2月9日、10日は大学の部活のOB会があり、伊東に行って来た。
今年は午前11時に熱海集合の予定だったが、大雪の予報のため、私は午後4時に直接伊東に向かった。集まったのは11名。1期生から8期生までで、私は4期。既に還暦を迎えた人が多い。
翌日は、5年ぶりに小田原に立ち寄りお城を見学してきた。
ルートは、馬出門、銅門、常盤木門、本丸の正規登城ルート。こんなルートがあることを初めて知った。前回は、北入口から正面入口へとたどってしまった。
今年は、銅門で特別公開を実施しており、普段は入ることのできない内部を無料で見学することが出来た。
そこには小田原評定の再現がされていた。
その時に一緒に行ったOBと話題になったのが、次の項目。
2番の清洲会議は、清須市公式ホームページには次のように書いてあった。
「きよす」の表記は、文献その他歴史的にも「清須」「清洲」の両方の記載が見られます。古くは「清須」の表記が多く後に「清洲」の表記が多くなっています。そこで、今回の展示リニューアルに際しては、慶長15年(1610年)の『清須越』を境目に清須越以前を「清須」、「清須城」と表記し、それ以降の宿名、町名を「清洲」と表記しています。また、現在の施設固有の名称としては「清洲城」として表記しております。
なるほど。