いつの新聞だったかな、
ハンセン病患者を描いた本の書評欄の中に、
国家により、
強制的に氏名を変えられ、戸籍を奪われたり、
妊娠しているのに無理やり中絶されたりした患者らについて、
「名前を奪われることは過去の歴史を失うことであり、
子どもを宿し、産み、育てることは、未来に向かうことである」
と云う文章がありましてね、
それでちょっと思い出したことがあるんですよ。
あ、ハンセン病とは関係の無いことです。
はるかむかしのこと、
夫婦者でやってる、馴染みの中華料理屋がありましてね、
中華屋とは云っても、カウンターだけの小さな店です。
ある日、近所を通ったので、
「うまい天津飯でも食わしてやろうか」と、子どもを連れて入ったんですよ。
注文を済ませて待ってたら、
いつもは明るいその店のおカミが、
「ええなぁ」とため息混じりに話しかけてきた。
普段と違うマジメな口調が意外で、
「なにが?」と、聞き返すと、
「子供が居てうらやましいわ、」と、
顔はほほ笑んでるのに、目の奥が淋しそうなんです。
その場は、
「おカミなんか、まだ若いから、そのうちできるよ」と笑って済ましたんですが、
彼女のその思いは、かなり深刻だったらしい。
二年ほどして、
そのおカミが男をつくって駆け落ちしたと聞いた。
堅い人柄で、
そんな風には見えなかったが、
どうもその原因は、
子供ができず、それを嘆くうち、
夫婦仲がギクシャクしてしまったことらしい。
朝から晩まで、
狭い店の中で顔を突き合わせていると、
子供でもいないと行き詰まってしまうのかもしれない。
相手は年下だったらしいが、
彼女の「向かうべき未来」たる、子供を宿せたかどうか、
間もなく店は閉まり、
その後は、彼女の噂も聞かなくなったので、私は知らない。