パソコンを駆使できるようになってきたら、ペンを持つ手がおぼつかなく、以前より丁寧な文字が書けなくなってきた。
目の悪さも影響してきたのかも知れぬ。(老眼)
元々が走り書きをするような癖があるので、なるべくゆっくり丁寧に書いていたが、それさえも忘れかけている。
先日、軽井沢の「堀辰雄記念館」を訪れた時に、彼の直筆原稿を見て、悩みは吹き飛んだ!
私と同じような走り書きの原稿でした。
室生犀星、川端康成、などの弔辞の文字もそれなりである。文学者と比較するのは恥じ入ることだが。
下手よりは上手に越したことは無いが、要は心を伝える手段としての文字、と考えれば気も楽になる。
今、この年で愚かにも毛筆のかな文字を練習しようとCAFE友のアドバイスを戴き、テキストを購入し、準備に入りました。
堀辰雄は明治37年生まれ、第一高等学校から東京帝国大学文学部を卒業。
高校在学中に、室生犀星、芥川竜之介と知遇を得、小林秀雄、永井龍男らと同人誌にも関係する。
1930年「聖家族」で文壇デビュー。
妻、綾子と共に肺結核を患い八ヶ岳の療養所に入院。しかし、妻はその冬他界する。その体験が「風立ちぬ」の題材となった。
その後、「かげろふ日記」「大和路・信濃路」のような随想的文章を書き始める。
「菜穂子」(1941年)は既婚女性の家庭の中での自立を描く作品。
彼のベースにあるものは「生・死・愛」が主題になっています。49歳で他界。
目の悪さも影響してきたのかも知れぬ。(老眼)
元々が走り書きをするような癖があるので、なるべくゆっくり丁寧に書いていたが、それさえも忘れかけている。
先日、軽井沢の「堀辰雄記念館」を訪れた時に、彼の直筆原稿を見て、悩みは吹き飛んだ!
私と同じような走り書きの原稿でした。
室生犀星、川端康成、などの弔辞の文字もそれなりである。文学者と比較するのは恥じ入ることだが。
下手よりは上手に越したことは無いが、要は心を伝える手段としての文字、と考えれば気も楽になる。
今、この年で愚かにも毛筆のかな文字を練習しようとCAFE友のアドバイスを戴き、テキストを購入し、準備に入りました。
堀辰雄は明治37年生まれ、第一高等学校から東京帝国大学文学部を卒業。
高校在学中に、室生犀星、芥川竜之介と知遇を得、小林秀雄、永井龍男らと同人誌にも関係する。
1930年「聖家族」で文壇デビュー。
妻、綾子と共に肺結核を患い八ヶ岳の療養所に入院。しかし、妻はその冬他界する。その体験が「風立ちぬ」の題材となった。
その後、「かげろふ日記」「大和路・信濃路」のような随想的文章を書き始める。
「菜穂子」(1941年)は既婚女性の家庭の中での自立を描く作品。
彼のベースにあるものは「生・死・愛」が主題になっています。49歳で他界。