只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

1週間の始まりです

2016-03-07 08:31:30 | 日記
私たちは本来、光輝く暖かい空の世界にいたのです。

でも、すっかりそんなことを忘れて
問題の起こらない幸福な道を探すようになったのです。

うろうろ探し回っているうちに、
問題が次々に起こってくるようになり
逆の不幸の道に迷いこんだのです。

なぜこうなったんだ?
どうしてうまくいかないんだ?
私は不幸になる運命か…
幸せが舞い込んで来てぇ~
もう~ダメだ~
と、カクカク云々このようになるのですね。

しかし私たちは、なぜ問題の起こらない幸福な道を探す
のでしょうか?

それは感覚的に、光輝く暖かい空の世界を感じるからです。
それを間違って、残念ながら幸福への道だとしているのです。

ご存知のとおり無の世界は、幸福も不幸もありませんね。
只の世界で、光輝く暖かい空の世界です。

幸福を望むと不幸も付いてくる一体型の世界です。(笑)
同じく幸福も無い、不幸も無い“真実のひとつ”の世界です。

“真の世”を覆いかぶしているのが、私という思考であり自我なのですね。
ですから執着して不幸を体験し続けてもいいし、
幸福とおさらばしてもいいし、
それは私(思考)次第ということですね。

もう体験は飽きましたという方は
実践”で光輝く暖かい空の世界を掴み“体得”してください。


只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

自己、自我を立てる癖が道を暗くしているだけです…前回まで

     『思考癖、自我のない只管打坐がなかなかなか出来ないから、 
         成れるように努力するのです。
        思考、自我により妄想された雑念や煩悩にかき乱され、
       振り回され乱されるときが本当に辛いです。
          しかしその時が雑念や煩悩と戦う時です
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
思考する癖は如何せん並大抵では落とすことはできません。
それだけ強烈で強大で止める事のできない
超スピードです。

ですから出来ないことを出来るようにすることですから
相当な覚悟が必要です。

しかし相当なる覚悟をすれば「しめたもの!」です。
しめたものと思わなくてもいいのですが、“実践”での
進み具合はかなりなものです。

想念は目には見えない頭の中のことですから、
心眼で出没するのを絶えず見張っていることになります。

“出たな!”と気付けば念は消えていきます。
想念にはならないことになります。

この実践の繰り返しにより次第に出て来なくなります。
霧が晴れてくるということです。

霧が晴れてくれば“真実の様子”が観えるのです。
『やり抜く!』これが身体に沁みこめば
実践”が軽やかになってきますね。