漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「これでオシマイ」

2009年07月14日 | Weblog
きのうの続き。

福沢諭吉が勝海舟を手厳しく批判したに付いては、
根本的に、勝と云う人間への嫌悪感が有ったのだと思う。

それは、
二人の生き方、人生観から社会観まで対照的だったからである。

福沢は、武士出身だが、「思想家」であり「教育者」。

これに対し、勝は、
同じく武士の出であり、海軍を興した武人ではあるが、その本領は「政治家」にある。

思想家と云うのは、
妥協や譲歩を一切排除し、物事を突き詰めて論理を組み立てて行くものだ。

一方政治家は、
現実と向き合う以上、

妥協や駆け引きを専(もっぱ)らとせねばならず、
自己の持つ理想とは別に、どこかで相手の条件を飲み、譲る場面が出てくる。

理想主義と現実主義、もともと相手を好きになれるはずがないのだ。

一面で、
思想家が精緻に組み立てる論理は人を酔わせるが、
現実にはそぐわぬ、机上の空論に陥(おちい)ると云う危険性も持つ。

学者や思想家が政治に参加すると、
普段、一歩も譲るまいと自己を主張することに慣れているから、
妥協したり、譲歩することを敗北ととらえ、常に強硬策を取り勝ちになる。

英明を謳われた新井白石や松平定信など、
学者肌の人たちの政治には、そう云う弱点が見え隠れする。

史上、学者や思想家で評判の良い人は
政治に無欲だった人が多いのを見てもそれは分かる。

反対に、
政治家として優秀な人は、
案外に不人気で、むしろ評判の芳しくない人が多い。

貴族なら、藤原不比等を初めとする代々の藤原氏、
武家では、源頼朝、北条義時、徳川家康などなど・・・。

政治家の功績と人気は、必ずしも比例しない、とするなら、
「勝海舟」の評価に、毀誉褒貶あるのは、むしろ名誉なのだろう。

 (毀誉褒貶→きよほうへん→悪く云う人、誉める人、様々な評価があること)

私個人としては、

彼は武士では有ったけれど、
華々しい討ち死にを名誉とするような、
そう云う武者働きのレベルでは計れぬ、国難を救うに足る人物だったのだと思う。

「勝海舟」、名は義邦、通称、麟太郎、
明治三十二年一月、波乱の生涯を閉じる、享年七十五歳。

雪の中の葬儀だったことが残された写真に見える、
尚、海舟最期の言葉は、「これでオシマイ」だったと云う。




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