漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

松葉屋瀬川の事・⑤

2009年06月02日 | Weblog
一昨日の続き。

せっかく平和な家庭を得たと思ったのに、
夫の横死、養子を迎えての跡継ぎもならず、小野田家は離散の運命。

「飛沢町若松屋金七と云ふ者、日頃懇故、
 之を憐み当分母子共、先ず我方へ、引取りかくまひ、置ける」。

「たか」も懇意にしていた出入りの町家に身を寄せるが、・・・と云う辺りから。

尚、「たか」は、
十代で嫁いでいるので、このころでも、まだ二十歳そこそこ。
 
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そのうちに、
近隣より出火して、急火の類焼に合い、

金七と共に大いに難儀の身と成りける程に、

金七が妻の弟、
金田町の竹本君太夫と云う者方へ、
久之進家内もろ共、暫(しばら)く係り居るも、

たか、心痛に絶えず、
ある時、日ごろの憂き思いを君太夫に、かき口説き語る、

「こままにては、
 老母の養育いかんとも詮方なし、
 所詮、我身を遊里へ売るより無し、その金子によりて、母を養いたし。

 又、その遊郭とやらは、
 諸国の人々の集まれる処と聞き及び居れば、

 もしもの事に、夫の敵(かたき)の手掛かり、知るやもしれず。
 この頼み、何とぞ周旋してたまわれ」と、

涙と共に頼めば、
君太夫も哀れをもよおし、

「さいわい手前は、
 吉原よりも、たびたび御座敷かかる身なれば、」とて請けあう。

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「竹本君太夫」は、名前から見て芸能者、

普通に考えれば、
義太夫を語る者の名前だが、
吉原の座敷で、「太鼓持ち」のような事もしていたのだろう。




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