漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

【ある女囚のざんげ】 

2022年07月20日 | ものがたり

 【ある女囚のざんげ】 
 
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 ● 元・牢番だった老人の話

明治十一年と云えば、西南戦争のあくる年です。

なにしろ、
物価は上がるは、
はやり病の騒ぎはあるわで、世間も落ち着かず、

当時、下っ端役人で牢番をしていた私などは、
日々の暮らしに追われるばかり、と云う暮らしでしたなあ。

そのころ、
新入りの女囚が一人、入って参りまして、
女ながらも人を殺したとかで、死罪は逃れぬと云う噂でありました。

処がこの罪人が、
年増(としま)ながらも中々の美人で、
殺すに惜しいような思いが致しまして・・・、

なにしろ私も若かったですからなぁ。(笑)

まぁ、その、なにくれと目を掛けておりましたら、
向こうもそれは分かりますから、
当番の夜など、短い言葉ぐらいなら交わすようになりました。

その後、間もなく女が独房に移されましてナ、
そうなると、いよいよ刑の執行が近いなと、私どもには分かる分けですよ。

そんなある晩、
女が真剣な顔をして、私に話があると申します。

もう自分でも分かっておったのでしょうな、

死ぬ前に、せめて誰かに事の次第を打ち明けて、
懺悔(ざんげ)の真似ごとでもしてから、
心穏やかに、あの世へ旅立ちたいから聞いてくれ、と申すのです。

私も若くて、体に壮気が満ちておるころですし、
間もなく死ぬ女の最後の言葉なんだから、
これは聞いてやらねばと、その、義侠のような気分もあったのでしょうなぁ、

ホントは、長話は禁じられておるのですが、・・・
なにしろ相手が美人ですからなぁ、(笑)

まぁ、聞いてやった分けですよ。

その時、聞いたことを、これからお話しする分けですが、
悪人とは云え、聞いてみれば、そこには哀れな処もありましたですよ。


 ○小墾田千津のざんげ。

今から考えますれば、
もう徳川様の時代も、終わりに近づいていたので御座いましたが、

もちろん、当時は誰も、そんなことを思いもしませなんだ。

天保の飢饉や一揆、
翌年には大坂の元与力、大塩平八郎が謀反を起すなど、

なんとなく世の中が、ざわつき出した天保七年の三月、
わたくしは大和郡山藩士族、
小墾田(おはりだ)家の一人娘として生まれまして、
父は三百石取りの馬廻りと云う御役を勤めておりました。

父は永らく子が生まれず、
養子を取ろうかと考えていたころだったそうで、

わたくしが生まれたときは、
それはもう大変な喜びようだったそうでございます。

女でも一人娘となりますると、
将来、婿を取り家を継がせますから、

大事の跡取りとして、

子には目の無い親心、
乳母日傘(おんばひがさ)で大切に、甘う甘う育てられたので御座います。

自分で云うのは気が引けますが、
ほんとに何にも知らぬ箱入り娘で御座いました。

その跡取りの私が、年ごろとなって、
いよいよ縁談のはなしも起こりましたが、
さむらいの家の縁談は、家と家との繋がりを決める大事なことで御座いますから、

相手は父がさがして参りまして、
「これがいい、これにしろ」と言われれば、わたしにイヤもオウもございません。

ただ、
野々山武四郎と云う名前だけ聞いて、

頭を下げ、
あとは、どんな人であろうか、こんな人であろうかと、
婚礼の日まで、あれこれと思いをめぐらすぐらいのことで御座います。

父の話でございますと、
その相手は、
生まれは五十石取りの下士の家ではあるが、

武士の習うべき諸術は、
およそ藩中でも、一・二を争う腕前とあって、
どこへ行っても誉められる名誉の者であるとのことで御座いました。

後で知ったことで御座いますが、
武四郎には、上に三人もの兄が居りましたから、

五十石取の家ごときで、分家などかなうはずもなく、
他家から養子の口がかかる事だけを願い、懸命に鍛錬に励んだ処も御座いましたろう。

処が、その男は、腕は確かか知りませぬが、
色黒で、疱瘡(ほうそう)の跡が顔中にあるアバタづらの引き攣(つ)れ、

そのうえ、少しチンバでありまして、
式当日、初めて見た時は、
「なんでこんな男を」と、胸冷える思いで父を怨みさえしたので御座います。

世間知らずの箱入り娘とは云え、
一応は女としての夢も御座いましたからねぇ、

イエ、別に男前でなくとも、
この婿が、せめて十人並みの容貌形(かおかたち)なら、
私もこんな罪深いことは犯しませなんだのに、と、あとになってよく思ったのでございます。

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上の文中 「馬廻り」は、殿様の周囲を固める騎馬隊。

 ※疱瘡は 危険な伝染病で、高熱と水疱が全身に出て、死亡率も高い。

 日本では、飛鳥時代の終りごろ、
 大陸から流入し、その後、何度も繰り返し大流行している、
 当時は治療法がなく、
 運良く助かれば免疫が出来るが、見にくいアバタの残ることが多かった。

尚、以下の文中、「おぼこ」は、世間知らず、男経験のないこと。

「虫唾(むしず)」は、胃の腑から込み上げる酸っぱい液、
「ムシズが走る」で、吐き気がするほど不快なこと。

「引き攣れ」は、皮膚が引きつっていること。
  
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醜男(ぶおとこ)ながら、武芸の達者、
学問もあり、それを父が気に入り、
私の婿にしたのが、娘の心を知らぬ男親の誤りでありました。

わたくしも、あれほどの不器量と知っておれば、
父に、拗(す)ね言の一つも言って、
気に入らぬ素振りなどもしたのでございましょうが、

まだ、十七、
ほんの生娘(おぼこ)でございましたから・・・ねぇ、

いま思えばあれが 生涯最初の踏み誤りでございました。

初めて婿の顔を見たときからムシズが走りまして、
いくら武術に秀でていても、
黒あばたの引き攣(つ)れ顔では、添い寝の私が可哀そうと、父を恨んだものでした。

しかし父は、
私のそんな心には一向気付かず、自慢の婿であったので御座います。

それでも三年余りは辛抱しましたが、
わたしが二十一の春、

ちょうど夫が殿様の御供をして、
江戸詰めとなり、
わたしの気も少しゆるんでいたので御座いましょう、

旅芝居の一座が参りまして、
その「伊賀越えの敵討ち芝居」を見ましたら、
主役の荒木政右ヱ門は、三十五人を相手として一歩も引かぬ武芸の達者、

その上、うちの婿とは比べ物にならぬほどの美男子ぶり、

武術に長けて、
しかもこれほどの好男子なら私も親も気に入ったろうに、

なんどと、
ふと思うたが、恋の病とか申すものの始まりで御座いましたろうか。

追えども去らず、
払っても着きまとう煩悩(ぼんのう)に、

武士に扮した役者であることも忘れ、
ただひたすらに、
本物の政右ヱ門と思いこんだる女の一念、

ついに不義の道へとはまり込み、
一度のはずが、あとは政右ヱ門役者、桐山千之助と深くなるばかり。

男の心をつながんと、随分お金を使うたが、
一夜烏の旅役者、やがて便りも絶え果てて、
何時しか居所も知れなくなり、疎遠(そえん)となったので御座います。

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上記、「煩悩」は、人を悩まし苦しめて汚す精神の動き。
「疎遠」は、交際や連絡が途絶えがちになること。
 

又、 以下の文中、「不義(ふぎ)」は、道に外れた男女の関係。
 当時、武士の妻の不義は、夫による手討ち、斬り捨てることが認められていた。

 「懸想(けそう)」は、恋い慕うこと。

  また、「脚気(かっけ」は、
  ビタミンB1の欠乏により起こる病気。
  だるさやシビレなどから始まり、重症となると命にかかわる。
  
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千之助とは、手切れ同然となったものの、
一度知ったる不義懸想の魔力は、私の心を深くとらえて中々放しません。

なにやら胸の淋しさに、
いつしか、
出入りの町人、小間物屋の手代を引き入れ、
不義を重ねる日々、となったので御座います。

処が、殿様の御供をして江戸へ下っておりましたアバタ面が、
近い内に帰国と知らせが参りまして、

さすがに、不倫の罪のおそろしさに、
ふるえておりました折りも折り、
間もなく帰国との知らせと共に、道中病気と云う様子を知ったので御座います。

それやこれやで、
複雑な想いで入るうち、とうとうお国入りとなりまして、

駕籠で運ばれて帰りし婿の姿を見ますると、
もう、痩せ衰えて、骨と皮ばかり、
医者に見せますると、シビレ脚気とやらの見立て。

足腰も立たず、息絶え絶えの婿を見るうち、
悪心がむらむらと起きまして、後腐れの無いようにと心を決めました。

今から思えば恐ろしい事ですが、
その時は、不倫の露見と、
その跡の成敗が恐ろしく、夢中で御座いますから、なんとも仕方御座いませんでした。

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 以下の文中、
 「巴豆(はず)」は強力な下剤、用いようによっては毒薬となる。

 「同衾(どうきん)」は、ひとつ夜具で一緒に寝ること。
 「睾丸(こうがん)」は、男の急所、キンタマ。

 「脚気衝心(かっけしょうしん)」は、
  脚気から心臓の障害へと進んだ症状、呼吸困難から死に至ることもある。
  
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いよいよ決行と決めた
その幾日か前から、茶に巴豆を仕込んで夫にすすめ、

衰えて居ります主人に、
久々の同衾と見せかけて夜具に入りますと、

左腕で体を預けるようにして胸から首を押さえ、
片手で睾丸を握り締め、思い切りに ひねり上げますと、

元々、弱ってもいたのでも御座いましょう、
思いのほかに、たやすくあの世の人となってしまったので御座います。

世間には、脚気衝心と披露して、
なんとか、世間は取り繕(つくろ)い通しましたが、

誤魔化せないのは、
おのれの心で御座いまして、

不審の死にようを知る人が居りはせぬか、
誰ぞが気付きはせぬかと怯(おび)える日々、

良心の咎(とが)めはチクチクと終日絶えず、
それが続くと、わたくしもついに、寝たり起きたりの日々となりました。

周囲は、皆、本当のことは知らず、
夫が死んだ事で胸を痛めての病と思っておりまするから、

親も大変に心配し、温泉への湯治などすすめられ、
やや生気を回復いたしますと、

親類縁者の勧めもあって、
二人目の夫、佐々木敬之進を婿に迎えたので御座います。

前の夫に比べれば、
武芸は劣れども面相は人並み、

自慢するほどでは無けれども、
さして見劣りもなければ不満も無し、
行いの堅いだけが取り得と云う、通り一遍の人で御座いましたが、

前の事もありますゆえ、
私も、今度ばかりは、おとなしく夫に従い、平穏に暮らしておりました。

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 以下の文中、
 「御一新」は、明治維新。
 「廃藩」は、藩制度の廃止「、云うまでもなく武士の大量失業時代の幕開け。

 「ザン切り頭」は、髷を切った西洋風のヘアースタイル。
 「家禄(かろく)を奉還(ほうかん)」は、もらっていた禄高を返すこと。
   
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処が、世は御一新となり、

あれよあれよと申すうちに、
廃藩からザン切り頭の時代となり、夫は家禄を奉還、

収入のアテのない身となったので御座います。

このまま遊んでおる分けにも参らずとて、
頂戴したる金禄を元手に、酒屋商いなど始めましたが、

云わゆる武士の商い、

する事、為す事、すべてうまく行かず、
父母も失意のうちに次々と身まかりまして、

夫も気が弱り、病の床に臥す始末、
一家の柱が寝たり起きたりでは、家の中は火の消えたような按配。

折ふし、
以前、昔に馴染みたる桐山千之助が和歌山で芝居の興行を張り、
鬱(ふさ)ぐ気を慰めようと、覗きに行ったのが間違いの元で御座いました。

やあやあと懐かしむうち、
たちまち焼けぼっくいに火が付き、
もとの仲へと戻るのは、自分でも驚くほど た易く、

不義密通を重ねましたが、それも束(つか)の間のこと。

千之助は京の役者であれば、一座と共に旅立ちましたが、
おりおり届く便りにのぼせ上がり、
そそのかされているとも気付かず、見もせぬ京に焦がれる毎日となったので御座います。

このまま和歌山に居ても先がないと、
夫をせき立て、追いたて、京に住まいを移しましたので御座います。

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 以下の文中、
 「了見(りょうけん)」は、分別(ふんべつ)、こらえること。

 「手練手管(てれんてくだ)」は、
  人をだまして、思うようにあやつる技巧、特に男女の色の道の駆け引き。

 「石見銀山」は
  銀山から出る砒石で製造したネズミ駆除用の毒薬、 単に毒薬を指す時もある。
   
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京に転居したのも、
もともと、目的は、千之助なので御座いますから、成るように成るのは知れたこと、

それも度重なれば、夫も気付くは道理、

それでも、時代が時代とて、
一度や二度は、夫の意見だけで済み、
私も、そこで了見すれば善かったので御座いましょうが、

もう、そのころは、
役者ものの手練手管(てれんてくだ)に、
どっぷりと嵌(はま)って居りますからして、

逆に、意見する夫が疎(うと)ましく、

この夫さえ居らねば、好きに出来るモノを、と、
またもや恐ろしい考えが頭をもたげ出したので御座います。

ついには、最初の婿もうまく行ったのだからと、
今考えても、
そら恐ろしいことを思いつきまして、

今度は石見銀山を酒に混ぜ、

ついに夫をあの世へ送り、
やれ嬉しやと、千之助の許(もと)へ走りましたが、

相手も役者なれば、
武士とは違って浮気も芸のうち、

死ぬの殺すのと騒ぐうち、世間の評判となり、
警察の調べる処となりて、この有様となったので御座います。


 ● 元牢番のはなし

その時は、涙に咽(むせ)んでおりましたが、
話し終えると、むしろサッパリした顔つきで御座いましたなぁ。

その夜はさすがに眠れぬかして、
一晩中、低い声で念仏を唱えておったようでありました。

日を置かず御処罰となり、
あとで聞いた話によりますと、

刑場でも尋常に振る舞い、
悪い女とは云え、さすがに武家の育ち、

男たちよりも、余程に潔い最期だったそうで御座いますよ。

エ、女の年齢(とし)ですか、

たしか四十二とか云っておりましたが、・・・

男なら大厄(たいやく)ですが、
まぁ、女ですからナァ、どうだったんでしょうか。 終

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 「大厄」は、
  一番気をつけなければならないとされる厄年。
  数え年で、男性は42歳、女性は33歳。


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