても、ひとつの出来事に対して、いろんな見方があることは理解できてきました。




ちょっと直接的ではありませんが、今日の一言。
 『癌という病は、優しいものかもしれない』
これは、心理学の講座の中で、師匠の衛藤先生が教えてくれた言葉です。

少し補足すると、禅の世界に『生・老・病・死』という言葉があり、人間は生まれてきたら、老いていき、やがて病気になり、死んでいく。ということを表わしています。
しかし、現代においては、『老・病』をバイパスしてしまう死に方(例えば事故死、自殺など)があるので、生まれてきたら必ず死ぬということが変えることのできない事実になっていると思います。
この事実を理解していると、人間は必ず死ぬことは理解できることになります。
残された問題は、”いつ”ということに特化されるわけです。

元気な毎日を送っていると、”いつかは”死ぬ!という程度の認識で死の時期を意識しない人が多いのです。
しかし、癌という病気は多かれ少なかれ”死の時期”を意識するに十分な存在なのです。
死を意識した瞬間に、該当者への接し方が変化するというのはいいことか悪いことを議論するつもりはありませんが、ある程度”死”を意識した生き方=<生きていることへの感謝>を思い出させてくれるので、優しい病気と考えることができる。

こういう考え方もあるという程度で捉えてくださると幸いです。(決して、こう考えないとダメ!って思っていませんので)

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