明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

木地師(きじし)考

2014-09-02 23:23:36 | Weblog
8月28日、私の車は長野県木曽郡南木曽町漆畑の有限会社ヤマト小椋商店の駐車場にあった。駐車場に降り立った瞬間から、思いは時空を超えて20数年前にフラッシュバック。
20数年前にも、このお店に立ち寄っているのである。その時は徒歩であった。南木曽岳・余川峠を歩き、川筋に下山してきたのである。疲労困憊であった私達は、ヤマト商店の駐車場にへたりこんだ。ザックを枕に熟睡で大いびき(多分)。
気がつくと、粗末は作業小屋にて一心不乱に作業に専念している方がいた。興味にかれて見ていると木を削っておられるのである。しかも、木はぐるぐる回っていた。周囲には、うず高く盆・椀等が荒削りの状態で積まれている。作業の合間に質問をした。その方は、木地物をつくる木地屋と名乗られた。そして、「製作途中のこの盆をあげるよ。反ってしまったので作品にはならない」との話。有難く頂戴。帰宅後、記念にと漆塗りを業者に依頼した。それが、下写真。手前の方が大きく反っているのが判りますが木目が非常に美しいお盆なのです。今でも現役。和菓子を盛れば風流。

これが、初期真宗史のなかで、大きな働きをしたであろう木地師(山の民)に関心を持つきっかけになった出来事。お店に入り、飛び込んできたのが正面に置かれた2人挽きロクロ。

同行者に説明していると、偶然にもお店のご主人である小椋正幸さんが。小椋さんは、南木曽は漆畑木地師の正統なる後継者。明治以降、多くの木地師が転職したが、漆畑にて木地師の誇りをかけて現在も営々と続けておられる。
あれこれと小椋さんとお話。かねてより私の持論である「イタドリ」と「茗荷(みょうが)」は、野菜不足の補うために木地師が山中にて大切に育てた植物と考えている事を話してみた。そして、「イタドリ」を食べる文化が残る場所は、木地師の影響が残った地域であろうと話した。(註・・自坊周辺は、イタドリ文化の宝庫)
小椋さんは、我が意を得たりで話された。「そうなのです。イタドリ等は木地師の食べ物。」と話された。やはり、私の推論は正しかったのです。
写真・・・アイスコーヒーをいただく。

そして、一冊の本を渡された。松本直子著『南木曽の木地屋の物語』である。

副題には、なんと「ろくろとイタドリ」とあった。家に帰り、読み進むと「木地屋の美味しいもの」の項目があり、イタドリとミョウガが木地師とは密接不可分であることが書かれていたのである。(204頁から206頁)
思う事があります。私を初期真宗の世界(太子信仰)に誘ってくれたは、この「木地盆」なのです。大きく反ってはいますが木目が非常に美しい盆なのです。この「木地盆」を一体誰からいただいたのだろう?????と思うのです。
そして、夢があります。山から山に移動した木地師達。尾根道を最短距離で移動したといいます。この「木地屋の道と」もいうべき道を一度歩いてみたいのです。

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