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ジェイコブズ対モーゼス (アンソニー・フリント):ジェイコブスの半世紀、モーゼスの開発データが弱い

2017-04-14 05:04:26 | 都市計画

Wrestling with Moses: How Jane Jacobs Took On New York's Master Builder and Transformed the American City

 モーゼスの学歴(博士号)と行政能力は能吏、トライボロー・ブリッジ&トンネル公社での独立採算と地位確保が嚆矢。マスター・ビルダーとしての地位と実績。不満なのはモーゼスの実績が表や地図にまとまっていなこと。例えば1964年ニューヨーク世界博覧会はBIE非認定で、利益を上げる方策だがかえって不評だったとかの事実がないのもある。

 評判を保つためイケイケの開発者として、立退きはさせただろうが、功績もあったはず。プロジェクトを整理分析していない本書はアメリカのインタビュー的調査にありがちんな文系で情緒的な側面が強い。

 全体にジェイコブスよりの書き方で、訳も情緒的で槙文彦のコメントでは読みやすいのかもしれないが、都市計画的な注釈に欠ける。なお、ジェイコブスの経歴は良く分かり、当時の都市計画を理解できる。

 ジェイコブスに専門能力はないが、グリニッジ・ビレッジの良さを直感し、都市計画を学び、活動家としてモーゼスに対峙し、さらに著作にまとめる力があった。彼女は田舎者であったがゆえに、ニューヨークの創造的なコミュニティに共感したのが端緒だったが、田舎者が早稲田に入ると早稲田の街にこだわるのと似ていると思った。しかも、フェラデルフィアの偉大なベーコンの再開発に「住民はどこにいるの?」は素朴な疑問でこれも「美しい眺めの回廊」の都市計画に対する素朴な反論だ。この、素朴な疑問と街の観察が強みで現在の都市計画の実習でも「見ること」から始まる。しかし、経済やファイナンスを学ばないという悪癖まで継承している。

 

 当方もコルビュジェの都市計画などは大嫌いだが、その反対の木造密集地(「木密」と略される)である京都の街を褒めるのはどうかと思う。災害対応や、生活と観光のテーマパーク化があるからだ。つまりは、都市計画にもトレード・オフがあり、都市の特性を重視するなら、災害危険やインフラの非効率を認めざるを得ないという現実がある。

 アメリカでもこの後に起こったジェントリフィケーション対策としてのボストンのリンケージ(開発負担で低所得層の還元、一種のアファーマティヴ・アクション)も利権や権利調整で上手くいかなかった。

 モーゼスのイケイケは痛快だ。トライボロー・ブリッジ&トンネル公社での不動の地位を築き、採算性を重んじた計画遂行は頼もしい。ただしイケイケ過ぎて「弱い場所を地上げ」になり、ジェイコブスの「コミュニティ」と対峙したグリニッジ・ビレッジとソーホーの再開発が破綻となった。しかも高速道路で通過交通優先の「開発のための開発」というローメックス( https://en.wikipedia.org/wiki/Interstate_78_in_New_York )は時代と目的を誤っているのは「同じ手法」のおごりだ。つまりは成功体験から30年間同じことをした報いだ。これと同じは日本の都市計画でもあり、なんでも垂直統合の用途混合(MXD)の再開発などだ。分棟型でもっと安い商業棟や、可変な建築は安いからか全く好まれない。立派でないのとゼネコンとしては開発費用が低廉で儲からない開発だからか。

 訳者は開発が進まないのとNIMBY( https://en.wikipedia.org/wiki/NIMBY )の進行を嘆くが、当方の提言として、開発は小規模で、集合建築、独立で可変な設備と用途、建替えがこれからの姿だと思う。

 大型ビルの飲食街より、やすくても路地的な飲み屋が良いと思わんかね、これがこれからのジェイコブス・インスパイアだ


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