漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

色即是空 (物すなわち空なり)

2016年08月12日 | ものがたり
もうすぐお盆、
いや、こんな時期に山の日を作った政府の目論見からすれば、

もうすでにお盆に突入してるのかもしれない。

きょうはお盆らしく、
以前何かで読んだ、坊(ぼん)さんの話でも。

世界中にエイズが広がり始め、不治の病恐れられていた時期、
まだ ろくな治療薬も開発されてなかったころの話です。 

意欲あふれる日本の若き坊さんが、タイの大寺院へ研修に行ったんですね。

ある日、そのお寺からエイズ患者を収容するホスピス、
つまり、死を看取る施設へ行く坊さんのチームに随行することになった。

行ったホスピスでは、
タイの高僧の後に付いてエイズ患者の病棟を回るんですが、

その折り、高僧はエイズ患者に歩み寄り、
ためらうことなく、患者独り独りの手を握っては励まして回るのだそうです。

当時も、エイズ患者に対しては、感染を防ぐため、
医療従事者などは手袋をはめるのが常識だったのですが、素手で握っている。

ある患者など、どう見ても末期症状、
皮膚がただれて体液がべっとり、

それでも素手で力強く握ってやるのです。

その姿に感動していると、
その患者が、後ろで見ていた日本の坊さんにも手を伸ばしてきた。

もちろん、その坊さんも素手です。

エイズは体液感染ですからね、
こちらに蚊に食われたぐらいの傷があってもうつる危険があります。

その若き日本の坊さんは、
どうしても患者の手を握り返すことができなかった。

意識としては手を握り返すべきだと思い、
心は逸れど、

寺のことや、親のこと、
妻子のことばど思い浮かび、体が凍り付いたように動かないんですね。

施設からの帰り道、
その人はそんな自分が情けなくて、泣いてしまったのだそうです。

宗教者として不甲斐なくて。

そんな彼に対し、タイの高僧は、ごくおだやかな声で、

「当然ですよ。
あなたには守るべき家族がいて、守る寺がありますからね」と言ってくれたのだそうです。

そして、こう教えてくれたのだそうです。

「タイで僧侶として出家すると云うことは御仏に命を預けると云うことなのです。
だから出家した僧侶である私には妻も子もいません。
もしエイズで死んだとしても、寺は弟子が継いでくれます。
だからあなたと私が違うのは当然ですよ」 と。

私はこの話を読んで、
江戸時代以前の仏教が妻帯を禁じていた意味を知り、

なるほどなあ、と深くうなずいたのです。




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