オリヴィアを聴きながら

2男児の母、業歴XX年のシステムエンジニアが日々のもろもろを雑記します。
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読書感想文

2007-08-28 23:41:08 | 息子1号の作文
息子1号が書き上げた読書感想文。
学校提出用には私が推敲したので、ここには推敲前の原文を載せておきます。



 マネリトゥスとぼく

 「ピトゥスの動物園」は、字が多く絵が少ししかないけどマンガと同じようにスラスラ読めました。ぼくは、マンガを毎日読むけど小説は、10ページ以上とばして読み始めました。だけどこの「ピトゥスの動物園」は、ちがいました。「まあいいおもしろそうだから読むことにしよう。」と読んでみたらどんどんスラスラと読めるようになりました。やがて楽しくなりました。
 ぼくの好きな登場人物は、マネリトゥスです。なぜ好きかと言うと、動物班のリーダーで、小さいけど、とてもとても気が強く、せきにん感があり、動物をこわがらない舎田育ちの男の子です。
 次にぼくと同じ所は、かっこうがだらしない所です。マネリトゥスは、ズボンがたらんとたれさがっています。
 他に、体が小さい所です。タネットフレミング、ジュリ、豆タンク、マネリトゥス、ピトゥスの六人組の中で二番目に体が、小さいといった所です。
 次にぼくとマネリトゥスのちがいをいいます。マネリトゥスは、いつもさきほどいった六人組で町を歩いています。だけどぼくは、いつも公園に行ったりする時は、いつも一人で行きます。
 他にマネリトゥスは、班のリーダーに選ばれたけどぼくは、まったく選ばれない所がちがいます。
 次にぼくの心に残ったこってすごいと思ったことを書きます。タネットが言った計画にピトゥスをぬいた四人は、始めは、不安だったのが、みんな最後は、タネットのことを心らいてきぱきとやってきました。友情があって感動しました。
 そして、こ話で一番すごいと思ったことは、となり町の市立の動物園と並ぶ位人が多ぜいくるのがとてもすごいと思いました。小ども達だけでもここまで大人とのかくさがうまるなんてすごいと思いました。ぼくもがんばろうとも思いました。
 次にぼくならこうしたと思ったことは、マネリトゥスがひきいる動物班は、もう少しピシットしてもいいと思いました。
 最後にこの本を読んで、小説が好きになりました。これからももっと小説を読んでいき、そしてこれからは、自分が読めそうな本を<ちっちゃいこの絵本でもいい本をたくさん読むようにします。


接続詞のくどさは性格的なものでしょうねぇ。突然「格差が埋まる」などと大袈裟な表現が出現して笑えます。いったい、どこで仕入れたねたでしょう?
小さな子の絵本は大好きで、べつに決意表明しなくても、毎晩、弟が読み聞かせてもらう絵本を、弟以上にワクワクしながらまっているんですけどね。読書感想文コンテストで何かもらえるような内容には程遠いですが、昨年の作品に比べると随分ましになりました。

特筆すべきは「まあいい」って部分に岐阜なまりを感じるってことでしょうか。

夏休みおもしろ科学倶楽部へ行く

2007-08-25 22:20:27 | お子ちゃまたち
夏休みもいよいよラストに近づいてきました。
(すでに2学期がスタートしている地域もありますね。)

今日は、かねてから参加申し込みしてあった東京電力主催の「おもしろ科学倶楽部」へ出かけてきました。
会場は、大井火力発電所。
品川駅から送迎バスが出ます。

午前中は9時から区内プールへ行き、一泳ぎ。
正午到着を目指して品川へ。

会場で販売している焼きたてパンで昼食にして、
まず息子1号は「放射線発見の旅」へ。

放射線は大理石のそばなどで強く、木のそばは弱いそうだ。
大理石はもともと、マグマが固まったもので、マグマは放射性物質の含有量が多いんだそうだ。

その間、息子2号は「生きているカブト虫を調べよう」というコーナーで、カブト虫に触ってきた。
せっかく、手のひらに乗せてもらえるチャンスなのに、怖がって「ちょんちょん」とつつくだけ。でっかい幼虫もいたけど、それはさすがに触れないようだった。
そして、ものすごい数の標本を眺めていました。

それから、小麦粉粘土。息子2号の「こねこね」ではなかなかグルテンを引き出せず、「だま」が残る粘土に・・・

息子1号と合流して、液体窒素を使ったマイナス196度の実験ショーに。
風船を冷やしてしぼませたり、酸素を液体にして磁石を近づけたり・・・

スライムをつくり、ペットボトルを空気圧で吹き飛ばし、表面張力で金属を浮かせたり、気圧の差を利用して穴あきコップから水がこぼれない実験をしたり・・・・

1日実験漬けで過ごしました。


これで、自由研究のねたには困らないはずなのだが・・・・


大江戸盆踊り大会

2007-08-25 21:46:42 | 日常
今日は早めの時間に大江戸盆踊り大会に行ってきました。

盆踊りのほかに、大道芸のパフォーマンスなども催されています。
今日は、中国雑技団のような柔軟技をしなやかな肢体のうら若き乙女が披露していました。


帰宅後まねしていた息子2号。

大江戸盆踊り大会

2007-08-25 01:03:26 | 日常
浜町グランドで盛大な盆踊り大会が開催されました。

歌手がやってきて、ナマで歌います。
太鼓も、もちろんナマ。

周囲にはぐるりと屋台が出て、近所の町内会(日本橋XXの部町会とか)が、格安で焼きそばだの、おでんだのを販売します。

地方の物産展も同時開催。
(山形の桃を買ってきました。)

「くじ」に異様に執着する兄弟。
今回もあたったのは息子1号だけ・・・・


がんばれ!2号チャン。

兄に代わって

2007-08-25 00:56:15 | お子ちゃまたち
連日、「宿題はまだ終わらないのか?」と息子1号が叱責されているのを聞くのに嫌気が差したのか、息子2号が保育園で「しくだい」を作って持って帰ってきました。

表紙にしたのはクラスメートの「あき」ちゃんで、次のページはやはりクラスメートの「さゆり」ちゃん。


ちゃんと書き取りのページも作ってある念の入れよう。


息子1号よ、これ提出したらどう?

いわゆる J-SOX (2)

2007-08-24 10:42:20 | お仕事情報
徐々に、仕事にも慣れて来て、展示会や営業に同行してのデモンストレーションなどを行っています。

というわけで、内部統制プロジェクトの事務局にあたる方とお話する機会が多いのですが・・・・



あまりの進捗の遅さに愕然とします。
「内部統制報告制度」は2008年4月以降に開始する事業年度から開示することが義務付けられました。
3月決算の会社であれば、来年の4月からスタートです。
これは来年の4月には内部統制の整備が終わった状態で、運用テストのPDCA+モニタリングのサイクルを
まわしはじめなければいけないということです。
(2月決算の会社は、再来年の3月にスタートになります。)

すでに8月が終わろうとしています。
先日、お話したお客様は、「まだプロジェクトすら立ち上がっていない。」とおっしゃっていました。

弊社は米SOX対応の文書化に2年かかりました。(遅いだけ?)


財閥系の金融機関に勤める知人が「J-SOXは施行時には罰則規定なしの『骨抜き』になる予定だから、対応をあわてる必要はない。」と銀行が関連の会社に指導している。と、この春、語っていました。
ひょっとして、それを信じて動いていなかったのでしょうか?

もともと、銀行は、監督省庁からガチガチに業務を決められていて、それこそ箸の上げ下ろしまで規定・規則に縛られています。
それこそ、どこの銀行でも横並びに。
すなわち、業務プロセスに『内部統制上の不備』があればそれは監督省庁からの指導に不備があったということにもなりかねない。
業務の『見える化』さえ実施して、運用テストを定義すればスタートできるでしょう。

でも・・・・
一般の企業はどうでしょう?
現状の業務をフローに表して、現状のリスクコントロールの仕組みを洗い出して終わり!ってわけに行く会社は少数派でしょう。
必要な統制がなければ、新たなプロセスとして作る必要があるのです。コンピュータシステムで統制するなら、システムの改変が必要になります。
システムの改造ですよ!仕様を決めて、委託先を決めて、開発して、検証して・・・・残り6ヶ月なんですけど・・・。
マニュアル(手作業)での統制を追加するのであれば、承認の紙だのを追加して、これを定期的につき合わせチェックして、などというプロセスが必要になります。

そして、この不足しているリスクの洗い出しってのは、現状の業務を『見える化』した後の作業になるわけなんですよ。

不足している統制プロセスを追加して、検証して、文書を整えて、監査法人と「うちはこれでやります!」とレビュー。
監査法人さんは責任を持って、見てくれますから、ダメだって出す。
ダメだしにあったら、やり直しが発生する。

さらにさらに、対象範囲は海外の子会社も含まれます。
製造業だと最近じゃ、海外の子会社は「重要ではない」と無視できない影響を持っていることが殆どです。それどころか生産力の主体だったりします。
海外の子会社にも、文書化を実施させなければいけない。J-SOXの基準で。
それに、海外の子会社って12月決算のところが多いんですが、そうすると2008年1月にスタートしてもらう必要があります。
あと、4ヶ月しかないんですけど・・・・


みんな、焦ろうよ。
直前で駆け込まれても、御相談に乗れないんですよ。
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エスペラント

2007-08-23 14:56:50 | 日常
息子1号が自由研究でエスペラントを調べています。
図書館には子供向けの蔵書がなく、難儀しているようです。


創案者:ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(Людовик Лазарь Заменгоф, Lazaro Ludoviko Zamenhof, 1859年12月15日 - 1917年4月14日)
     ユダヤ系ポーランド人の眼科医・言語学者
     ザメンホフの母国語はロシア語だが、ポーランド語、ドイツ語も会話できるほど上手に話し、フランス語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語も学んだ。さらに彼はイディッシュ語、イタリア語、スペイン語、リトアニア語にも興味を持っていた。

ザメンホフがエスペラントを作ろうと思った理由:ザメンホフは1859年にポーランドのビャウィストクで生まれた。その頃、ポーランドは帝政ロシアに占領されていて、町の人々はもともとの出身地別に、4つ(ロシア人、ポーランド人、ドイツ人、イディッシュ語を話す大勢のユダヤ
人)のグループに分かれて、お互いに憎んだりけんかしたりしていた。彼は言葉や生活習慣が違う人々が仲良く協力して生活するための道具として働く共通の言葉がないことが、争ったり分かり合えなかったりすることの、原因であると考えた。

エスペラント言語開発の目的:

ザメンホフは世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができ、世界中ですでに使われている母国語の代わりになる言葉を作ろうとしたのではない。
第2言語としての母国語が違う人たち同士が会話できる手助けになる言葉を目指してこの言語をつくった。

言語開発のあらすじ:

1878年、現在のエスペラントの「お試し版」といえるLingwe uniwersala(リングヴェ ウニヴェルサーラ)をザメンホフは全寮制の学校(学校の生徒が全員、寮に入って学校の授業だけではなく、食事や睡眠もいっしょにする宿泊設備のある学校)の同級生たちに教えた。
その後6年間、まず、すでにある各民族語の文学作品をこの新しい言葉に置き換える作業に取りかかり、新しい言葉のだめな所や使いにくいところを探してなくすことにした。lこうして言葉は完成したが、ロシア政府が発表することを許さなかった。これにより公表が遅れたが、その
間彼は聖書やシェークスピアの作品をエスペラントに翻訳し、言語の改良も重ねていった。1887年、Unua Libro(最初の本)でエスペラントの基礎について紹介した。こうして今日話されているエスペラントができた。


使用状況:

エスペラントで出版される児童・少年文学エスペラントの使用者人数調査は、ワシントン大学の心理学教授シドニー・S・カルバートによって行われた。彼自身エスペラント大会に出席したことがあるエスペランティスト(エスペラントを使う人)であった。カルバートは160万人の人々
がエスペラントを "Foreign Service Level 3"(ラジオ放送の聞き取りが出来て、生活に困らない程度の会話が出来る) の能力で使いこなすことができると結論づけた。これは「専門的で堪能な」(エスペラントで挨拶と簡単な表現ができることにとどまらず、実際に意思伝達ができ
る能力を有する)人々に限定した数字である。この調査はエスペラント使用者を探し出すものではなく、多くの言語の世界的な調査の一部分が元になっている。この数字は Almanac World Book of Facts と Ethnologue にも登場した。この数字は世界人口の大体 0.03 % に相当する。
この数字では、ザメンホフが目指した全世界共通語には程遠い。Ethnologue はこのほかエスペラントを母国語として育った、生まれながらのエスペラント使用者が 200 から 2000人いると発表した。
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