漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

向かうべき未来

2015年09月16日 | せけんばなし

いつの新聞だったかな、
ハンセン病患者を描いた本の書評欄の中に、

国家により、
強制的に氏名を変えられ、戸籍を奪われたり、
妊娠しているのに無理やり中絶されたりした患者らについて、

「名前を奪われることは過去の歴史を失うことであり、
子どもを宿し、産み、育てることは、未来に向かうことである」


と云う文章がありましてね、
それでちょっと思い出したことがあるんですよ。

あ、ハンセン病とは関係の無いことです。

はるかむかしのこと、
夫婦者でやってる、馴染みの中華料理屋がありましてね、

中華屋とは云っても、カウンターだけの小さな店です。

ある日、近所を通ったので、
「うまい天津飯でも食わしてやろうか」と、子どもを連れて入ったんですよ。

注文を済ませて待ってたら、

いつもは明るいその店のおカミが、
「ええなぁ」とため息混じりに話しかけてきた。

普段と違うマジメな口調が意外で、
「なにが?」と、聞き返すと、

「子供が居てうらやましいわ、」と、
顔はほほ笑んでるのに、目の奥が淋しそうなんです。

その場は、
「おカミなんか、まだ若いから、そのうちできるよ」と笑って済ましたんですが、

彼女のその思いは、かなり深刻だったらしい。

二年ほどして、
そのおカミが男をつくって駆け落ちしたと聞いた。

堅い人柄で、
そんな風には見えなかったが、

どうもその原因は、
子供ができず、それを嘆くうち、

夫婦仲がギクシャクしてしまったことらしい。

朝から晩まで、
狭い店の中で顔を突き合わせていると、

子供でもいないと行き詰まってしまうのかもしれない。

相手は年下だったらしいが、
彼女の「向かうべき未来」たる、子供を宿せたかどうか、

間もなく店は閉まり、
その後は、彼女の噂も聞かなくなったので、私は知らない。







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