只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日はじゃがいも(男爵)の植付けです

2016-03-21 07:25:01 | 日記
喜びの陰には、悲しみがあることを忘れては
なりません。…ネットのあるブログにこの事がありました。
これは幻想世界のことですね。
まさしくそのとおりです。

同じく、良い事があれば悪い事があるのです。
正しい事があれば間違いがあるのです。

上があれば下があるのです。
黒があれば白があるのです。

私があればあなたがあるのです。
晴天のときもあれば雨天のときもあるのです。

キリがないのでこの辺で止めますが、
このように何かを持ち出すと相対が付いてくるのです。

ですからどうすることも出来ないのです。(笑)
どうすることも出来ないところが“真実”です。
“只”やることを“只”やるだけですね。

喜怒哀楽のまま、あるがままに人生を過ごすだけで
外には何にもありません。
そこが“真実世界”であり私(思考)がなく
“お気楽そのもの”ということです。

ここに到達するには常に“実践”ですね。


只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・即念を離しては解決の道はない。今、本当に「只」行ずるのみ。…前回まで

   『信じることはとても大切です。しかし無分別に信じてしまうと、
      精神の構造上知性が介入しない領域になっているだけに
    健全な判断ができなくなってしまいます。世に言う偏屈で頑固者です
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
信じる事は信じないことが一緒です。
このことは知性ではわからないのです。

「そんなアホな?」で終わるのですね。
ですから健全な判断ができないのです。

“健全な判断”は思考の判断ではなく
“只、やってみる”ということです。

「あの者は頑固者」と頭で判断する人が
頑固者ということになります。(笑)

“健全な判断”は食べてみてその味の判断となります。
今、今の“実践”が道を明るくしていきます。