(祇園石段下)電停停車中のドル箱路線1号系統の1000形1003号車
写真:小生保存 文責:小生 026-16
昭和30年8月「京都市電」の集電方式が ポール から ビュゲール に 変更された為 「叡電線」への乗り入れは中止された 架線は既に撤去されているが軌道のポイント部分だけが撤去されている「東山線」(叡電交差)である
写真:小生保存 文責:文責 026-17
「大宮線」靄の掛った「東寺五重塔」をバックに(東寺道)電停で乗客扱い中の急行のサボを付けた「京都市電」1000形
写真:小生保存 文責:小生 026ー18
昭和31年に開通した通称「下鴨線」(河原町線の延長で(河原町今出川)から(洛北高校前))葵橋の渡り初めも1000形の出番であった
写真:小生保存 文責:小生 026-20
「洛北高校前」(北大路河原町)交差点を走行中の1000形(1012号車) 1000形車輌がデビュー時 昭和24年新聞記事に200人乗りで日本一大きな市電と載った車輌である
写真:小生保存 文責:小生 026-21
「祇園石段下」電停を発車して行く1000形1025号車 長尺だけでなく車幅も約10cm広くなったのが左側の車輌に比べたらよく判る
写真:小生保存 文責:小生 026-22
この乗り入れに使用された車両は 京都市電戦後初昭和24年にデビューしてきた1000形で32輌が「壬生車庫」と「烏丸車庫」に配属された 1000形は京都市電で一番ロングボディー(13m80cm)のため乗り入れ車輌に選ばれた この写真は珍しい光景で1000形のトップナンバー1001号車(左)と同じくラストナンバー1032号車である しかし長尺のため出力不足で後に18輌が(37kw×2)から(45kw×2)に増強された 写真は京都市電開業時最初に建造された「壬生車庫兼工場」で頑丈なレンガ造りが当時の意気込みを感じさせる またトロリーバスが(梅津)方面に延長されるまで トロバスの寝ぐらでもあった 今回は「京都市営宝ヶ池競輪」開始の為「京都市電」一番長尺車1000形の「叡山線」乗り入れにつてUPしてきた しかし「高山義三京都市長」自身が提唱して始めた「市営宝ヶ池競輪」を(公営賭博)は よくないと 昭和33年に廃止になったが「京都市電」の「叡山線」乗り入れは それより3年前の昭和30年に「市電」の集電方式が(ポール)から(ビューゲル)に変更になり昭和30年8月に廃止された その間「京都市電」が輸送した人員は 68万人の記録が残っている その他長尺車輌のため この1000形はオーバーハングの関係で一度も「伏見線」に入線することなく昭和47年に全車廃車の運命を辿る事になっていったのである 「京都市電」では一番短い24年の寿命であった
写真:小生保存 文責:小生 026-026