漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

ヒミコさまァ~!

2012年06月15日 | 歴史

「日本史の謎」とされるもの数あれど、
その壮大さと云い、謎の茫洋とした奥深さと云い、

ささらには史料としてはわずかに中国の古代史書一冊を読めばいいと云う処から、
らには史料がわずかに中国の古代史書一冊と云う処から、

「邪馬台国の所在」ほど、多くの人を牽き付けるものはあるまい。

その古代書、「魏志」の中の「東夷伝」に記せるとおり、
「邪馬台国」への旅程をたどってゆくと、

北九州にたどり付くまではいいとして、
そこからもなお、記述どおりに進めば、はるか南海、太平洋の沖合いに達する。

なんと、邪馬台国は海中に浮かぶ国と云う事になってしまうのだ。

そこから、ここ三百年程前より、侃々諤々の議論が繰り返され、
明治以後は、「畿内大和説」と、「北九州説」とが有力となったはご存じの通り。

さて、先日のテレビ番組で、
魏志を研究する中国古代史の学者が面白いことを述べていた。

その云わく、
「中国の史書は邪馬台国のために書かれたのではなく、
 三国志でお馴染みの三国時代のことを、後に覇権を得た「魏」の立場から書いたものである。

 したがって、倭人の条を読むにも、そのことを斟酌して読む必要がある。」

さらに先生は云う。

「中国を三つに分けた三国時代、
 当時の「魏」にとって、最大の問題は南に隣接する国「呉」と、
 中国内陸部にある、儀から見て西南にある「蜀」をどう攻略するかという事。

「蜀」の背後には遠く大国のペルシャがある。

 これが蜀を牽制する形に立っていると魏の方では考えた。
 当然、もうひとつのライバル、「呉」にも背後から牽制する国が欲しい。

 そこで登場するのが「女王卑弥呼の治める邪馬台国」で、
 その国は、今の揚子江の沖合い南方辺りに在するのが望ましい。

 そう云う願望と思い込みが、
 魏志の中で、邪馬台国を太平洋上に浮かべた」という分けである。

なお、先生は、魏がウソを書いた分けではなく、
自分たちの願望もあって、
邪馬台国は本当に呉の背後を脅かす位置にあったと思っていたのだろうと云う。

もちろん、説得力あるこの説でも、
邪馬台国がどこにあったかは謎として残るのですが、

それも、マァ、分からない方がいいのかもしれないので、

そのことも含めて、オモシロカッタし、楽しかった。





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