「食育」と言う言葉は、元々明治時代(1898年)、当時の西洋医学・栄養学批判をした石塚左玄と言う人が、自身の著書の中で造った造語だそうで、その著書で白米飯やパン食、肉が多く野菜の少ない食事は心身の健康を害すると唱え、当時の栄養学に対し、炭水化物、脂肪、たんぱく質だけを重要視し、ミネラルの作用を軽視している、塩や肉や魚をとりすぎればナトリウム過剰となり心身の健康を害すると主張しています。(←西洋文化をどんどん取り入れようとしていた明治時代に凄い人だな・・・一度文献を探ってみよう)
その後、同じく明治(1903年)に、石塚さんの著書を読んで信奉していた小説家の村井弦斎が『食道楽』と言う著書の中で「食育」という言葉を使用したそうです。
しかし、いずれも事実に基づかず、矛盾も多かったため、一般大衆には広まらなかったみたいです。
この明治に生まれた「食育」と言う言葉が、突然平成14年、自民党によって取り上げられます。平成14年、自民党の政務調査会に「食育調査会」が設置され、小泉総理が施政方針演説に「食育」と言う言葉を取り上げたのです。こうして、一気に「食育」と言う言葉が注目を浴び、マスコミ・研究者によって石塚・村井も再発掘されます。産地偽装など食の安全を揺るがす事件が多発した時代背景と、これまで使われなかった「食育」と言う言葉がマッチし、「食育」は俄かに注目、重要視され、平成17年「食育基本法」が制定されました。
この「食育基本法」に基づく、各指針は厚生労働省だけでなく、文部科学省、内閣府でも取り組んでいるので教育現場や役所など色んな所で「食育」という言葉を目にするようになったんですね
さて、その「食育基本法」の趣旨は、以下のようになっています。
(以下は、 リンクからの抜粋)
>二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。 子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。
んー文面だけ読むと、まっとうな趣旨に感じますね
しかし、どうやって実践していくのでしょうか。。。そこが希薄で、下手すると唯の栄養学になってしまうような気もします。そう思って、文部科学省が「中学生向け」に作った食育のサイトを覗いてみました。
リンク
いかにも食育サイトらしく、栄養素の話や健康的食事をとる方法等が書かれています。やっぱり栄養学的要素への偏りがあり、真の意味での「食の重要性教育」とは少し中身が違っているようにも感じます。そう思いながら読み進めると・・・
「ファーストフード店やコンビニエンスストアを賢く利用しましょう」と言うタイトルが
中身も微妙な言い回しですが、まるでファーストフード・コンビニでの食事を推奨するかのような内容が書かれています。そしてファーストフード・コンビニ食品の危険性等には全く触れられていません。(コンビニ食品の危険性はこちら、更にもういっちょ。ファーストフードの危険性はこの映画←見ると明日からマック食べれません。画像のドナルドみたいになります)
そもそも、食育理念とは程遠い、ファーストフード・コンビニ。小泉首相は、国際”スローフード”協会の会長と会談までしていたのに。。。
そこでまさかと思ってさらに調べてみると、こんなサイトを見つけてしまいました。リンク
なんと、マクドナルドによる食育サイト。オーマイガーット
素人の手つくりは衛生的に危険であるとし、徹底的な衛生管理・安全な食材・バランス食など、自社のハンバーガーを「食育素材」として徹底的にアピールしています!!
どうもマクドナルドは「食育」に相当に力を入れており「食育サイト」を運営するだけでなく、各大学等と連携しながら学校等で「食育公演」を積極的に繰り返しているとか。。
どーなってるんだ。。最初の食育理念はどーなったっ
石塚さん、村井さんが生きていたら、思いっきり怒られそうだ
「食育」と言う言葉が独り歩きし、食品業界の営業アピールとしていいように利用されているのでは!?サロンで一緒に追求している仲間が探してみると。。。出てくる出てくる。食品企業の食育活動
カルビー、コカコーラ グリコ (他にも調べると、森永・雪印・カゴメなどたくさん出てきます)
カルビーにコカコーラの食育って・・・
内容を見ていくと明らかに自社製品の安全性PRが主体。「食育」と言う言葉を”ダシ”に、学校教育を通じて、広告宣伝を行ってる。
これらを見ると、現在盛んに叫ばれる「食育」が偽者であると言うこと、「健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進する」と言う基本理念がタテマエに過ぎないと感じてしまいます。
>みんなと話してて思ったのは、今の家庭や学校という生産現場から切り離された場で食育を唱えたってうまくいかない。食育を考える上でも、やっぱり生産と消費が一体となった場=共同体の再生を考えていった方が近道なのだって思いました。
>「本源集団の再生こそが食育の決め手!」になるように思える。
生産と消費が切り話された、現在の家庭・学校で「食育」を考えても上手くいかない。それどころか共同体が再生されないまま「食育」を唱えたところで、全ては市場社会に絡めとられて、企業の正当化観念として使われるだけ。上記の企業による「食育活動・食育サイト」がそれを証明している。
なんかこの構造って「エコ」「環境活動」と一緒だと思う。
つまり、「食育」と言う言葉そのものが、「環境」や「エコ」と同じような正当化観念、欺瞞観念=旧観念そのものになってしまっている。
環境問題も、食育も、本気で実現しようとすれば、やっぱり「集団の再生」が第一課題のようです。
最後まで読んでくれてありがとう。最後にポチポチよろしく~
その後、同じく明治(1903年)に、石塚さんの著書を読んで信奉していた小説家の村井弦斎が『食道楽』と言う著書の中で「食育」という言葉を使用したそうです。
しかし、いずれも事実に基づかず、矛盾も多かったため、一般大衆には広まらなかったみたいです。
この明治に生まれた「食育」と言う言葉が、突然平成14年、自民党によって取り上げられます。平成14年、自民党の政務調査会に「食育調査会」が設置され、小泉総理が施政方針演説に「食育」と言う言葉を取り上げたのです。こうして、一気に「食育」と言う言葉が注目を浴び、マスコミ・研究者によって石塚・村井も再発掘されます。産地偽装など食の安全を揺るがす事件が多発した時代背景と、これまで使われなかった「食育」と言う言葉がマッチし、「食育」は俄かに注目、重要視され、平成17年「食育基本法」が制定されました。
この「食育基本法」に基づく、各指針は厚生労働省だけでなく、文部科学省、内閣府でも取り組んでいるので教育現場や役所など色んな所で「食育」という言葉を目にするようになったんですね
さて、その「食育基本法」の趣旨は、以下のようになっています。
(以下は、 リンクからの抜粋)
>二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。 子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。
んー文面だけ読むと、まっとうな趣旨に感じますね
しかし、どうやって実践していくのでしょうか。。。そこが希薄で、下手すると唯の栄養学になってしまうような気もします。そう思って、文部科学省が「中学生向け」に作った食育のサイトを覗いてみました。
リンク
いかにも食育サイトらしく、栄養素の話や健康的食事をとる方法等が書かれています。やっぱり栄養学的要素への偏りがあり、真の意味での「食の重要性教育」とは少し中身が違っているようにも感じます。そう思いながら読み進めると・・・
「ファーストフード店やコンビニエンスストアを賢く利用しましょう」と言うタイトルが
中身も微妙な言い回しですが、まるでファーストフード・コンビニでの食事を推奨するかのような内容が書かれています。そしてファーストフード・コンビニ食品の危険性等には全く触れられていません。(コンビニ食品の危険性はこちら、更にもういっちょ。ファーストフードの危険性はこの映画←見ると明日からマック食べれません。画像のドナルドみたいになります)
そもそも、食育理念とは程遠い、ファーストフード・コンビニ。小泉首相は、国際”スローフード”協会の会長と会談までしていたのに。。。
そこでまさかと思ってさらに調べてみると、こんなサイトを見つけてしまいました。リンク
なんと、マクドナルドによる食育サイト。オーマイガーット
素人の手つくりは衛生的に危険であるとし、徹底的な衛生管理・安全な食材・バランス食など、自社のハンバーガーを「食育素材」として徹底的にアピールしています!!
どうもマクドナルドは「食育」に相当に力を入れており「食育サイト」を運営するだけでなく、各大学等と連携しながら学校等で「食育公演」を積極的に繰り返しているとか。。
どーなってるんだ。。最初の食育理念はどーなったっ
石塚さん、村井さんが生きていたら、思いっきり怒られそうだ
「食育」と言う言葉が独り歩きし、食品業界の営業アピールとしていいように利用されているのでは!?サロンで一緒に追求している仲間が探してみると。。。出てくる出てくる。食品企業の食育活動
カルビー、コカコーラ グリコ (他にも調べると、森永・雪印・カゴメなどたくさん出てきます)
カルビーにコカコーラの食育って・・・
内容を見ていくと明らかに自社製品の安全性PRが主体。「食育」と言う言葉を”ダシ”に、学校教育を通じて、広告宣伝を行ってる。
これらを見ると、現在盛んに叫ばれる「食育」が偽者であると言うこと、「健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進する」と言う基本理念がタテマエに過ぎないと感じてしまいます。
>みんなと話してて思ったのは、今の家庭や学校という生産現場から切り離された場で食育を唱えたってうまくいかない。食育を考える上でも、やっぱり生産と消費が一体となった場=共同体の再生を考えていった方が近道なのだって思いました。
>「本源集団の再生こそが食育の決め手!」になるように思える。
生産と消費が切り話された、現在の家庭・学校で「食育」を考えても上手くいかない。それどころか共同体が再生されないまま「食育」を唱えたところで、全ては市場社会に絡めとられて、企業の正当化観念として使われるだけ。上記の企業による「食育活動・食育サイト」がそれを証明している。
なんかこの構造って「エコ」「環境活動」と一緒だと思う。
つまり、「食育」と言う言葉そのものが、「環境」や「エコ」と同じような正当化観念、欺瞞観念=旧観念そのものになってしまっている。
環境問題も、食育も、本気で実現しようとすれば、やっぱり「集団の再生」が第一課題のようです。
最後まで読んでくれてありがとう。最後にポチポチよろしく~
あやしいですねー
自然の摂理に学んだ方がよっぽど食育になると思うなー
なんのために健康でいる必要があるのか=目標をはっきりさせないと、どの程度の「食育」が妥当なのか、不明だよね。
これは「食育」だけじゃなく、健康志向一般に感じることだけど。
日本の食習慣を変えてきた首謀者の一人ですね
ホント最近、いい事そうって思わせるものって必ず市場が絡んでますよね。
なんでも金儲けに繋げる市場社会。
市場の根強さもヒシヒシと感じます・・
「食育」を叫ぶ企業ほど、危ない食品を作っていることの裏返しなのかも
母さんが、家族のために栄養を考えた献立を食卓に並べ、一緒に食べる。その中から、季節の食材を覚えたり、健康のことを覚えたり、さまざまなことを感じ取るのだと思います。
我が家では、それが「食育」なんだと思っています。
しかし、
>生産と消費が切り話された、現在の家庭・学校で「食育」を考えても上手くいかない。
そうですね。家庭だけでは限界を感じますね。
おふくろの味が懐かしいのも、仲間と共にする食卓が楽しいのも、個体の食欲という本能を超えたところで充足を感じているからなんじゃないかと思います。
そういう意味で、今捉えられている食育は、個人が原点という感じがして寂しい。もの足りない。
集団動物としての食のありよう。このあたりが本来的な食育には求められるんじゃないでしょうか。
「五思」
食事をするときに考えなければいけないことが5つある。
一.食べ物の恩 :その食べ物は誰がくださったのかを
思わねばならない
二.先人の恩 :昔の人に感謝の思いを忘れてはならない
調理方法や保存法を後世に残してくれたのだから
三.味わう幸せ :食べ物のおいしさに喜び、じっくり味わって幸せに思うこと
四.生産者の恩 :この作物を骨を折って作り出してくれた人にその苦労や苦しみに感謝しなければならない
五.食べれる幸せ :今食べていることへの幸せを思わなければならない
先人や生産者への感謝の念がこもっていて謙虚で本源的な感じがしますね。
ここのお店と、歌いながら混ぜ混ぜするアイスクリーム屋さん、最近復活したビックサイズが売りのハンバーガー屋さんは全て同じ会社がプロモートしています。その手法はサクラを使って行列を作り、メディアに取り上げてもらうというもの。
小手先の食育より、こうした市場の胡散臭さをもっと明らかにして欲しいと思います。