専業主婦&ママ 初心者マーク

2012年兼業主婦→専業主婦に転職、2013年初めての出産。いろいろ慣れない中での新しい日々を綴っていこうと思います。

東日本大震災から二年

2013-03-11 16:32:59 | 震災・原発
東日本大震災から二年が経ちましたね。

失われたたくさんの尊い命、心からご冥福をお祈りいたします。
そして今も多くの方が大変な生活を強いられ、
復興も原発事故の収束もまだまだ…。

私にとっても人生観が大きく変わる出来事でした。

ちょうど次の日、南三陸町のホテルに宿泊予定でした。
宿に行く前に海岸線をドライブしながら気仙沼のサンファンパークとかに行ってみようかなんて言っていて…
揺れるタイミングがずれていたら津浪に巻き込まれていたかもしれません。

生かされていることにあらためて感謝です。

震災の起きた時は仕事中で、免震構造の建物の一階にいました。
なので揺れに驚いたものの最初はこんなに大変な事態を実感していませんでした。

次第にテレビでは津波で車が流されている、なんて聞きながら、
避難者対応にあたって帰宅したのは24時近く。

道路や建物が崩れているのを横目に、停電で真っ暗な中をこわごわ自転車を押して歩きながら、
本当に大変なことになったと実感しました。

携帯の灯りをたよりに外階段を11階までのぼってたどりついた我が家も、
食器が割れて散乱したり、なべの中身がぶちまかれたりしていました。

明け方、相方が帰宅。
ちょうど高速バスに乗っていたので、東京から16時間くらいかかったものの帰ってきてくれました。

車もなかったので、もしこの時、単身赴任先にいたらしばらく帰ってこれなかっただろうと思うと
ほんと絶妙なタイミングでした。
11階の我が家で何度も続く余震はかなり怖くて、そばにいてくれてどれだけ心強かったか…。

そして翌日からは、避難者対応で食糧をバケツリレーしたり、
必至に目の前のことをこなしていく毎日でした。

我が家の被災者生活は水道が復旧するまで一週間。

食べ物は、電気が翌朝に復旧したので、冷蔵庫の食糧が助かり、買い置きのお菓子や
相方が翌日にスーパーの駐車場青空市場などで買い込んできてくれたもので食いつなぎました。
お腹いっぱい食べれなかったり、寒い時期にあたたかいものが食べれないのは、
こたえますね。

一番辛かった水。飲み物もお風呂も洗濯もトイレも本当に大変でした。

真ん中あたりで一度、なんとかお風呂炊いたよ~、と実家から連絡がありもらい湯へ。
お風呂に入る幸せ、あの気持ちよさは忘れられません。

トイレの水はなるべく職場で済ませ、近所の避難所のトイレを借りたり、
相方も参加してマンションのみなさんが川からくんできた水を使ったりしました。

ガソリン不足も深刻で、あのガソリンスタンドの行列や飛び交うGS情報…。
放射能の怖いけど車で送ってもらえないジレンマ…。

もちろん家をなくしたり、原発からの避難で避難所にいた方に比べたら、
辛いなんて言ったら申し訳ないレベルですが、
それでもかなり精神的に辛かったです。

そんな時、安否を連絡しあったり、必要なもの送るよ、と連絡くれたり、
親戚や友人の心遣いは本当にありがたかったです。

原発事故についてなど長くなりそうなので、また後日…。