漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

営々、二千五百年

2016年08月10日 | 歴史
天皇陛下のお言葉、
テレビ見てた我が同居人ドノが言うことにゃ、

「司会のアナウンサー、凄く緊張してた、
いつも軽妙に喋る人が『絶対に間違わないぞ』ろ云う顔で、ゆっくり喋ってた」

ウン、分かりますねぇ、

だって新聞も、
日ごろ馴染みのない大学教授なんかのコメントを扱ったりして、

「誰にも文句を言われまいぞ」と云う姿勢だったもんね。

こうみんなが、堅苦しくなると、

へそ曲がりの当方としては、この件に関して、
鳥越俊太郎さんや、左高信さんに喋らせてミロ、

それなら「さぞオモシロカかろな」、なんて思っちゃいますね。

でもなんですね、

東京のど真ん中の広大な敷地にある大邸宅で、
美人で賢い奥さんと暮らし、立派な息子や娘たちにも恵まれ、

カネのことも就職のことも心配もなしに暮らしている御方を、
私のような貧乏人が、チットモ羨ましいと思わない、と云うのも不思議。

それどころか、

小学校の時に、家族の命さえ心配したであろうこの方は、
きっと忍耐続きの一生だったんだろうなと、惻隠の情さえ湧いてしまう。

畏れ多くも、ね。

3000本安打のイチローも、
この数日は、苦しい思いをしてたようですね。

広島の黒田投手が、
200勝を挙げた時のインタビューで、

プロで野球をやっていて、
「楽しいと思ったことは一度もない」と語っていたのも印象的。

陛下やプロ野球の成功者でさえそうなのだから、

なんか日本民族には、
「忍耐や苦悩」と云う言葉がそぐうのかも知れない。

これもやっぱり、
弥生時代から、営々と続けてきた稲作文化の影響なのかな。

いまはそうでもないようだけど、

昔のコメ作りは、

田植えから草取り、水の案配は勿論、
冷夏や台風の心配と、

心休まる暇のない、
それこそ、「忍耐と辛抱」の連続だったものね。

そうか、この文化は、
営々、二千五百年の歴史の間に築きあげられた国民性なのか。






コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。