・・・・・いよいよ石碑を建立する段となり、何処に立てるかを検討することになり、その土地一帯の産土神社の宮司・山本参河(みかわ)を呼んで相談する。
・・・・・依頼を受けて来た宮司・山本氏は白衣に袴を着用し、病人の上座に席を取った。むろん、それまでの経緯については何一つ知らない。
・・・・・そこで宮司・大門と伝四郎の二人でそれまでの経緯を話し聞かせ、石碑を何処に設置すべきか意見を聞きたいと言うが、宮司・山本はすぐには合点がいかず茫然ととして無言。
宮司・大門・・・貴殿のご不審はもっともなれど、拙者の調べによれば、これがまさしく一人の武士の霊なることはもはや一点の疑いもござらぬ。
それゆえ石碑建立の議も承諾いたしたり。ただし、貴殿をはじめ一座の方にいささかなりとも疑いあれば、腑におちるまで直接その霊に問われて結構でござる。
・・・・・と言うと、三、四十人の一座の者たちも口々に・・「誠に恐れ入ったる霊魂にござる。一点の疑念もなし。」・・と言うのだった。
・・・・・その後、いくらかの宮司・山本の一般的な質問などがあり、場所もきまり、どんな形にして鎮むるかを質問する。
武士の霊・・・ともかくも修法どおりに為し給え。その法に従いて還(うつ)り申さん。
宮司・山本・・・白木の箱に零璽(れいじ)をおきて、それに鎮むる法もあり。
・・・・・武士の霊もそれを承知し、早速製作にかかり、用意もできたので
宮司・山本・・・さて、箱もすでに出来上がり、海水にて洗い清めおきたり。追々還り給え。
武士の霊・・・まことにご苦労に存ずる。用意万端整いなば、即刻還り申すべし。
・・・・・いよいよ別れとなると、一同、若干の寂しさもあり、又、聞き逃したこともあり、再度、武士の霊に質問する。
漢方医・吉富・・・いよいよ離れられる段になりては、いささか名残り惜しき心地せり。今少しお尋ねしたき儀がござるが・・・・。
・・・・・そこで、質問がでる。・・霊界に帰るとそのまま永遠に同じ状態でいるのか? 時とともに変化するのか、形態はどのようになるのか??と
武士の霊・・・されば一言語りおくべし。尋常に帰幽せる霊は同気の者にかぎりて一所に集まりおれど、そはただ居所が同じというまでにて、多くの霊が一つになるにはあらず。
志の同じ者は幾人にても集合して一つになることあれど、そは一時のことにて、万代までも一つになるにはあらず。
霊の形は顕世と同じく、折にふれて少しは変わることもあり。また、中には主宰の神のお計らいにて再び顕世に生まれくる者もあり。
それらのことは長く霊界におれば、次第に明らかになるものなれど、奥深きことは拙者がごとき凡霊の遠くおよばざること甚だ多し。
顕世に在りし時、忠孝その他の善事を務め、誠実に心を尽くしながら報われずして帰幽せる者は、霊界にて報われて魂は太くかつ徳高くなり、現世にてその報いを受けたる者は、帰幽後は人並みの扱いを受くるに過ぎず。
さらに又、帰幽後に新たに功を立てて高くなる霊もあれば、現世にては善人なりしが、帰幽後に怒り(憎悪)を抱きて卑しき霊となる者もあり。
先月も申したるごとく、在世中に見たることは死後もよく覚えおれど、死して後の現世のことは、よくよく意念を集中せざれば明らかには知り難きものなり。
霊の世界も現世と同じ如くに認知せらるるものなり。これを思えば、貴殿のごとく霊のことに心を止められれば、死後の事情も知らるることもあるべし。
死して後は現界のことを知り得ても一向に益なし。これを思えば、現世にある者がみだりに死後の事情を知りても為にはならざるべし。
さらば諸宗(いろいろな宗教・宗派)が説ける俗説に惑わさるるべからず。
・・・・・そういい終わった頃に御霊還(みたまうつし)の儀式の準備ができ、その事を宮司・山本氏から告げられると
武士の霊・・・さてさて時を得て願望成就し、悦ばしきこと、これに過ぐるものはござらぬ。
・・・・・といって涙をながして喜び、今後この家に凶事の兆しがある時は、私が守護してあげます。と言って市次郎の体から離れていった。
その後市次郎の快復は目覚しく、九月二十九日には完全に平常に復した。
現在でもその末裔と近所の人たちが、七月四日にはささやかなお祭りをしています。百五十年余の歳月を一度も欠かすことなく祀られて、泉熊太郎の霊もさぞかしお喜びであろう。
・・・・・これにて、日本に残る唯一の記録概要案内を終了します。
・・・・・依頼を受けて来た宮司・山本氏は白衣に袴を着用し、病人の上座に席を取った。むろん、それまでの経緯については何一つ知らない。
・・・・・そこで宮司・大門と伝四郎の二人でそれまでの経緯を話し聞かせ、石碑を何処に設置すべきか意見を聞きたいと言うが、宮司・山本はすぐには合点がいかず茫然ととして無言。
宮司・大門・・・貴殿のご不審はもっともなれど、拙者の調べによれば、これがまさしく一人の武士の霊なることはもはや一点の疑いもござらぬ。
それゆえ石碑建立の議も承諾いたしたり。ただし、貴殿をはじめ一座の方にいささかなりとも疑いあれば、腑におちるまで直接その霊に問われて結構でござる。
・・・・・と言うと、三、四十人の一座の者たちも口々に・・「誠に恐れ入ったる霊魂にござる。一点の疑念もなし。」・・と言うのだった。
・・・・・その後、いくらかの宮司・山本の一般的な質問などがあり、場所もきまり、どんな形にして鎮むるかを質問する。
武士の霊・・・ともかくも修法どおりに為し給え。その法に従いて還(うつ)り申さん。
宮司・山本・・・白木の箱に零璽(れいじ)をおきて、それに鎮むる法もあり。
・・・・・武士の霊もそれを承知し、早速製作にかかり、用意もできたので
宮司・山本・・・さて、箱もすでに出来上がり、海水にて洗い清めおきたり。追々還り給え。
武士の霊・・・まことにご苦労に存ずる。用意万端整いなば、即刻還り申すべし。
・・・・・いよいよ別れとなると、一同、若干の寂しさもあり、又、聞き逃したこともあり、再度、武士の霊に質問する。
漢方医・吉富・・・いよいよ離れられる段になりては、いささか名残り惜しき心地せり。今少しお尋ねしたき儀がござるが・・・・。
・・・・・そこで、質問がでる。・・霊界に帰るとそのまま永遠に同じ状態でいるのか? 時とともに変化するのか、形態はどのようになるのか??と
武士の霊・・・されば一言語りおくべし。尋常に帰幽せる霊は同気の者にかぎりて一所に集まりおれど、そはただ居所が同じというまでにて、多くの霊が一つになるにはあらず。
志の同じ者は幾人にても集合して一つになることあれど、そは一時のことにて、万代までも一つになるにはあらず。
霊の形は顕世と同じく、折にふれて少しは変わることもあり。また、中には主宰の神のお計らいにて再び顕世に生まれくる者もあり。
それらのことは長く霊界におれば、次第に明らかになるものなれど、奥深きことは拙者がごとき凡霊の遠くおよばざること甚だ多し。
顕世に在りし時、忠孝その他の善事を務め、誠実に心を尽くしながら報われずして帰幽せる者は、霊界にて報われて魂は太くかつ徳高くなり、現世にてその報いを受けたる者は、帰幽後は人並みの扱いを受くるに過ぎず。
さらに又、帰幽後に新たに功を立てて高くなる霊もあれば、現世にては善人なりしが、帰幽後に怒り(憎悪)を抱きて卑しき霊となる者もあり。
先月も申したるごとく、在世中に見たることは死後もよく覚えおれど、死して後の現世のことは、よくよく意念を集中せざれば明らかには知り難きものなり。
霊の世界も現世と同じ如くに認知せらるるものなり。これを思えば、貴殿のごとく霊のことに心を止められれば、死後の事情も知らるることもあるべし。
死して後は現界のことを知り得ても一向に益なし。これを思えば、現世にある者がみだりに死後の事情を知りても為にはならざるべし。
さらば諸宗(いろいろな宗教・宗派)が説ける俗説に惑わさるるべからず。
・・・・・そういい終わった頃に御霊還(みたまうつし)の儀式の準備ができ、その事を宮司・山本氏から告げられると
武士の霊・・・さてさて時を得て願望成就し、悦ばしきこと、これに過ぐるものはござらぬ。
・・・・・といって涙をながして喜び、今後この家に凶事の兆しがある時は、私が守護してあげます。と言って市次郎の体から離れていった。
その後市次郎の快復は目覚しく、九月二十九日には完全に平常に復した。
現在でもその末裔と近所の人たちが、七月四日にはささやかなお祭りをしています。百五十年余の歳月を一度も欠かすことなく祀られて、泉熊太郎の霊もさぞかしお喜びであろう。
・・・・・これにて、日本に残る唯一の記録概要案内を終了します。