きのうの続き。
私がまだ若いころ、
知り合いの漬物屋の年末の仕込み作業に付き合って、
お互い、漬物をアテにビールなど飲みながら、夜通し話し込んだことがあるが、
そのころの零細な漬物屋の作業は、お世辞にも清潔とは云いがたいものだった。
桶は木製で古いし、
作業は長靴で歩き回る石畳の上で、云わば地べた。
水洗いはするが、消毒作業や白衣、マスクなど一切なし。
しかし、それでも食中毒など無かったのは、
そのころの漬物はまだ、
塩をたっぷり使い、しっかりと発酵させた保存食品だったからだろう。
あのころの漬物は確かにからかったが、
三日以上、塩漬けにして、さらにヌカにしっかりと漬け直した白菜は、
白い飯とよく合ってうまかった。
今は、白菜を漬け込むのではなく、
消毒、水洗いしたナマの白菜に軽く塩して一日程度おき、
それを塩水ごとポリ袋に詰め込んで出荷する。
つまり、輸送され店で並んでいる間に、塩味が滲み込んでいくのであるが、
これだと、店で売れ残るとすぐ変色するし、塩水が濁って売り物にならなくなる。
つまり、ちゃんと漬かってはいけないのが今の漬物なのだ。
私が「塩サラダ」と言う所以(ゆえん)である。
ただし業者ばかりが悪いのではない、
すべて、消費者がそう云う商品を好んで買うからそうなるのだ。
だいたい白菜は冬の野菜なのである。
真夏に白菜の漬物を食べ、真冬にキュウリの漬物を食べたいと思うほうがおかしい。
冬の胡瓜は、
石油製品のビニールハウスの中でたっぷりと石油を燃やして作るのだし、
夏の白菜は、
充分な消毒剤が必要なはずで、どうみても自然な食品とは言いがたい。
エコだ健康食品だと言いながら、肝心な処で抜けている。
第一、業者だって、
本当は、季節の野菜でシッカリ漬けたおいしい漬物を出荷したいはずなのだと思う。
良いレストランは、
うまい料理を見分け、
味に見合った金なら惜しまぬ良い客の住む町に、多いのと同じ理屈。
客は漬物を選ぶが、おいしい漬物もまた「客を選ぶ」のである。