漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

松葉屋瀬川の事・⑥

2009年06月03日 | Weblog
きのうの続き。

いよいよ、吉原に身を沈める覚悟をした「たか」、
事情を聞いた竹本君太夫(きみだゆう)が請け合い、
吉原の大店、懇意の「松葉屋」へ出向いて・・・と云う辺りから。

尚、以下の文中、
「突き出しの女郎」は、仕込み段階がなく、即、店に出る遊女。

普通、「花魁(おいらん)」と呼ばれるような高級の遊女は、
十歳過ぎから手元に置き、
書や古典文学、和歌、管弦から、
茶道、生け花、囲碁、将棋に至るまで、教養ある豪商や大名の相手が出来るレベルまで仕込む。

「たか」は、
父が公卿の家に奉公していたぐらいだから、
そう云う教養は既に身に付けていたし、
生まれついての美貌とあらば、人気のなかろうはずもない分けで・・・。
  
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君太夫、
吉原、松葉屋に行きて、「たか」が事情、しかじかと語る。

松葉屋、
その折から看板の花魁(おいらん)欠け、
よき奉公人をたずね居る最中ゆえ、

さっそく親方、君太夫が方へ参り、
「たか」が様子を見て、相談きわまり、

十年の奉公、百二十両にて召し抱えぬ。

「たか」は、老母のことを金七にくれぐれも頼み置きて、
自分は松葉屋に行きて、突き出しの女郎と成りぬ。

たか、元来、容貌すぐれ、
行儀作法は云うに及ばず、
諸芸、教養ごと修めて格別よろしければ、

親方、大いに悦喜して、
間もなく、「瀬川」と改名させ、この家一番の女郎とす。

この名は、
松葉屋、代々の通り名にて、
通例の女郎にはこの名を付けさせず、

前の瀬川は、大伝馬町の大福長者の何某に受け出され、
しばらくこの名、絶えて至りしを、

「これほどの器量なら都合よし」と、
瀬川の跡継ぎにして、二間の座敷を持たせおけば、

やがて、吉原にその名、ときめきたる。

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「器量」には、容貌だけでなく、教養、才覚をも含む。

「二間の座敷」は、二間続きの部屋持ち、

並みの女郎なら、
三畳から四畳半程度の一間だったようだから、
広い部屋を二間、と云うのは、売れっ妓で地位の高い証し。

もちろん、
いくら広い部屋であろうが、
調度や衣装、蒲団に贅を尽くしても、

それらは、
遊女を高く売るための仕掛けであって、
「たか」にしてみれば、所詮、身を売る稼業に違いはないのだが。




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