藤田まこと著の自伝、「最期」にあるエピソード。
なお、当時と今では、
貨幣価値が違うので難しいのだが、
今ならだいたい、
十倍ぐらいの金額と思って読んでもらえばよいかと思う。
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(藤山寛美さんは、バーやクラブなど夜のお店で)
勘定の十倍ぐらいのチップを渡して「じゃあ、さよなら」と帰っていったのです。
その同じ店に、南都雄二師匠と二人で行ったことがあります。
雄二師匠は、勘定書きをじっと見て一言。
「ママを呼べ」
何ごとかと思ってママはあわててやってきました。
「この勘定は高すぎるで。 まけろ」
「先生そんな・・・・・」
「いや、まけなければもう来ない」
結局二万円の勘定を一万五千円に値切ってしまった。
帰り際、雄二師匠は五千円をママに手渡した。
「じゃあ、これはチップや。ありがとう」
こういうやり方があるんやと思いましたな。
後日、そのママに尋ねました。
「勘定の十倍のチップを払っていく寛美さん、
チップを置かないで勘定をしっかり払っていく僕、
勘定を値切って、値切った分をチップで置いていく雄二さん。
この三人のなかで誰が一番ええ客なんやろ?」
ママは当然という顔をして答えた。
「そりゃ、雄さん、やり方が粋やもの」
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「雄二さんほど持てた人はいてません」と藤田さんも書いている。
ミヤコ蝶々さんの、
漫才時代の相方だった人で、元ダンナさん。
決して男前でもないのに、
この人の「モテ伝説」のエピソードは和知れない。
かっての大阪、夜のチマタで豪遊する三人を、
「キタのまことか、ミナミの雄二、
東西南北 藤山寛美」と呼びならわされたころのはなし。