Blue Blanket

留学、永住、看護学博士取得、そして今は医学系翻訳者。暑さと虫嫌いの酒飲み女が、熱帯のケアンズでどう生きる!?

ご心配をおかけしました

2011-02-04 | ケアンズ生活
いろいろご心配おかけしました。

進路が南にずれたおかげで、ケアンズは予想されたほどの被害はなく、私も今住んでる家も無事です。
それにしても、日本全土が余裕ですっぽり入って余りある大きさのサイクロン、本気で怖かったです。
以下は、長々と自分の覚え書きのように書いているだけなので、お時間がある方だけ暇つぶしにでも読んでみてください。




今回のサイクロンの前にもひとつこの付近を通過したのですが、ケアンズは豪雨も強風もなく、ちょっと油断してました。

さて、いよいよ深刻な事態だと理解したのが火曜日の昼頃。
この地域のメインの病院から、200名以上の患者の搬送(避難)が始まりました。
そして、ニュースではその時点でカテゴリー3のサイクロンが、上陸時にはカテゴリー4、最悪5に成長するだろうと。
さらにケアンズ直撃の可能性が高いと。

すぐに今週の研究関係のミーティングをすべてキャンセルし(先方も同じ状況なので当然っちゃあ当然)、避難勧告に備えて荷物をパッキングしました。
突風と洪水両方の危険があるので、家の補強と家具の移動。
私は災害時の必需品、乾電池やキャンドルの予備を求めてあちこちへ
どこも売り切れで、2時間近くさまよってやっといくつかゲット。
あとは、コンピュータや研究の大事な資料、数日分の着替えなどもできる限り車に詰め込みました。

その夜はまだ風も強くなく、まったく兆しは感じませんでした。

ただ、カウンシルのウェブサイトで確認すると私たちの住むストリートは避難勧告地域に入ってました。
そして深夜3時に電話会社を通じてケイタイに政府から朝のうちに避難するようお知らせが。

水曜日の朝はまだ全く普段と変わらず、近所の人達と相談しつつ家の補強や食料確保などしました。
そして11時前、避難所に移動しようとしたまさにそのとき、ラジオから、避難所がフル(満員)となり、これ以上は収容不可能だと。
避難勧告エリア以外のショッピングセンター、学校などすべて収容不可になってしまったとのこと。

近所の人達も、家に残る決断をする人、友人宅に避難する人などいろいろ。

その時点ではまだ風も雨もなかったので、ウチはとりあえず近くの安全そうな場所を下見に出かけました。
数カ所回って、避難勧告エリア内ではあるけれどウチよりは頑丈で安全そうな、ショッピングセンターの駐車場で一晩過ごすことに決めました。

壁も天井もない屋上しか車を止めるスペースが空いてなかったので、車の無事を祈りつつ屋上に置き、その下の階で野宿することに。

完全に屋内ではないですが、とりあえず雨と風はダイレクトには入らない構造になっているので、そこに午後からずっといました。

夕方になってショッピングセンターのセキュリティの人達が、私達の他にも30~40名くらいいた避難民の確認に来てくれ、安全のために1つのブロックでみんな過ごすことに。

一番困ったのがトイレなんですが、これもセキュリティの人達が数時間ごとにセンター内部に誘導してくれました。

1時間ごとにラジオをチェックしていたのですが、サイクロンはカテゴリー5、速度が遅れて上陸は真夜中、でも進路がやや南に向かっていることもわかりました。

それでも、夜11時頃からの突風は、音だけで身がすくみそうなほど。
時々何か大きなものが飛ばされてぶつかっているような音が、恐怖感をあおってくれました。

そんな深夜をiPodに癒されつつ乗り切り、朝6時のニュースではサイクロンはカテゴリー3となり内陸に向かったと。

しばらくは断続的に豪雨と突風があるとはいえ、ピークは乗り切ったということで小康状態の時に車2台で家に向かいました。

家は、補強にも関わらず雨や木葉が吹き込んだ箇所もありましたが、無事。
電気は止まっていたようですが、午後には回復しました。

木曜の夕方になった今も、時々激しい雷雨がありますが、とりあえずケアンズはほぼ無事でした。

そのかわり、ケアンズの南のタリーやミッションビーチなどの地域は深刻な被害を受けたようです。
ニュースで2階部分や天井がそっくりなくなった家々を見て、ケアンズ直撃だったらウチもああなってたなあ・・・・と改めて怖くなりました。



ケアンズに来て2か月、自然の厳しさの洗礼をうけた気分です。

真っ暗な駐車場での一夜は悪夢のようだったけど、セキュリティの人達が来てくれたり、みんなお互い声をかけあったりして、少し安心して過ごせました。

そしてこの滅多にない経験をしたおかげで、次に何かあっても対処できる自信のようなものもちょっぴりつきました。
世界中でいろんな災害が起こってますが、みなさんこんな思いをしているんだな、ということもほんのちょっとわかりました。


心配してくれたみなさん、ほんとにありがとうございました。