わたしの趣味&道楽  久保田 良雄 JA3MVS

ようこそ当ブログへ・・・ 令和2年10月1日

鉄道ファン

2016年10月01日 | 京都市電N電廃止55周年

昭和21年2月8日 午後11時13分頃 北野線最終電車 京都駅行きが 北野神社前を発車し「千本中立売り」で「千本線」交差点を 通過「中立売通り」を「堀川中立売り」へ 向け東進するが この両電停間は(戦中までは この間2箇所の電停あり)距離があり 更に 地形的に「堀川」向けに 緩い下り勾配 「大宮中立売り」付近で ポールがはずれ そのため 電気ブレーキが効かず そのまゝ満員電車は「堀川」に 転落 木っ端微塵となり 多数の負傷者がでた事故であった 下の写真は 見にくいが 事故の記事が載った新聞である 8日に事故があったのに 10日付けの新聞に載るような時代であった
小生は 翌日(9日)学校から帰ってすぐ 見に行ったが 車両は木っ端微塵 車体に「N123」の 文字が 水流の少ない 堀川に映えていた 川淵の石垣に 竹梯子が掛けられ 救助時に付いたのか 凄い血がそここゝに付着していた記憶があり あの事故から70年が経ったのかと思うと ありきたりの言葉ではあるが 月日の経つのは早いと思う
この事故について 今まで真相は報じられてないが 当時 花街 北野「上七軒」の「歌舞練場」であった「北野歌舞練場」を「進駐軍」に接収され「進駐軍GI」専用の遊び場「北野キャバレー」となり その「GI」達が 北野線最終電車で 今の「関西電力京都支店」ビル も 「進駐軍GI」達の宿舎として接収され「ラクヨーホテル」となり そこまで帰るのに利用していたのである そのキャバレーで酔っぱらった「GI」が 最終電車の運転手を唆して 電車ジャックし ノーブレーキでカーブを曲がりきれず そのまゝ堀川へダイビングした事故であった 当時は「進駐軍」に 楯突くことは 出来なかったのである 余談ではあるが この時期 当時「国鉄」(昭和24年に鉄道省から日本国有鉄道 現在はJR)になった直後から「下山事件」・「松川事件」・「三鷹事件」と 立て続けに 鉄道に関する不審な事件が起きたが これ等も真相は 不明のまゝであった
          資料:小生保存      文責:小生      012-04


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