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(裏)長男の荷物

それどこで買ったの?いくらしたの?Where did you get It? How much was It done?

アンカラ城 Ankara Kalesi

2015年02月06日 19時50分59秒 | トルコ
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トルコの首都アンカラにある城跡。ごつごつとした溶岩が突起する丘の上に建つこの城は、古代ローマ帝国時代にガラテヤ人によって建築が始められ、7世紀に東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世により、アラブ人の侵攻に備えて内側の城壁を築き、ミハイル2世の時代に外側の城壁が増築された。その後、ビザンチン帝国とセルジュク朝によって修復や増築が行われています。城の位置する地域はアンカラで最も古い地区で、城壁内には伝統的な建造物が数多く見られ、緑も豊かで心休まるところです。、、、だそうだ
城壁内には伝統的、、、で、この辺りは市街地から離れていてガラが悪いらしい。マイクロバスからさっさと降りて、写真を撮って、さっさと撤収しました。特に見どころも無いようです。
お城の近くの路上で羊の解体を見かけました(注意:マウスオーバーで画像が表示されます)

私が撮った写真じゃないですけどね、こんな雰囲気でした。地元では日常の光景なのでしょう。心休まるか!
※追記
2013年10月15日は「イード・アル=アドハー」の祝日だそうだ。イブラーヒーム(アブラハム)が進んで息子のイスマーイール(イシュマエル)をアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日。この日は世界中のムスリムによるサウジアラビアのメッカへの毎年恒例の巡礼においてアラファト山を降りる日の翌日にあたり、すなわちハッジの最終日である。また、巡礼に参加していないムスリムも動物を1匹生贄として捧げ、この日を祝う。路上で羊を屠っていたのには理由があったのですね。

※不定期連載「心のコラム」
日本でも「解体ショー」とかでお客さんの前でマグロをサバいたりしますが、私は苦手です。反って食欲落ちます。あと、活造りも。食べ物といっても命があったわけですから、見世物にしたり玩んだりしていいのだろうか。イスラムでは祈りを捧げてから屠るのに。大きなお世話ですかね。

トルコツアー最後のホテル ESENBOGA AIRPORT HOTEL トリップアドバイザー33点
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暗い、照明が点いていない
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内装は豪華なのですが
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部屋も疲れた感じ
トリップアドバイザーの点数の通り。建った当時はまっとうな5つ星のホテルだったのでしょう。大箱のホテルは経営が厳しいのかもしれません。ごはんも美味しくない。ツアー最後なので、いい(マシな)ホテルに泊まりたかった

2013年10月15日

親日国トルコ
義理人情を重んじる国民性が故に、親日国については手放しで歓迎してしまう。親日の理由として、資金提供・技術提供し国際貢献している、にもかかわらず内政干渉をしない、だそうだ。未開のアフリカは知らんが、韓国を除いて、世界のほとんどが親日国。中国でさえ「どちらかといえば好き」を入れると、過半数が日本が好き。韓国逝ってよし
先般発生したカルト・テロ組織ISIL による邦人拉致・誘拐について、同じく親日国ヨルダンを巻き込んだ最悪な結果となりました。
jordan.jpg戦う国王アブドゥッラー2世
結果、失敗ということで表には出ませんが、トルコ政府は邦人解放に尽力してくれた。大変ありがたいことです。
この逸話をご存知だろうか。30年前、1985年イランへ侵攻したイラク軍との、“イラ・イラ戦争”のさなかのこと。とんでもバカテロ組織ISIL も、この戦争を根にすると思うとやるせない
33f956f8fb5219c3880b7d1a2427dca4_XL.jpg禁じ手の毒ガス使った陰惨な戦争
イラクの大統領サダム・フセインは、戦争の長期化にしびれをきらし、「3月29日をタイムリミットとして、この期限以降にテヘラン上空を飛ぶ航空機は、軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体、すべて撃墜する」と布告した。ドイツやイタリア人は自国の航空会社で次つぎに退去していく、どこの航空機も自国民優先なのだ。日本外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「安全が保証されていない」ことを理由に尻込みする。このような中、トルコ大使は「ただちに本国に救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」。トルコ航空は、すかさず2機の航空機をテヘラン空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せ、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返した。私はこの手の話に弱い、涙腺崩壊。
前述、親日の理由として、金は出すけど口(手も)は出さない。しかし、この国際貢献のあり方も、時代に合わなくなってきているのでは。親日国の中にも独裁制を戴く政権があるのも事実。日本は世界に向けて強く発言すべき。日本の良心、日本の価値観は世界を良い方向に動かすと思う。
2013年トルコで反政府運動がオリンピック候補地立候補を気に起こったことを覚えていますか(結果2020年東京オモテナシ)。国是の世俗主義「政教分離」を捨てイスラム価値観への回帰、大統領に強大な権限の付与(2014年8月大統領に就任)、強権主義的独裁者エルドアン大統領に対する反政権デモでした。「男女不平等は当たり前」と言ってのける人物
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例えば「白い宮殿」大統領官邸(ボーリング場があるとか、ないとか)
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同官邸内でのエルドアン大統領(右)と、パレスチナ自治政府のアッバス議長(左)と記念撮影
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後ろに立つのはオスマン帝国からの甲冑の衛兵。アベンジャーズのコスプレではない。余談だが日本政府、他主要国はパレスチナ自治政府を国として認めていない
いずれにしろ、常軌から外れているのではないか
そして情報統制。下図はサイトがブロックされた時のパソコン画面
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トルコがネット規制に積極的な背景には、政権の元閣僚による汚職事件の捜査に関する情報の隠ぺいや、デモの呼びかけに使われたSNS の遮断。私も、ESENBOGA AIRPORT HOTEL から某サイトにアクセスできませんでした。
私は見えなものが怖い。もののけ、放射能、そして権力。親日だからこそ見て見ぬ振りしてはいけない。内政干渉上等!権力の暴走でトルコという国が混乱、あるいは偏狭することは避けなければならない。なぜなら、トルコはヨーロッパとアジアや中東との仲介役として重要な存在なのだから

※おまけ
日本もネット規制があります、自殺サイトです。自殺は絶対ダメです、お願いします
私がトルコでアクセス遮断されたサイトとは違法mp3 ダウンロード。てへぺろ


神になった建国の父 アタテュルク廟 Anıtkabir

2015年02月03日 22時14分49秒 | トルコ
ムスタファ・ケマル・アタテュルク Mustafa Kemal Atatürk, 1881年3月12日 - 1938年11月10日が眠る。1953年に完成
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死して今なお現在に至るまで国父としてトルコ国民の深い敬愛を受け続けている。アタテュルクは「父なるトルコ人」。
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両側にライオンの像が並ぶ参道「ライオン・ロード」
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陸・海・空軍から選ばれた、いわゆるイケメンが警備に当たるそうだ
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2013年10月15日

建国の父が眠る丘からトルコの首都アンカラを臨む
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眠ってる場合じゃないよ。私たちも「怖い」と言って目を伏せてはいけない

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カッパドキア Kapadokya Balloons 熱気球

2015年01月25日 21時12分24秒 | トルコ
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朝だ。夜では無い、5時。モーニングコールは4時30分
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バンが迎えに

ローズバレーを熱気球で上がります
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All Copyright 2015 長男は荷物

上空では10℃でした
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乾杯の後、撤収。無線で先回りしたトレーラが下で待つ。上手いパイロットはトレーラーに着陸。
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日の出が美しく、カラフルないくつもの風船が漂う光景は宇宙に浮いているようでした。バーナーを使っていなければ無音。これだけの数の気球が朝焼けの中、飛び立つ光景は他には無いんじゃないかな
ちなみに数えたら86

2013年10月15日


カッパドキア Kapadokya ギョレメ国立公園 Göreme Milli Parklar

2015年01月23日 22時03分53秒 | トルコ
トルコから帰国して、1年と3か月が経過してしまいました。様々出来事が有ったのですが時の経過は早いものです。
折しも、ISIS による邦人の拉致誘拐が起きているさ中でのトルコ編再開です。
決してバカにしているわけではありません、しかしイスラム教は日本人からするとやっかい。歴史が浅いからというのは短絡的かもしれませんが、イスラム教の教義がストレートに現代に繋がっているので、今この時代、この時にもコーランが唯一無二の絶対であり、それ以外は無し。馬屋で生まれた人が神がかった宗教や、インド奥地の王様の息子が悟った宗教が、罪とか煩悩といった人の内在と対峙することからストーリーが始まるスペクタルと違って、いきなりコーランに帰依。
ムハンマドがどうチャネリングしたかどうか。7世紀といえば聖徳太子が遣唐使を送り出した時代である。そのころ中近東で何が起こっていたかというと、ビザンツ帝国とササン朝ペルシアがせめぎ合った結果、双方とも衰退し権力の空洞化、無秩序。しかし場所はシルクロードの要所。無秩序じゃ商売にならない。帝国では無い新しい共同体を作るという社会改革が、イスラム発祥のバックボーンとなっているのではないかな。
トルコはかつて偉大な指導者が国の礎を築いたので、政教分離が国是ともなっている。しかし、イスラム界隈ではトルコはイスラム国家では無いとしている。

長くなりますので止めます。写真ダダ貼りしていきます。

トルコを旅行したのは、2013年10月9日から。この日は10月14日。朝の6時にモーニングコールで起こされて
ホテルはRixos Hotels Konya リソス・ホテル
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車で3時間ほど走って
スルタンハン ・ケルヴァンサライ Kervansaray
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中は特に何も無い。あーそう、で終わり。中央アナトリアが貿易路として栄えた時代、隊商の宿泊所として建てられたそうだ。隊商、そうキャラバンね、元はペルシャ語だったのですね。よくわかりませんが、13世紀ころの要塞・宿舎・礼拝堂。
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カッパドキアへ行くツアーの休憩所だ。悪口書いてすまん
キャラバンからまた車で2時間走って
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ギョレメ国立公園 Göreme Milli Parklar
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奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市がある。
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St. Catherine Chapel 聖カタリナまたはアレクサンドリアのカタリナ。聖大致命女エカテリナとして敬われ、ローマ・カトリックでは伝統的に『十四救難聖人』の一人とされている。ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人だそうだ。
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内部は撮影禁止
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(勝手に転載)
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お昼ごはん。洞窟レストラン。嫌な予感がする。洞窟じゃない普通の方がいい
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鱒の塩焼き定食
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味?見たままだよ。嫌な予感が当たった。鯖といい、トルコへ行くときはインスタントみそ汁と七味唐辛子を持っていくべし

トイレ休憩で、ツアーお決まりのお土産物屋に。ここはトルコ石(ターコイズ)
AGAD JEWELLERY だそうだ
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石が1個付いた指輪が3万円くらいだった。トルコからトルコ石の産出はない(本当)だからわざわざここで買う必要は無い。相場も分からないし。密林の「Amazon」を見てみましたが、いかにも顔料を混ぜた代物がゴロゴロ(石だけに)ありました

岩窟城ウチヒサル Uchisar
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人の写真を勝手に転載してあれだが、裏側はこんなんだって
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家が多い。当たり前です、今時岩山に住みませんよ
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カイマクルの地下都市 Kaymaklı
入り口
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紀元前から存在し、ローマ帝国の迫害を逃れてこの地に辿り着いた初期キリスト教徒たちが隠れ住み、何世紀もかかって掘り進められて地下8層、2万人が暮らしたと
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人力で掘ったことは、さぞ大変だったろうと苦労は偲ばれるけど、観光は全くもって面白くない
出口で露天のおじさんから、ピスタチオとか干しアンズ、カボチャの種とか4袋選んで1,000円(日本円札)で買いました

ユルギュップ Zelve Open Air Museum
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ここは外から写真を1枚撮っただけ

いよいよカッパドキア、カッパドキアしてます
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ラクダ岩
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三姉妹
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夕日の名所ローズバレー
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ここに来て、日没まで間があったのでトルココーヒーを。5TL。ご存知の方もいらっしゃるでしょう、占いができるとか。コーヒー粉にお湯を注いだだけ。私は苦手なのです、甘酒、濁り酒、マッコリ、アサリの砂、とにかくザラザラしたものが
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日没
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フォトショで少し修正しました。日没じゃお腹はふくれんよ
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洞窟ホテル
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雰囲気いいですね

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洞窟ホテルではありません。そっちはオプション。
こっちはDOUBLETREE BY HILTON AVANOS CAPADOCIA
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赤と白を飲んだらしい。2本もねぇ。しょうがない、ごはんが不味い。しょうがなくはないか。美味しいのは生野菜と果物だけ、ワインはまぁまぁ
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シズカちゃんの入浴シーン。のび太さんのエッティ
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バスルームの壁の扉を開くとベッドルーム越しに外が見えます。おしゃれですね、一人ですけど
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長い一日でした
しかし、翌日、さらに試練が続く

※ここカッパドキアで、9月9日に日本人大学生2人が死傷するという被害にあいしました。ツアーなので無理かもしれないと思っていましたが、寄れるか聞いてみましたが押せ押せのスケジュールだったので無理でした。どうぞ、やすらかに

2013年10月14日

宗教についてあれこれ、面白おかしく書こうかと、しかし邦人の拉致誘拐でそんな雰囲気一気に吹き飛びました。拉致誘拐は犯罪です。国として、国民として無事、無条件に2人の解放を強く望む
冒頭でも書きましたが、商売の秩序のために宗教を興したのも一つの理由、というのが私の勝手な持論です。アラビアンナイトしかり、まずは大ホラ吹っかけてくるのがアラビア商人だ。どこで値切る(落としどころ)を持って行くかだと思う。ヤツらは客を大事にするよ、粘り強く(諦めないで)交渉するしかない

※追記
ISIS をイスラム教から読み解こうとしましたが、大きな間違いでした。ISIS は国家を標榜していますが、ただの武装犯罪者組織です。イスラム教と関連付けることはモスリムの人たちへの侮辱だと思う。
再度、自己責任論が問われていますが、拉致誘拐された同胞を助けることは国家、国民の義務である。自己責任だから放置しても構わないという考えは、組織保身である。お前が勝手にしたことだから腹を切れということか。時代錯誤甚だしい。
では、国民として何ができるか?それはISIS を認めないこと、プロバカンダに乗せられないこと、恐怖には意思を持って対抗することだと私は思います


hammām ハンマーム ?????? 入浴シーンあります

2013年10月13日 21時30分00秒 | トルコ
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ハンマームをやってもらいました。世界各国での入浴写真を掲載してきましたが、ここは長編です。
ハンマーム(アラビア語: ?????? , hammām)は、中東全域に広く見られる伝統的な公衆浴場のことである。 語源は「温める」「熱する」を意味するアラビア語の動詞「ハンマ」に由来する。トルコ語では「ハマム (もしくはハマーム、hamam)」という。
ホテルのフロントで5,000円払いました。日本円で。
チップで2トルコリラ渡して、腰布を付けて、浴室に向かう。なお、腰布を纏うことは入浴のマナーとして義務付けられている。また、時代に関係なく庶民の女性は何も纏わずに入浴するのが通例となっているが、ここはホテルなので女性は水着着用。
浴槽からのぼった蒸気で汗を出し、がたいのいいお父さんに最初に頭をごしごし洗われて、次に大理石の温かいベッド?に移動しあかすりやマッサージ、そしてあわあわに泡立てた石鹸で全身を洗ってもらう。
「スワッテ」
「アオムケ」
「トレタ」いわゆるあかすりでの垢ね。とにかくゴシゴシと”削られ”ます。そりゃぁ皮膚まで削れるよ。気持ちいいと言えば気持ちいいけど、胸は赤くなるまでこすられたので痛いぞ。
では動画をどうぞ。ハンマームは約20分間でしたが3分に編集してあります。

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中東・イスラーム世界でのハンマームは、かつてのローマ帝国の東南部を征服した際に、ローマ人の浴場文化を引き継ぎ発展させたと考えられている。いわゆるテルマエ・ロマエですね。
ハディースは浴場に対して否定的な立場を取っていると考えられているが、常に心とともに身体を清潔に保つことを重んじるイスラームの教えに浴場の目的が合致するために、公衆浴場が一般に急速に普及していった側面もある。ハディース(?????? , 言行録)とは、イスラム教の預言者ムハンマドの言行録。クルアーンがムハンマドへの啓示というかたちで天使を通して神が語った言葉とされるのに対して、ハディースはムハンマド自身が日常生活の中で語った言葉やその行動についての証言をまとめたものである。

ハンマームはローマ時代のテルマエと同じで、脱衣所で体を休める客は近くの店から取り寄せたコーヒーや茶、水タバコなどを味わい、あるいは果物を食べたり、他の客との会話を楽しんだ。いわゆる社交場ですね。また、かつては各街区に必ずモスクや市場(スーク、バザール)とともにハンマームが存在し、多くのハンマームがワクフ(寄進財産)として維持建設されてきた。ハンマームの数の推移はその都市の盛衰を反映し、都市人口と発展の度合いを推定する根拠ともなる。ここが、ローマと違い、権力者が力の象徴として建設させたわけではないようです。

シルクロードの交易で栄えたイスラーム。キャラバン隊が長旅での汚れを落とす目的でも、ハンマームが作られたのではないでしょうか。病気などを都市に持ち込ませないように、衛生上の配慮も兼ねていると思います。
そもそも気持ちいいしね。

映画「テルマエ・ロマエ」を見ましたが、出オチといいますか、ウォシュレットといい銭湯といい、内容は日本の公衆文化あるある、でしたよね。Ⅱはおもしろいのだろうか。