(裏)長男の荷物

それどこで買ったの?いくらしたの?Where did you get It? How much was It done?

ゴーン・ガール ベイマックス

2015年01月05日 23時14分04秒 | 映画
※おとこわり
幣ブログでの映画レビューは平気で” ネタバレ "します。恐縮ですが知ったことではありません。レビューが面白く書ければいいのです。半分冗談ですが、半分本気です。誰にも媚びないスタンスを保ちたいと思っています

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ゴーン・ガール Gone Girl 小説を基にした映画だそうな。
Gone つまり逝っちゃったってこと? さあ、どうかな
人間、生きていれば、いろいろな事があると思う。特に男と女の関係には。感想? 私に聞くな、聞かないで欲しい、皆まで言わすな
情けないことに、字幕を追えなかった所が2か所。私の英語力に起因するところなのですが、カレンダー(スケジュール)に字幕では「死ぬ日」の意味(=死が立証されて、陥れる罠が完結する日?)、もう一か所が主人公の双子の妹が「しかも18年の偽りの関係・・」と言うセリフの意味。ストーリーの大筋には関係無いのだろうか? レンタルになったら、確認します(しないだろうが)、、こんな文では映画のレビューではないので、少しは書きます
で、やはり分からない、動機が。なぜ分からないか追って書くと、ストーリーを書くことになるので控えますが、引いて考えると登場人物全員の動機が浅い。主人公、突然姿を消す妻、刑事は核心に迫りそうだけどFBIに押し切られたり、巡査はルーチンワークだろう、インタビューアーは視聴率、弁護士はテレビ受けする案件へのリターン。ということは結論はサイコパス? まさか
小説であれば、誰が「何をしているか」「考えているか」が書いて無ければ想像を膨らましつつページをめくるしかない。つまり小説では、主人公の夫が妻殺し、妻が誘拐された、妻が殺されて死体として運ばれた・・・・といういくつかの選択肢から読者に推理させるのですよ。映画ではそうはいかない、映像だけで夫の妻殺しではないと分かってしまう、つまり映像が想像に取って代わり、ストーリーの先読みになって、観客を飽きさせる。この辺りがミステリー映画の演出のポイントだろう。という訳で映画『ゴーン・ガール』は失敗作
映画としては「セブン」を撮ったデヴィッド・フィンチャーらしい残酷ともいえるブラックジョークだ。それだけ
David_Fincher_(2012)_3.jpgwiki デヴィッド・フィンチャー
何か「ゴーン・ガール」と「セブン」とではフィンチャーの作風・イメージが違う
妻役のロザムンド・パイクは近々だとJack Reacher に弁護士役で出ていました
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邦題「アウトロー」。面白かったです

※ネタばらします(●-●)ノ
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ベイマックス BIG HERO 6
泣いちゃったよ、お子様たちが観ている映画で。
ベイマックスは主人公ヒロの最愛の兄タダシがつくったケア・ロボット。人の痛みに反応して「大丈夫」と言うまでケアしてくれるように作られた。ついでに脳をスキャンすることによって脳内ホルモンの分泌で、その人の精神状態まで分かる、つまり心のケアまでしてくれる。このケアのプログラムはヒロの兄タダシが作ったもので、ベイマックスの左胸にあるカードスロットにメモリーカードとして収められている。
ここでお気付きですよね、この記事をネットで読んでいただいている方は、メモリーカードときたら「バックアップを取らなきゃと」と、ド・ストレートに。なんせ、最愛の兄の分身なのですから。
ストーリーは、その最愛の兄が不可解な死に方をして、その謎を探るうちに、大きな陰謀を知り、それを止めるために立ち上がる。ケアロボットであるベイマックスの空のカードスロットにヒロが格闘技をプログラムしたメモリーカード差し込み、戦闘マシンとしていっしょに戦います。
クライマックス、崩壊しつつあるテレポーテションホールに落ちたテストパイロットを助けに入ります。ギリで脱出成功!ではありません。ロケットが故障したベイマックスは飛べなくなります、しかし腕の装甲のロケットでヒロとテストパイロットをテレポーテションホールから脱出させます。「私は大丈夫だから先に行ってください」的な、いわゆる自己犠牲というケア。私は、この" 自己犠牲 "にめっぽう弱い。人として、最も人らしいことだと思うから。
後日、ベイマックスが唯一残した腕の装甲の拳から、兄の形見のケアプログラムが入ったメモリーカードが出てくる。BIG HERO 6 復活!続く
子供向け映画に" 自己犠牲 "を出さないで欲しい。「あなたと共に戦えて光栄でした!」ドカン!こういうのは、SFアクションバカ映画だけでいいと思う。自己犠牲は美しいけど、残された者は一生、十字架を背負わなければならない。
ヒロはベイマックスの残した拳の中からケアプログラムが入ったメモリーカードが出てくることで、この十字架を背負わなくて済むのだけれど、これって誉めて良いストーリーなのだろうか。

調べたら、マーベルだそうだ。なるほど
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ストーリーは、ありきたりの「チーム」とか「信じてる」とか。CG はがんばったと思う。そうそう、エンドロールが始まっても、席を立ってはいけません。ゴーン・ガールは早々に立ってヨシ
こちらがオリジナル" BIG HERO 6 "
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オリジナルの描き方はマーベルらしく「6人組の正義の味方」。これじゃあ、日本では売れない。まして今年の冬休みときたら、妖怪、アイカツ、仮面ライダーだ。日本とアメリカではマーケティングが違います。間違うと観客を根こそぎ持って行かれます。日本人、特に子供から女性は丸くて柔らかいものが好き
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こういった物たち。ムギュっとしたい感じ

マーベルの、ディズニーの、アメリカの子供向けの正義が、なぜ「チーム」と「信頼」がメインとなるストーリーなのか?
チームとしなけばならないのは、マジョリティとマイノリティの混成チームにしないと、広く観てもらえないどころか、反発をくらう。だから、白人、黒人、東洋人、ジェンダー、その他、といった編成になってしまう。
そこで必要なのは信じること。友情とかでもいいと思う。人種混成チームは信頼がなければ成り立たない。信じることは大切だ、あなたのお父さん、お母さんを信じよう、学校の先生を信じよう、国を信じよう、と言っているように思える。何か、アメリカという国が現在、持っている苦悩の縮図みたいなものを感じる。
どうだろうか、勘ぐり過ぎだろうか

今年の冬休みは暇つぶしになる映画が無かった、ということです。
そうそう、映画レビューは” 2行 "で書けと、とある所に書いてありました。文章力が低いものですから、駄文お詫びします。

※不定期連載「心のコラム」
人が人故に" 自己犠牲 "が人の最大弱点。自己犠牲という言葉で国民を煽り、戦争という行為に英雄を求めたのはヒトラー、自己犠牲による民族自決を焚きつけて総玉砕しようとしたのは某日本という国。はたして、子供に自己犠牲を見せる必要はあるだろうか。自己犠牲は美しいものだけれど、残された者には、一生背負わなければならない十字架となる。「最後まで、あきらめないでがんばる」と教えるのが大人の義務だ。子供に「自己犠牲」を強いる世の中にはなって欲しくない。それって自爆テロを賛美するようなものだと思う


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