NANNJYAIブログ

人生は旅、利他愛こそ人の道しるべ!

善人と悪人

2006-07-31 08:45:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。悪人が健康で仕事もうまくいき、善人が苦しい思いをしていることがよくあるのは何故?

*(ドキュン)*自然の摂理を地上界の現実に照らして判断するのは、基準があまりにもお粗末過ぎます。

地上人生は途方もなく巨大な宇宙人生のほんの短い一面に過ぎず、個々の生命は死後も永遠に生き続けるのです。

ですが、それはそれとして、地上の現実を、今仰ったような表面的な実情で判断してもよいのでしょうか。

心の奥、魂の中枢、精神の内側までのぞき見ることができるでしょうか。

一人ひとりの内的生活、ひそかに抱いている思い、心配、悩み、苦しみ、痛みがわかるものでしょうか。

わかるのはそのほんの一部でしかありません。

実際は、あらゆる体験が魂に刻み込まれているのです。

楽しみと苦しみ、喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐の体験を通して、霊性は磨かれていくようになっているのですよ。

*(コム)*艱難辛苦を遠ざけて生きても意味がないということですね。ありがとう。

大自然の摂理ー3

2006-07-30 14:31:00 | 日記
*(ドキュン)*人間は自分自身が、自分の魂の庭師です。英知と優雅さ、美しさといった霊性の豊かさを身につける上で必要なものは、すべて大霊が用意してくださっています。

道具は全部そろっているのです。あとは各自がそれをいかに賢明に、いかに上手に使うかにかかっています。

大霊は無限なる存在であり、あなた方はその大霊の一部です。

完全な信念をもって摂理に忠実な生活を送れば、大霊の豊かな恵みにあずかることができます。

これは地上の誰についても、例外なく言えることです。真理に飢えた人が完全な信念に燃えれば、きっと然るべき回答を得ることでしょう。

摂理とはそういうものです。何事にも摂理があります。その摂理に忠実であれば、求める結果が得られます。

もし得られないとしたら、それはその人の心掛けが摂理にかなっていないことの証でしかありません。

歴史書をひもといてごらんなさい。最下層の極貧の出でありながら、正しい心掛けで真理を求めて、決して裏切られることのなかった人は少なくありません。

求めようとせずに不平をかこつ人を例にあげて、なぜあの人は・・・・・といった疑問を抱いてはなりません。

もう一つの摂理をお教えしましょう。

代償を支払わずして、価値あるものを手にすることはできないということです。

優れた霊媒現象を手にするには、霊的感性を磨かねばなりません。

それが代償です。

それをせずに金銭を蓄えることに専念すれば、それにも代償を支払わなければいけなくなります。

金儲けに目がくらんで本来の使命をおろそかにすれば、この地上では物的な豊かさを手にすることが出来るかもしれませんが、こちらへ来てから本来の自我がいかに貧しいかを思い知らされます。

大自然の摂理ー2

2006-07-29 13:46:00 | 日記
*(ドキュン)*因果律の働きは完璧です。原因があれば数学的正確さをもって結果が生じます。

その原因と結果のつながりに寸毫たりとも影響を及ぼす力を持つ者は一人もいません。刈り取る作物は蒔いた種から生じているのです。

人間はみな、地上生活での行いの結果を魂に刻み込んでおり、それを消し去ることは絶対にできません。

その行いの中に過ちがあれば、その行為の結果はすでに魂に刻み込まれており、その一つ一つについて、然るべき償いを終えるまでは霊性の進化は得られません。

因果律は根源的なものであり、基盤であり、変更不能のものです。自分が種を蒔いたものは自分で刈り取る・・・これが絶対的な摂理なのです。

原因があれば、それ相当の結果が数学的正確さをもって生じます。それ以外にはありえないのです。

かわって、その結果が新たな原因となって結果を生み出し、それがまた原因となる・・・この因果関係が途切れることなく続くのです。

咲く花は、間違いなく、蒔いた種に宿されていたものです。

無限の変化に富む大自然の現象は、大きいものも小さいものも、単純なものも複雑なものも、みな因果律にしたがっているのです。

だれ一人として、また何一つとして、その因果関係に干渉することはできません。もしも原因に不相応の結果がでることがあるとすれば、地上界も、 物的宇宙も、霊的宇宙も大混乱に陥ります。

私の言う大霊もあなた方の言うゴットも、創造神も絶対神も、愛と英知の権化でもなく全存在の極致でもなくなります。

宇宙は、絶対的公正によって支配されています。

もしも犯した過ちが、呪文やマントラを口にするだけで消し去ることが出来るとしたら、摂理が完全でなかったことになります。自然の大原則が簡単に変えられたことになるからです。

大自然は、人間的な願望にはおかまいなく、定められたコースをたどります。成就すべき目的があるからであり、それはこれからも変ることはありません。

恵みある結果を手にすることが出来ます。あなたの心のもち方次第で、大自然は豊かな実りをもたらしてくれるということです。

善い行いをすれば、それだけ霊性が増します。利己的な行いをすれば、それだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけは誤魔化す事ができません。

死の床にあっていくら懺悔の言葉を述べても、それで悪行がもたらす結果から逃れられるというものではありません。

どの法則も大法則の一部です。いずれも大霊の計画の推進のためにこしらえられたものですから、全体としての調和を保ちながら働きます。

これは、物質界の人間は男性・女性の区別なく、自分が犯した罪は自分の日常生活における苦難のなかで自分で償うしかないこと、それを自分以外の誰かに転嫁できるかのように説く過った教義は捨て去らなければならないことを教えています。

大自然の摂理ー1

2006-07-28 12:22:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、宇宙の全生命を統率している摂理について教えてください。

*(ドキュン)*こんにちは、隊員ーkさん。少し長くなりますから、何回かに分けて聴いてくださいね。

私たちは、大霊の定めた永遠不変の自然法則を第一義として、これに敬虔なる忠誠心と真心を捧げます。

絶対にしくじることのない摂理、絶対に誤ることのない法則、身分の上下に関係なく、全ての存在にわけへだてなく配剤されている英知だからです。

だれ一人として無視されることはありません。
だれ一人として見落とされることはありません。
だれ一人として忘れ去られることはありません。
だれ一人として孤立無援ということはありません。

大霊の摂理・法則が行き届かなかったり、その枠から外れたりする者は一人もいないのです。

この宇宙に存在するという、その事実そのものが、大霊の法則が働いたことの証なのです。

人間がつくる法律は、そのまま適用できないことがあります。書き換えられることがあります。

成長と発展が人間の視野を広げ、知識が無知を駆逐し、状況の変化が新たな法律を必要とすることになれば、古い法律は破棄されたり改められたりします。

しかし、大霊が定めた摂理は、新たに書き加えられることがありませんし、“改訂版”を出す必要もありません。

修正されることもありません。今働いている摂理はすべて、無限の過去から働いてきたものであり、これからもそのまま永遠に働き続けます。

不変にして不滅です。

利他愛・人類愛

2006-07-27 14:05:00 | 日記
*(コム)*愛ちゃん、教えて。
私たちはどのような心構えをもっていたら良いのでしょうか?

*(ドキュン)*女神さまがおっしゃっています。

「真実の祈りは偉大なる霊的行為です。祈りの言葉はたった一言しかありません。

“何とぞ私を大霊の僕とし、人のために役立てる方法を教え給え”大霊のため、そして大霊の子らのために一身を捧げたい・・・・・。

この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。

*(ドキュン)*魂の奥底から、「真の人類愛」があればこそ「もっともっと自分を全人類のために役立てたい。できることなら自分の一生涯をそのためだけに捧げたい」という祈りが可能となります。

自分を人類のために捧げ尽くしたいと願う“真実の祈り”の中には、一片の利己性もありません。

祈りそのものが人間の真実の人類愛を示し、魂の崇高さ・霊性の高さを示しています。

“深い祈り”は、全人類愛そのものであり、全人類愛の一部分となっています。

理想とする「霊的同胞世界」は、地上人類がお互いに純粋な利他愛・人類愛で愛し合い、真実の祈りを捧げ合うところに実現するのです。