「突然の解散」と云うのは、
過去にも何回か有ったと思うが、「予告解散」と云うのは珍しい。
地方選挙の負け続けで、
大揺れの自民党だが、まだまだ知恵者はいるらしい。
尤も、
「あンなのは智恵とは云わない、追い込まれて仕方なしの妥協の産物」と云う声も、
それでも、麻生総理は、
強気なのか、暢気(のんき)なのか、
「私は逃げずに、国民の信を問いたい」と、堂々たる構え。
下馬評では「自民党圧倒的に不利」、
中には、「自民、歴史的敗北か?」などと云う声も聞えるが、はて、どうなりますか。
その「下馬評(げばひょう)」の
「下馬(げば)」とは、馬から下りる事ですが、
その場所「下馬先(げばさき)」を略しての、「下馬」でもある。
江戸時代、
身分有る武士が、行列を整え、城へ上がる時、
定まった場所で馬を下り、
そこからは先は、供も制限され、徒歩で行かねばならない。
その場所、「下馬」に馬を留め、供の者たちも待機させておく。
そこで待つ供侍たちは、
何することなく、長時間待たされる分けだから、実に退屈。
自然、幹部連の次の人事や、人物評に噂話の花が咲く、
そこから、
当事者でもない者が、無責任に評判することを「下馬評」と云うようになった。
今なら、
観光地や遊園地の駐車場で、
時間を持て余したバスの乗務員が集まり、
「今度の選挙、アイツは通るが、コイツは危ない」などと噂している様なもの。
でもまぁ、次の政権を、
自民が取ろうと民主が取ろうと、そう急に世の中良くなるとは思えない。
議員サンにコネも利権もない人々にとっては、所詮、退屈しのぎ。
それでも、そんな、
愚にも付かぬ下馬の人物評がトップに聞え、
案外、首脳人事に影響したりするのは、武士の社会も現代の国政も同じ、
そうであるからこそ、世の中は面白いのだけれども。
過去にも何回か有ったと思うが、「予告解散」と云うのは珍しい。
地方選挙の負け続けで、
大揺れの自民党だが、まだまだ知恵者はいるらしい。
尤も、
「あンなのは智恵とは云わない、追い込まれて仕方なしの妥協の産物」と云う声も、
それでも、麻生総理は、
強気なのか、暢気(のんき)なのか、
「私は逃げずに、国民の信を問いたい」と、堂々たる構え。
下馬評では「自民党圧倒的に不利」、
中には、「自民、歴史的敗北か?」などと云う声も聞えるが、はて、どうなりますか。
その「下馬評(げばひょう)」の
「下馬(げば)」とは、馬から下りる事ですが、
その場所「下馬先(げばさき)」を略しての、「下馬」でもある。
江戸時代、
身分有る武士が、行列を整え、城へ上がる時、
定まった場所で馬を下り、
そこからは先は、供も制限され、徒歩で行かねばならない。
その場所、「下馬」に馬を留め、供の者たちも待機させておく。
そこで待つ供侍たちは、
何することなく、長時間待たされる分けだから、実に退屈。
自然、幹部連の次の人事や、人物評に噂話の花が咲く、
そこから、
当事者でもない者が、無責任に評判することを「下馬評」と云うようになった。
今なら、
観光地や遊園地の駐車場で、
時間を持て余したバスの乗務員が集まり、
「今度の選挙、アイツは通るが、コイツは危ない」などと噂している様なもの。
でもまぁ、次の政権を、
自民が取ろうと民主が取ろうと、そう急に世の中良くなるとは思えない。
議員サンにコネも利権もない人々にとっては、所詮、退屈しのぎ。
それでも、そんな、
愚にも付かぬ下馬の人物評がトップに聞え、
案外、首脳人事に影響したりするのは、武士の社会も現代の国政も同じ、
そうであるからこそ、世の中は面白いのだけれども。