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4月の統一選には市民派議員をふやしたい!

「私の市民論」/『市民派議員になるための本』1‐2「市民」とはだれか?

2007年01月08日 | 『最新版 市民派議員になるための本』
今日は一昨日のスタッフ会で概要を決めた「選挙直前講座」の打ち合わせを、午後からつれあいと二人でしています。
内容を詰めたら参加者にお知らせして、webにアップしてPR。
明日にはマスコミにもお知らせして広報を始めます。

『市民派議員になるための本』は、市民自治を考える上での原点ともいえる「市民だれか?」。
わたしの「市民」の考え方は・・・・迷ったとき、常に原点に立ち戻って考えるとき、一貫してこの考え方を通しています。
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『市民派議員になるための本』
(寺町みどり著/上野千鶴子プロデュース/学陽書房)1‐2 「市民」とはだれか?

 あなたは、市民ですか? 住民ですか? どう呼ばれたいですか。
 「市民」というと、主体的な意思を持つ住民、という意味のように聞こえます。法律には、市民という言葉は出てきません。「住民自治」「住民監査請求」「住民及び滞在者」「住民の意義」すべて住民と書いてあります。
 「自治」が住民自治であることを考えれば、「市民」は「わたしのことは、わたしが決める」ひとびとのすべてをいうはずです。
 自治体の当事者はすべてのわたし。
 この本では「わたしのことは、わたしが決めたい」すべてのひとびとを、「市民」と呼ぶことにします。

《参考文献》
『超入門 地方自治制度はこうなっている』今井照著・学陽書房
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『市民派議員になるための本』のなかの、この「市民とはだれか?」は短いけれど、市民自治を考える人たちの間で話題になりました。
そのなかで、「市民とは」という問いについて、2004年に『Volo』4月号「私の市民論」(大阪ボランティア協会)に以下の文章を書きました。
「私の市民論」は各界の「著名人」による連載で、『Volo』10月号に書いた上野さんから、「著名人」でもないわたしにと指名されたものです(笑)。

わたしが「市民」をどのように考えてきたか、わたしの原点とも言える経験を、あわせて読んでみてください。
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個人的なわたしの、市民「論」
                     寺町みどり

●アリシアさんとハルちゃんのこと
 「妊娠8カ月の外国人女性と3歳の男の子が路頭に迷っている。岐阜県に住んでいた人だけど、受けいれ先を探してもらえないだろうか?」
 3年前の7月、アジア女性を支援する活動をしている友人から電話があった。
「ほんとにどこにも行く所はないの?」 アリシアさんとハルちゃんという名の母子は、パスポートもビサもお金もなく、もう何日もロクに食べていないという。ハルちゃんは日本人を父とする無国籍児だった。わたしは迷わず母子を受け入れることに決めた。翌日、わが家にやってきたふたりは疲れはて、ハルちゃんはやせておびえた目をしていた。8カ月と聞いていたが、知人の助産婦さんに診てもらうと「もういつ産まれてもおかしくない」という。紹介してもらった公立病院の女医さんは、アリシアさんの事情を了解した上で、「この状態で断ったらどこにも行くところがないでしょう。ここで産んでください」と言われた。
 平行してメールやファクスで友人や知人にカンパや生活用品の支援を頼んだ。 ハルちゃんは、日一日と元気になった。笑顔のかわいい男の子だった。ハルちゃんは、県女性相談センターに頼み込んで「緊急保護」ということで、出産がすむまで預かってもらえることになった。「超法規的」な唯一の措置。最初に相談した県庁の責任者は「どんなケースにも対応します」と言っていたけれど、けっきょく公的支援、扶助、措置も含めて、救済する制度が何もないと回答を受けていた。町役場や警察にも相談したが、法律も条例も皆無。法の谷間にいる彼女たちはそもそも、いまここに、いないはずの存在だった。
 どこへ相談に行っても「母子はきわめて幸運なケース」と言われた。
 じょうだんじゃない。他の無権利状態の人たちは、どこでどのように暮らしているのか。外国人を生かさず殺さずはたらかせ、法的に存在しない人たちに支えられて成り立っているわたしたちの社会。あまりに冷たい法制度やシステムの不備こそ、大きな問題だと、わたしは憤りを感じていた。
 8月、赤ちゃんはぶじ産まれた。解決できない問題は山積していて先は見えなかったが、ひとりひとりが少しずつできる力を出しあって、彼女たちを「いまここで」支えた。9月、たくさんの人の善意に支えられて3人は国に帰って行った。迎えが来るまで、彼女とわたしは抱きあってすごした。「ずっとここにいたい」という彼女を「またいつか会おうね」と送った。ハルちゃんの笑顔がまぶしかった。わたしは彼女を救おうと思ったけれど、救われていたのは、わたしだった。

●「無党派・市民派とはなにか?」-上野さんへの手紙
 同じ夏、上野千鶴子さんが、ひょんなことからわが家にあらわれた。その夜、上野さんに「無党派・市民派ってなあに? わたしにわかるように伝えて」と問われたが答えられなかった。数日後、とりあえずお返事を書いた。
 「わたしは5歳のとき、社宅でエリちゃんという友人と遊んでいて、日本人の友に取り囲まれ『ちょーせんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはえエリちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別され、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱きあってじっと耐えていた。・・・・・・
 そのときわたしは石を投げる側にはけっして立たないと思ったにちがいありません。なぜなら、わたしはこの記憶を忘れてしまったけれど、強い側、差別する側にはけっして立たないという一念だけは、なぜか忘れませんでした。今日までのわたしの生きかたや、市民運動は、すべて弱者の側から強者の側に発する問いであり、投げかけであり、異議申し立てでした。わたしは力を持たない弱者のまま、十全に生きようとすることにより、強者の論理を突き返してきました。
・・・・・・『無党派・市民派』は、女たちが暮らすそれぞれの場でかたちをかえ、拡散し、とてもひとつにはくくりきれません。しいていえば、力を持たない『弱者の論理でする政治』でしょうか。
 わたしたちの、政治のかかわり方が新しいのは、利権や既得権を持つことを望ま
ず、ただ弱い立場の人に共感し、当事者としてその思いを実現したいと働いていることです。わたしたちは、議会で地域で、強者の論理をまずつきくずし、弱者の論理を、ゆずらず主張します。わたし自身は、<権力・権威>にかわる、新たなどんな<ちから>もほしくありません。とりあえずいまある権力を、強者の論理を、生きているあらゆる場面で<無化>していきたい。その先にあるものは、少なくともいまよりはフラットな、いまよりはましなものではないでしょうか。
・・・・・・わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異義を申し立て、支配され差別される側からの『弱者の政治』をつくりたい。」と。

 ●「わたしのことはわたしが決めたい」すべての人が市民
 わたしは、家族から「いらない子」と言われ、存在を否定されて育った。たったひとりの友人だったエリちゃんとは幼いころに引き裂かれるように別れた。アリシアさんとハルちゃんは、たしかに存在し、わたしといっしょに暮らした。3年前の夏、わたしは、自分の子ども時代を思い、在日のエリちゃんを思い、アリシアさんと子どもたちのことを思い、市民ってなんだろうと考えつづけた。
 その年の12月、わたしは一冊の本を書いた。上野千鶴子さんプロデュースの『市民派議員になるための本』(学陽書房・2002)。この本のなかで「市民とはだれか?」という問いに、わたしはこう答えている。
 「自治体の当事者は、すべてのわたし。この本では『わたしのことはわたしが決めたい』すべてのひとびとを『市民』と呼ぶことにします。」
 幼かったわたしも、エリちゃんも、アリシアさんもハルちゃんも、みんな「市民」だ。彼女とわたしをわけたものはなんだったんだろう。彼らとわたしをわけたものは、なんだったんだろう。
 わたしはいま、2冊目の本を書いている。『市民派政治を実現するための本-わたしのことはわたしが決める』(発行:コモンズ)。この4月刊行予定で、上野千鶴子さんとごとう尚子さんとの共編著である。「市民派政治」は、わたしが問いつづけたものへの、ひとつの答えのような気がする。
 ひとの唯一のお仕事は、ただ「生きる」ことだと思う。人を人として生きさせない政治があるなら、変えるべきは、人ではなく政治である。
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この「私の市民論」を読んで、上野さんは、その直後に出した『ことばは届くか―韓日フェミニスト往復書簡』(上野千鶴子,趙韓惠浄著・佐々木典子,金賛鎬訳/岩波書店)の「往復書簡を終えて」のなかで、わたしの2冊の本とこの記事を紹介してくださっています。

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・・・・・・ わたしがこんなことを言うのも、このところ、自治や市民権などの問題に、関心を持っているからです。福祉の問題に関心を持ってからは、「上野さん、最近は女のことは放りだして、高齢者の問題に夢中なんだって」、と言われましたし、市民自治の本を出してからは、「畑違いのあなたがなぜ」、と聞かれました。わたしにとっては、あれもこれも、ひとつながりのものです。「女の問題」から遠ざかったわけではありません。むしろ「女の問題」をほりさげていけば、出会うべくして出会った主題だった、とわたしには思えます。
 障害者を施設から地域へ、と運動してきた障害者自立生活運動のカリスマ的リーダーである中西正治さんと共著で出した本のタイトルは、『当事者主権』(岩波新書、2003年)と言います。最近出した地方自治についての共編著、『市民派政治を実現するための本』(上野千鶴子・寺町みどり・ごとう尚子、コモンズ、2004年)の副題には、「わたしのことはわたしが決める」とあります。もちろん、この当事者による「自己決定」は、ネオリベラリズムのいう、「自己決定・自己責任」とは何の関係もありません。
 思えば、フェミニズムって、「わたしが女であることは、わたしが決める。ほかの誰にも決められたくない」という弱者の自己定義権の要求ではなかったでしょうか。
「ブスは女でない」から始まって、「やさしくなければ女でない」「たばこを吸うのは女らしくない」「論理的な女は女じゃない」果ては「男に選ばれないおまえは女じゃない」まで。要するに「女らしさ」の定義は男の手中にあったのです。よくもまあ、ぬけぬけとこれほどまでに自分につごうのいい「女らしさ」を吹きこんできたものだ、と感心します。だからこそ、「男に選ばれても選ばれなくても、わたしはわたし」とフェミニストは言ってきたのですし、そこから「他人に存在証明してもらわなくても、わたしはわたし」まであと一歩でしょう。
 地方自治の本は、寺町みどり著『市民派議員になるための本』(学陽書房、2002年)の続編といってよい本で、著者は岐阜県の山間にある人口19000人の小さな町で無党派・市民派の議員を経験したあと、ひとりでも多くの市民派女性議員を増やそうと、ネットワークをつくって活躍している女性です。前著はこれから議員になりたい人のために、次の本は、議員になってしまった人のために、書かれました。日本の地方政治の舞台でも、「ひとりでも多くの女を政治に」という段階から、「議員になっていかに闘うか」「議会で何を実現するか」へと問いがステップアップしてきているのです。
 みどりさんは、無農薬の農産物を直接消費者に届ける専業農家でした。今や崩壊状態にある日本の農業も、こうやれば立て直すことができるということを、現場で実践してきました。農薬を使わず、環境にやさしい農業を学びにくる農業研修生を受け入れてきたこともあります。
 市民派議員って、もっと都市部の意識の高いところじゃなきゃ、支持者がいないわ、という人がいますが、彼女と彼女につながる人たちは、日本でももっとも保守的な地方の、人口規模の小さな自治体で、小さな変化をまきおこしています。そういえば、前にお話しした介護サービスを供給する福祉市民事業体の人たちも、九州という男尊女卑の伝統のねづよい保守的な土地の、中小の地方都市でがんばっている女性たちでした。彼女たちはこう言ったものです。「首都圏でできることは、首都圏でしかできない。でも、わたしたちがここでできることは、日本中どこでもできるはずだ。」なんていう殺し文句だったことでしょう。わたしはこれにころりと参って、まる3年間を、彼女たちとつきあったのですけれどね。
 そのみどりさんが「市民派政治って何?」と聞かれて、こう答えた文章があります。そのタイトルは「私の市民論」(『Volo』4号、2004年、大阪ボランティア協会)。
 「・・・わたしは5歳のとき、えりちゃんと遊んでいて、社宅の中で日本人の友に取り囲まれ『ちょーせんかえれ!』と石をぶつけられた。男の子も女の子もいて、悲しいことにみんなわたしの友だちだった。わたしはえりちゃんをとっさにかばい、あちこちから飛んできた石はわたしの背中に当たった。もろともに差別され、怒りにふるえ、でもわたしたちから投げ返す石も、投げ返すどんな言葉もなかった。わたしたちはただ抱き合ってじっと耐えていました。」
 在日の友だちとの交流が、彼女の原体験でした。そこにいるのに「市民」として権利さえ持てない人々。
 彼女のつくりたい「政治」は、次のようなものです。
「わたしは人生をかけて、ぶつけられた石に対して石を投げ返すのではない、やられたらやり返すのではない、弱者が投げかえすことのできる言葉を探しています。わたしはいまの政治の、すべての強者の既得権を疑い異義を申し立て、支配され差別される側からの『弱者の政治』をつくりたい、と。」
               *
 「当事者主権」って、英語でなんて訳せばいいの?と聞かれて、そうね、selfgovernanceじゃないかしら、と答えました。「自己統治」とも訳せるこの語は、もちろん地方自治の「当事者」は市民であり、自治とは市民による自己統治である、という考え方と結びつきます。それに「主権sovereignty 」といういささか強いことばを与えたのは、「わたし」の運命を決める権利を、わたし以外のだれにも_夫にも親にも、国家にも支配者にも_委ねない、という立場を鮮明にしたかったからです。
 20世紀のように、国家が個人の運命_のみならず生命までも_を翻弄してきた時代を過ごしたあとには、国民主権_しばしば以上に「国家主権」と誤解されますけどね_ということばすら、じゅうぶんではないように思えます。もとはといえば、国民主権ということばこそ、君主が臣民の運命を自由に決める「君主主権」に対抗して、個人を守るためのものだったはずなのですけれど。21世紀の現在(いま)になっても、イラク人だというだけで爆撃を受け、アメリカ人だというだけで殺害され、日本人だというだけで人質になる。お互い個人的にはなんの憎しみも持たない人々が、国家に翻弄されて殺したり、殺されたりしています。まさか21世紀にもなって、こんなむきだしの暴力が吹き荒れる野蛮な時代に立ち会うとは、夢にも思っていませんでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・
(『ことばは届くか―韓日フェミニスト往復書簡』P208~212より)
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この本、とってもよい本です。
長くなりましたが、興味のある方は、ぜひあわせてお読みください。


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