只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

芋植えをコツコツとやっています

2016-03-25 08:21:12 | 日記
『禅話』です。
ゆっくりと噛締めながら成りきって
進めてくださいね。

ある日、風が吹いて寺の旗がそよいでいた。
二人の僧が、これについて議論をしていた。
「旗が動くのだ」
「いや、風が動くのだ」
議論は繰り返され、いっこうに決着がつかない。

そこに六祖禅師がやってきて一言。
「風が動くのでも、旗が動くのでもない。
 お前たちの心が動くのだ。」

二人の僧は、深く感じ入った。
ここまでです、おわかりになったでしょうか?

二人の僧の言ってることに間違いはありません。
見て思考したことを述べているのですね。

しかし、この状態がゆくゆくは「苦悩する原因」なのです。
六祖禅師は、『心の動き』というものをわからせる為に
一言があったのです。

このブログは、本来には心配、不安、苦しみ、悩み、恐れは無いと
いうことをわかってもらう為に“実践”をお勧めしているのです。

すべての事は、心が揺れ動くことで幻想となっていくのですね。
“一心”とは心が動かないということです。

この“一心”になる道が“実践”です。


只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・これが絶対信です、別名が涅槃です。
いわば一心と言うことです。「只」の心です。…前回まで

   『信は道源功徳の母とありますが、対象として観念で作り上げた信念は、
     心を束縛してしまうので迷いの種となり惑乱・葛藤の元です。
     観念で作り上げた信念は迷いであり捨て去るのです。
     ですから、先ず信ずる自分の心を空っぽにすることです。
     信じる自分が無くなるまで、坐禅し一呼吸に徹するのです。
                 「今」真剣に「只」することです
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
『信念』は信じることと“只の信”があるのですね。
私(思考)が創りあげた信念は
ゆくゆくは苦悩になるのです。

思考の無い“只の信”は確固たる揺るぎないものです。
そこに辿りつくには今、今、今の弛まぬ“実践”です。

身体の力を完全に抜き
丹田に意識を置き
頭を空っぽにして
一呼吸に全霊を傾けましょう。

そこで騒ぐ思考は放ったらかしておくことですね。