オリヴィアを聴きながら

2男児の母、業歴XX年のシステムエンジニアが日々のもろもろを雑記します。
コメント歓迎。

出張から帰宅してみれば

2006-02-28 23:40:34 | 最近思うこと
疲れてその上、空腹で帰宅すれば・・・・

生協の宅配の重い箱が待ち構えていた。
その上、先週分を回収に出していない。
生協の通い箱は天井に届いてしまった・・・・

床には点々と散らばるおもちゃ。

相変わらず「ズボンプレッサー」待ちの行列で滞留しているオットのスラックス。
1日1足しかはかないのに、なぜ溜まる?

私、飲み込んで置けないタイプなので、オットにぶちまけそう。
すると、反省するどころか逆切れして逆上することが明白なので、ここでボヤッキーになっておこう。

大判小判

2006-02-26 13:22:48 | お子ちゃまたち
可愛い、可愛い、2号チャン。

「今日ね、大判小判の夢を見たよ。」

「ママも、パパも、お兄ちゃんもいた。」

「おじーちゃんも、おばーちゃんもいたよ。」

「それでね、掘ったら、大判小判がざっくざくだったの。」

これは、これは。

宝くじ買おう!

徹夜でお仕事

2006-02-26 12:38:25 | お仕事情報
金融関係のお客様を担当しています。
勘定系のオンラインではないので、シビアではありませんが、日中は提携先とオンラインの情報交換を実施している情報系のWEBシステムです。

今回、このサーバーセットにfaxサーバーを追加することになりました。
ラック(電話ボックスみたいなやつ)に薄っぺらいシステム装置を1基付け足します。

安全に作業するために、ほかのサーバーの電源も落としたほうがベターだし、WEBサーバーとの接続テストも実施したかったし、内緒ですがWEBサーバーの設定作業の遣り残しも、この機会にこっそりやりたかったので、オンライン終了後の21時から作業する段取りにしました。

午前3時完了予定と聞いて、お客様の担当者も事務所で待機してくださることになりました。

仮眠用に近所のビジネスホテルに部屋をとって作業開始です。

約束どおり、21時にハードウエア保守の会社から2名の作業員がやってきて組み込み作業開始です。(この間、やることないので、見てるだけ。月曜日の訪問先の資料作りを内職)
これから、東京へ翌朝の研修受講に備えて向かうカチョーが、お客様に挨拶がてら立ち寄っていて、『今の間に、夜中に食べる食料を調達してきたら・・・?』って。(往路の新幹線で夕食を食べたばかりなのに・・・)
夜中に食べちゃだめと諭しつつ、お気使いには感謝です。

サイドパネルまで外しての作業なので、設置は1時間以上かかりました。
やっと、組み込みが終わり、電源投入。

今回組み込んだサーバーは問題なく動いています。
(いつもなら、ここで、『ご苦労様でした』と作業員を帰してしまうところでした。)
なんとなく嫌な予感で、ほかのサーバーの稼動状況も確認すると一基起動しません。
ディスクアレイコントローラの起動で止まっています。

しかも、このサーバーは肝心要のDBサーバーで今回導入したサーバーはこのサーバーのバックアップとしてのスタンバイサーバーも兼ねる予定でした。
(早速、試せるってか・・・?でも、まだDBの移行が済んでいないんですけど)

どっひゃあ~

保守会社の作業員も、あれやこれやと試行を始めました。
会社とも連絡をとり、そして二人の作業員の雰囲気も険悪に。
(危機的な状況というわけですね。)

ようやく特定できた原因は、ホットスタンバイのリザーブディスクの故障。
ディスク故障に備えるためのリザーブディスクでしょう?
なぜにそれの故障がアレイ全体の稼動を阻害する?
ダメダメじゃん・・・・

サーバーは立ち上がりましたが、その場で修理を依頼します。
部品の手配をして交換可能なのは午前4時頃。
日を改めたがっている態度ありありの保守会社の人。
(誰だって深夜の作業は嫌ですよね。)
修理のために、またもや夜に出張ってくるのはたまらないので、即対応してくれとお願いしました。
この時点で日付が変わっていました。
お客様に状況を説明し、予定の作業を開始しました。

予定していた作業はほぼ、予定時間で完了しましたが、途中でディスクの交換をしてもらって、お客様に引渡しできたのは午前6時。

本当に、気の毒なことをしました。ごめんなさい。

眠さのあまり意識朦朧のまま帰り支度をしたせいで、ノーとパソコンのACアダプタを忘れてきてしまいました。

また、静岡にとりに行かないと行けません。(月曜日に沼津で使うので・・・)


帰宅後、まとわりつく2号チャンに対応したかったのですが、不在中にきたフレッツ接続の設定に手間取り、仮眠を取る暇もありません。
2号チャンにごねられて、スイミングに同行し、500メートル泳いだあとはボロ雑巾のようになってしまいました。

夕飯まで寝かせてくれたオットに感謝です。

白髪対策

2006-02-24 00:24:01 | 美容と健康のための業
初めて白髪を発見したのは小学生の頃でした。
それから順調に白髪は増加して行き、高校の頃には『病気?』と怪訝がられるほどの量に。
『白髪染』を使うのは抵抗があって『おしゃれ染』でカラーリングしていたら、校庭で朝礼の時に朝日をあびてキラキラとまばゆいばかりに輝いて、職員室に呼ばれました。

ヘアダイはあまり皮膚が丈夫ではない私には刺激が強すぎて、地肌がかぶれたりしたので長くは使えませんでした。
体調の良いときに染めて、頭皮が無事だったとしても、毎日のように毛先で刺激をうける頬のあたりが不調になります。

群馬在住の大学時代に、美容院で白髪対策として薦められたのがヘアマニキュア。
アルカリ性薬剤のヘアダイとはちがって、こちらは酸性の溶剤なので刺激はマイルドです。
が、髪の表面をカラー付の『のり』でコーディングするという手法。
地肌につくとなかなか取れないので、根元ぎりぎりまでは難しい。
当時通っていた美容院は、カットやパーマの時に、追加1000円でヘアマニキュアをやっていたので、良く利用していました。

大学を卒業して、東京に帰ると、どこの美容院もヘアマニキュアは5000円以上する。
ケチな私は、薬局で家庭用のヘアマニキュアを購入して使っていました。
お気に入りは、黄色やオレンジ。
黒髪にはうっすらと色がのる感じ、白髪ははっきりと色が出ます。
ただし、ヘアマニキュアは体調によって発色に差が出て、あまりきれいに色が出ないこともありました。

それに、3週間程度で落ちてしまいます。
(3週間もたてば、髪が1センチほど伸びるので、ヘアダイでも根元だけ色が変わってしまうので、同じといえば同じなんですが。)

しかし、5~6年前から、ヘアカラーはごく当たり前のことになってしまって、染毛剤で『かぶれる』なんて大勢の前では無力な層なのか、ヘアマニキュアはすっかり廃れてしまい、今では薬局で購入するのは困難になりました。

そんな時、体験アーユルベーダに出かけた隣のエステサロンで聞いたのが
ヘナ


ヘナという植物を乾燥させて粉にしたものを、水で溶いて髪に塗布しトリートメントとして使います。
黒髪はつややかになります。白髪だけオレンジ色に着色します。
ヘナにハーブをブレンドして、ブラウンがかった色に着色するようなものもあります。
ヘナに木藍をブレンドしたものだと、黒くなります。

地肌についても、地肌が染まることはありません。

髪はつやつや、さらさらになります。(木藍入りは軋む感じがあります。)

難点は、

発色するのに時間がかかります。最低でも1時間は必要。
2時間程度おいたほうが仕上がりはきれい。
匂いがすごい。クレイパックとかに通じる、いわゆる枯葉くさい匂いがかなり強い。
白髪の量が多いと、けっこうインパクトのあるオレンジ頭に。
(安物の人形の髪みたいな色です。)

現在、私の髪、『オレンジ』です。




RedHatLinuxES4でインターネット公開用WEBサーバーを構築(3)

2006-02-22 22:41:29 | お仕事情報
RedHatLinuxES4でインターネット公開用WEBサーバーを構築(2)の続き・・・・

8.postfix メールサーバーの設定

Linuxの標準添付ではsendmailとpostfixともう一つありますが、main.cfの編集がラクだったのと、私の参考にしたマニュアルにはもう一つは掲載されていなかったので、postfixを採用しました。
メールサーバーの構築はスパムの踏み台にならないことが大命題です。

(1)/etc/postfix/main.cf

myhostname=ServerName.domain.com
mydomain=domain.com
my origin = $mydomain
my destination=$myhostname,localhost.$mydomain,$mydomain
inet_interfaces=$myhostname,localhost,IPアドレス
(hostsが設定していないIPアドレスでもメールサーバーにアクセスしたかったため、IPアドレスを直にきりました。)

mynetworks=192.168.0.0/24,192.168.1.0/24,192.168.2.0/24,127.0.0.0/8
ここに、設定されていないサブネットからメール送受信をするとエラーとなる設定です。

message_size_limit = 10485760 送受信メールの最大サイズは10M
transport_retry_time=30m 送信に失敗したら30分後にリトライします。
maximal_queue_lifetime=5d 送信に失敗したメッセージは5日間保管します。


disable_vrfy_command = yes
allow_percent_hack = yes
swap_bangpath = yes
smtpd_recipient_restrictions = permit_mynetworks,check_relay_domains
smtpd_helo_restrictions =
permit_mynetworks
reject_invalid_hostname
reject_unknown_hostname
reject_unknown_sender_domain
reject_non_fqdn_hostname
smtpd_client_restrictions = permit_mynetworks,
reject_rbl_client relays.ordb.org,
reject_rbl_client sbl.spamhaus.org,
permit
smtpd_sender_restrictions =
reject_unknown_sender_domain

(2)sendmailとpostfixの切り替え
GNOME端末で
#system-switch-mail
でGUI画面のpostfixを選択する。

(3)今回、webmasterはメールアドレスとして別途作成する予定なので/etc/aliasesのwebmasterのエントリを削除する。

(4)/etc/aliasesのdecodeのエントリを削除する。

参考URL:sendmailの設定
Sendmail アクセス制限 ~踏み台にされないために
ネットワークセキュリティについて(システム編)


9.CyrusIMAP
セキュリティ上、メールはサーバー上に残すため、IMAPでの配信とする。

(1)/etc/cyrus.conf
imap cmd="imapd" listen=143 prefork=5
imaps cmd="imapd -s" listen=993 prefork=1
pop3 cmd="pop3d" listen=110 prefork=3
pop3s cmd="pop3d -s" listen=995 prefork=1
sieve cmd="timsieved" listen=2000 prefork=0

(2)/etc/postfix/main.cf
mailbox_transport = cyrus

(3)ユーザー cyrusのパスワードを設定
GNOME端末でで
#passwd cyrus
パスワード

(4)saslauth のサービス起動
 cyrusは認証にこのサービスを利用するので、これがサービスされていないと認証で毎回失敗する。私はこれで半日はまりました。

(5)メールボックス格納場所用にLVM作成
 別途記載します。

(6)(5)を/var/spool/imapに自動マウント /etc/fstab

(7) /var/spool/imap の所有者を Cyrus グループをmailにし、グループにも書き込み権限を与える

(8)メールボックスの作成(webmasterのメールボックスを作成する例)

# /usr/lib/cyrus-imapd/cyradm --user cyrus localhost
IMAP Password:(3)で設定したパスワード
localhost.localdomain> createmailbox user.webmaster
localhost.localdomain> setquota user.webmaster 10000
quota:10000
localhost.localdomain>quit

(9)「システム設定」「ユーザ管理」でユーザ webmasterを作成する。
このユーザはメールアクセスのみなので、システムにはログインできないように、SHELLは/sbin/nologinとしておく。
カレントグループはmailにしておく。

(10)メールクライアントの設定(Outlook Express)
POP3でも受信可能だが、サーバーにメールを残したいので、IMAPとする。 

参考URL:CyrusでIMAPサーバを構築する





10.VNC

サーバーを遠隔操作できるようにVNCを仕掛けます。
今回はGUIでの操作を基本としているので、VNCでのアクセスもGUIとします。

(1)パスワード作成
GNOME端末で
#vncpasswd /etc/vnc_passwd
パスワード
(2)xinitdでの起動としますが、このサービスではFTPなどの危険なサービスも起動できてしまいますので、xinit.dのの不要ファイルをすべてリネームします。 先頭にピリオドをつける。または、どこか別のフォルダにすべて移動してroot以外にはアクセスできないように設定します。
(3)/etc/services にVNC用のサービス追加
# for VNC Services
#
vnc-800x600x8 5950/tcp
vnc-800x600x16 5951/tcp
vnc-1024x768x8 5952/tcp
vnc-1024x768x16 5953/tcp

(4)xinitd.dにVNC用のサービス定義ファイル追加
例:vnc-800x600x8
for VNC Server
service vnc-800x600x8
{
disable = no
flags = REUSE
socket_type = stream
protocol = tcp
port =5950
wait = no
user = root
server = /usr/bin/Xvnc
server_args = -inetd -query localhost -once -geometry 800x600 -depth 8 -cc 3 --PasswordFile=/etc/vnc_passwd
log_on_failure += USERID
}


(5)ランレベルを5に設定 /etc/inittab のidで始まる行を、id:5:initdefaults:

(6)VNCの起動モードを変更 /usr/bin/vncserverのdefaultsをKDEに変更
$defaultXStartup
= ("#!/bin/shnn".
"# Uncomment the following two lines for normal desktop:n".
"# unset SESSION_MANAGERn".
"# exec /etc/X11/xinit/xinitrcnn".
"[ -x /etc/vnc/xstartup ] && exec /etc/vnc/xstartupn".
"[ -r $HOME/.Xresources ] && xrdb $HOME/.Xresourcesn".
"LANG=ja_JP.ujisn".
"export LANGn".
"xset +fp /usr/X11R6/lib/X11/fonts/japanesenn".
"xsetroot -solid greyn".
"vncconfig -iconic &n".
# "xterm -geometry 80x24+10+10 -ls -title "$VNCDESKTOP Desktop" &n".
# "twm &n");
"startkde &n");

(7)「システム設定」「ログイン画面」でXDMCPを許可する設定とします。

(8)VNC Viewerからは、IPアドレス:XXで起動します。XXは解像度によってPort番号の下2桁を指定してください。
たとえば 1024*768 16色なら、192.168.0.1:53
パスワードは(1)で作成したパスワードを入力します。
これで、遠隔端末から、XTEMINALのサービスが利用可能となります。

参考URL:ゼロ円でできるXサーバWindowsでLinuxをリモート操作(前編)


9.samba

アプリケーションのデプロイに、WebDAVによる共有で、Windowsクライアントから、ファイル転送しようと思いましたが、どうにも上手くいかない。
調べると、WindowsXP側にも原因があるようです。
今回の工期からWebDAVは断念し、sambaを利用することにしました。
デプロイのためのアップロード専用なので、それ用のユーザを作成します。

(1)Linuxユーザ作成
ユーザー名:smbuser
パスワード: *****
ログインシェル /sbin/nologin (ターミナルでのログインはさせないため)

(2)samba共有

「システム設定」「サーバー」「samba」で設定します。

(2.1)sambaユーザ作成
UNIXユーザ名:smbuser
windowsユーザー名:smbuser
パスワード: *****(1)と同じにしておく
(2.2)フォルダ追加
Tomcatのwebapps格納フォルダを共有名tomcatwebappsで登録 smbuserのみアクセス可能とする。(フォルダのプロパティで所有者をsmbuserに変更しておくこと)



RedHatLinuxES4でインターネット公開用WEBサーバーを構築(2)

2006-02-22 22:39:06 | お仕事情報
RedHatLinuxES4でインターネット公開用WEBサーバーを構築(1)の続き・・・

6.Javaアプリケーションサーバー

6.1 JDK インストール
Tomcat5.5の前提であるJDK 5.0をインストールします。
(1)Java 2 Platform Standard Edition 5.0 のダウンロード から最新版をダウンロードします。(ソース版をダウンロードした場合はコンパイルが必要なので今回はバイナリ版)
今回はJDK 5.0 update 6
(2) jdk-1_5_0_06-linux-i586-rpm.binを ダウンロードしたら実行権限を設定する(プロパティで設定可能)

(3)GNOME端末を起動して(「システムツール」から選択可能)

#./jdk-1_5_0_<version>-linux-i586-rpm.bin

バイナリライセンス契約が表示されます。インストールを続行するには、このライセンスに同意する必要があります。ライセンスに同意すると、現在のディレクトリ内で jdk-1_5_0_<version>-linux-i586.rpm ファイルが作成および実行されます。

(4)/etc/profile
以下を最終行へ追加
export JAVA_HOME=/usr/java/jdk1.5.0_06
export PATH=$PATH:$JAVA_HOME/bin
export CLASSPATH=.:$JAVA_HOME/jre/lib

参考URL:Java Platform, Standard Edition






6.2 TOMCATインストール 

(1)Apache jakarta ProjectのTomcatダウンロードページからTomcat5の最新バージョン(バイナリ)をダウンロードし、/usr/local/に格納する。(CoreとAdministration)
今回は、Tomcat 5.5.15
(2)実行権限を設定し、端末から
#cd /usr/local/
#tar zxvf apache-tomcat-5.5.15.tar.gz 

同様にAdministrationも解凍する。

(3)/etc/profile
以下を最終行へ追加
export TOMCAT_HOME=/usr/local/apache-tomcat-5.5.15
export CATALINA_HOME=/usr/local/apache-tomcat-5.5.15
export CLASSPATH=$CLASSPATH:$CATALINA_HOME/common/lib

6.3 JK2インストール

ApacheとTOMCATを連携させるために、コネクターをインストールします。
静的コンテンツをApache,動的コンテンツをTomcatと役割分担するのが常套手段のようですね。
今回は、さほど負荷が高くないことからTomcat単独でも間に合いそうでしたが、WebDAVを使って、Windowsクライアントからモジュールの差し替えをしたいという野望があったのと、SSLの設定についてApacheのほうが圧倒的にHowTo情報が多かったことから、連携することにしました。

(1)Apache jakarta ProjectのTomcatダウンロードページ
からTomcatConnectersからJK2バイナリリリースの最新版をダウンロードし、/usr/local/に格納する。
今回は、Fedora-Core-1-i386.tar.gz
(2)実行権限を設定し端末から
#cd /usr/local/
#tar zxvf Fedora-Core-1-i386.tar.gz

(3)解凍されたパッケージから、
Fedora-Core-1-i386/etc/httpd/conf/workers2.propertiesを/etc/httpd/conf/に複写する。
エディタで開き最終行に
[uri:/admins/*]
を追加する。
追加したアプリケーションのパスを同様に定義すると、Apache経由で起動できるようになります。


(4)Fedora-Core-1-i386/etc/httpd/conf.d/jk2.confをFedora-Core-1-i386/etc/httpd/conf.d/に複写する。

(5)Fedora-Core-1-i386/etc/httpd/conf/modules/の中身を/lib/httpd/modulesに複写する

(6)/usr/local/apache-tomcat-5.5.15/conf/server.xmlを変更する。 
- <!-- Define a non-SSL HTTP/1.1 Connector on port 8080
-->
この部分をコメントアウトする。
- <!-- <Connector port="8080" maxHttpHeaderSize="8192"
maxThreads="150" minSpareThreads="25" maxSpareThreads="75"
enableLookups="false" redirectPort="8443" acceptCount="100"
connectionTimeout="20000" disableUploadTimeout="true" />

-->

(7)テスト起動
GNOME端末から
#/usr/local/apache-tomcat-5.5.15/bin/startup.sh
と起動します。
ブラウザでhttp://localhost/admins/としてTOMCATのログイン画面が表示されればインストール成功です。

参考URL:
Tomcat翻訳
Tomcat とApache の連携方法



7.squid

ローカルLAN上のWSからのインターネットアクセスは、プロキシサーバー経由とします。
できれば、ローカルLAN上のWSはインターネットにアクセスさせたくないところですが、アンチウイルスソフトのワクチン定義ファイルの更新にインターネットに出て行く必要があります。

/etc/squid/squid.confの追加行

(1)Portの設定
http_port 8080 <-- デフォルトの3128はあまりに有名なので変更しました。

10080としたかったのですが、Amandaとかいうのと競合するのか、エラーになってしまいます。今回、TOMCATで8080を使わないので、これを使うことにしました。

(2)インターネットへのアクセスを許すサブネットを定義します。
acl dmz src 192.168.0.0/255.255.255.0
acl localnet1 src 192.168.1.0/255.255.255.0
acl localnet2 src 192.168.2.0/255.255.255.0

http_access allow dmz
http_access allow localnet1
http_access allow localnet2

(3)起動
「システム設定」「サーバー」「サービス」でsquidを起動します。
チェックして、保存すれば次回から自動起動となります。

RedHatLinuxES4でインターネット公開用WEBサーバーを構築(1)

2006-02-22 17:29:01 | お仕事情報
前提:インターネットに公開するのは
(1)JAVA SERVLETの動的コンテンツ
(2)エントリの自動回答用にメールサーバーも構築する
(3)JavaアプリケーションサーバーはTomcat5.5
(4)DNSはインターネットプロバイダのサービスを利用する
(5)WebサーバーはDMZに配置し、TrustのDBサーバーを更新する。
(6)F/Wは別途構築する
(7)サーバーはプレインストールモデルを利用
(8)設定作業は極力GUIインタフェースを利用

OSはインストール済なので、最初にROOTでログインしたらコマンドプロンプトでsatartx
としてGUI端末を起動する。

1.ユーザ追加
メンテナンス用にrootの代替ユーザを1つ追加する。メニューバーの「システム設定」で「ユーザ管理」を選択します。
ユーザ名:XXXadmin
プライマリグループ:root

rootのパスワード変更 プレインストールモデルで設定されてくるパスワードは覚えにくいので、セットアップ作業中に利用するパスワードを設定します。これも「システム設定」の「ルートのパスワード変更」で実施します。

2.不要サービスの停止
「システム設定」」「サーバー設定」「サービス」で実行中のサービスを見て、不要と思われるサービスが実行されている場合はとめます。
今回のモデルはフルインストールだがサービスはほとんど動いていない。
(apmd,atd,lpd,netfs,portmap,ftp,inetd,xinetdを止めるつもりだったが動いていなかった。)

利用中のサービスは
acpid
canna
crond
cyrus-imapd
haldaemon
httpd
iiim
messagebus
nails (アンチウイルス)
netfs (smbを使用するため)
network
postfix
rhnsd
saslauthd(postfixのBasic認証用)
smb
squid
syslog
sysstat
vncxxxx (VNCサービス用に手動で追加)
xinetd (VNCサービス用)

参考URL:インストール直後に絶対やるべき作業と設定



3.rootになれるユーザを制限
Linuxはsuコマンドでrootとして動作させることができるので、これを制限します。
(1)/etc/login.defs
SU_WHEEL_ONLY yes
を追加
(2)/etc/group
wheel: に1で作成したXXXadminを追加
(3)/etc/pam.d/su
auth required /lib/security/pam_wheel.so use_uid group=wheel
を追加

参考URL:インストール直後に絶対やるべき作業と設定 



4.ネットワーク

「システム設定」の「ネットワーク」でNICとネットワークを設定します。

eth0 192.168.0.1/24 <--DMZのサブネットから割当 gw 192.168.0.254 <-- FWのアドレス
eht1 172.23.118.222/24 gw 172.23.118.254 ---社内ネットワーク接続用 設定作業でインターネットにつなぐため
FWの設定が完了して、インターネット接続済ならこの作業は不要。NICは休止しておきましょう。

DNSのホスト名 ServerName.domain.com

ホスト 192.168.0.1 ServerName.domain.com エイリアス www.domain.com

5.WEBサーバの設定

Linux標準バンドルのAppacheを利用します。
Appache の設定は、

(1)/etc/httpd/conf/httpd.conf

ServerName 192.168.0.1:80
ServerAdmin webmaster@domain.com

<VirtualHost ServerName.domain.com>
ServerName www.domain.com
ServerAlias ServerName.domain.com
</VirtualHost>

(2)「システム設定」「サーバー」「サービス」で、httpdを起動します。チェックして次回から自動起動するようにしたら、保存します。
ブラウザを立ち上げて、http://localhostでApatcheのテスト画面が起動できればOKです。

次回へ続く・・・・

ムギ畑

2006-02-22 00:16:10 | 最近思うこと
インターネットメールアドレスを最初に持ったのは10年以上前。

その頃は、ネットでの情報収集はNiftyのフォーラムがメインでした。
夜間に、ログを収集したりしていました。

最初に、Niftyのフォーラムに参加したときには、「これを利用するとしないでは、情報収集量に雲泥の差がついてしまう。」と愕然としたものです。
弊社のカラーは非常に閉鎖的で「オレのノウハウは誰にも渡さない」的な文化をしょってる方たちが管理職をやっている。
技術情報の発信をしないように、会社からはネットへの書き込みも制限しています。
はて、それでオープンソースのLinuxやらTomcatやらを推奨されたって、どうやって情報収集しろと言うのでしょうか?
ノウハウは提供しないけど、恩恵だけは貰って行こうなどというムシのいい話が通用すると思っているのだろうか?

ネット利用が成熟化した弊害ですね。

以前は、ネット利用者が少なかったせいで、「何でもあり」でした。

8年ほど前から、Niftyからインターネットに技術情報収集の場が移行しました。
ただ、この段階では、まだIT関係の技術情報を閲覧する道具でした。

6年前に働く母の会員制フォーラムムギ畑を知ってからは、生活情報や趣味もインターネットで調達するようにライフスタイルが変わりました。
サイトは、Niftyライクな議題ごとにツリー形式で意見交換していく『会議室』風の作りになっています。
この議題の豊富さがすごい。
私の会員番号は1041。現在は4000人を超える会員がいて最新の会員番号は8000番台なので、入会当時は500人くらいのフォーラムだったんだろうと思います。
「Working Motherの知恵袋」を目指しているだけあって、仕事も生活もエンジョイするための工夫やピンチの乗り切り方には参考になる事例や考え方が満載でした。

そして、たまたま名古屋地区の積極的な会員諸氏の目にとまり、思いっきり手を引っ張ってもらったおかげで、『オフ会デビュー』を果たした私はオフラインでもコミュニティを構築することができました。

身近にロールモデルがいるというのは、物凄く影響力があります。
それまでは、子供を連れて出かけると思っただけで、予定段階で疲れ果ててしまっていたものですが、二人の子供を連れて一泊旅行に嬉々として出かけてくる友人を見て、『私と彼女の違いは何だろう』から始まって、自分が楽しくすごすためのノウハウが確立されていく。

『出来ない理由』を列挙するのをやめて、『出来るための手段』を編み出していく方向に発想を転換していく。一介の平社員の私も、東大出身で才能豊かな『スーパーウーマン』も1日に与えられた時間は等しく24時間。この時間をいかに自分が心地よく使えるかが生活の満足感につながって行きます。

(この頃から、私の座右の銘は『明日出来ることは今日やらない』となり、『やらずに済むことは、やりたいことしかやらない』となっています。息子たちには内緒。)

自分の不満を他人のせいにしない代わりに、他人の満足のために自分が我慢をしない。
(例:今日は友達と飲みに行きたかったんだけど、オットが子守してくれないからいけなかったんだよ~と、オットを不満に思うなら、ベビーシッターを雇って行く。)
要するに、殉教者気取りはやめました。

そんなこんな発想の切り替えが出来たのも、ムギ畑の仲間たちが背中を押してくれたり、手を差し出し、口を出してくれ、背中を見せてくれたおかげだと思っています。

朝日Beに大きく取り上げられた機会に、自分にとってのムギ畑を考えてみました。


More than 10 years ago was the first time I had an internet email address.

Back then, Nifty's forums were the main source for gathering information online. I would spend evenings collecting and logging data.

When I first joined the Nifty forums, I was shocked to realize that using them made a huge difference in the amount of information I could gather. However, our company had a very closed-off culture, with management positions held by individuals who believed in keeping their know-how to themselves. They even restricted employees from posting on the internet to prevent the dissemination of technical information. How can they expect us to gather information about open-source software like Linux or Tomcat without providing any know-how? Do they really think it's fair to reap the benefits while refusing to share knowledge?

It's a downside of the maturation of internet usage, isn't it? In the past, when there were fewer internet users, it was a free-for-all.

About 8 years ago, the platform for gathering technical information shifted from Nifty to the broader internet. However, at this stage, it was still primarily a tool for accessing IT-related technical information.

Around 6 years ago, after discovering a membership-based forum called "Mugibatake" for working mothers, my lifestyle changed, and I started using the internet for both daily life and hobbies. The site is structured like a conference room, with discussions organized in a tree-like format for different topics, similar to Nifty's style. The range of topics is impressive. My member number is 1041, and currently, there are over 4000 members, with the latest member numbers being in the 8000 range. So, when I joined, the forum probably had around 500 members. As they aim to be a "Working Mother's Q&A," it was filled with valuable examples and perspectives on how to enjoy both work and life.

By chance, proactive members from the Nagoya region noticed me and enthusiastically supported me, allowing me to make my "offline community debut." Having role models close by has a tremendous influence. Before that, just the thought of going out with my children left me exhausted even at the planning stage. But seeing a friend happily going on overnight trips with her two kids, I started questioning what the difference was between her and me. This led to the establishment of my own know-how on how to enjoy and manage my life.

I shifted my mindset from listing reasons why I couldn't do something to coming up with ways to make it possible. Even as an ordinary employee, both I and a talented "superwoman" who graduated from the University of Tokyo have the same 24 hours in a day. How we choose to spend that time comfortably contributes to our satisfaction in life.

(Since then, my motto has been "I Never do today what I can do tomorrow" and "Only do what I want to do if it's not necessary." It's a secret to my sons.)

Instead of blaming others for my own dissatisfaction, I no longer sacrifice my own happiness for the sake of others. (For example, if I wanted to go out for drinks with friends today but couldn't because my spouse wouldn't babysit, instead of being resentful, I hire a babysitter and go.) In other words, I stopped acting like a martyr.

I believe that this shift in mindset was possible thanks to the encouragement, support, and guidance from my Mugibatake friends who pushed me forward and showed me their own examples.

On the occasion of being featured prominently in Asahi Be, I reflected on what Mugibatake means to me


メロン

2006-02-21 22:58:04 | お子ちゃまたち
1号のなぞなぞ。

「すいか、メロン、いちご、りんごのうち、風邪を引いてしまったのはどの果物でしょうか?」

「・・・すいか?」(水っぽいから)

「ぶっぶう!答えは メロンです。

マスクメロン!」(なるほど!)


すっごく不満そうな2号チャン
「マスクメロンなんて な・い・よ!
だって

見たことないもの!!!

 」

2号チャン、ごめん。

子供たちのバレンタイン

2006-02-15 23:13:22 | お子ちゃまたち
2月に入ってから、バレンタイン商戦でデパートは高級チョコの匂いに包まれていました。

2号チャンの保育園では毎年バレンタインは友情の証としてカードを交換します。
カードは自宅で親と一緒に作成し、小さなチョコレートやキャンディーをつける。
1号の時は、これをクラスの全員(19人)分用意しました。

すんごくたいへん。(親が)

あまりの大変さに、親から『勘弁して』という声があったのかどうかは定かではありませんが、その後、クラス全員分というのはやめになり、6人分とかに減りました。
今年は5人分を用意しました。

で、2号チャンは、お友達4人と自分の分と、保育士さん5人からお菓子付のカードをもらって大喜びで帰ってきました。
このカードを入れるために、あらかじめ大きなハート型の手提げ袋を作って準備しています。

さすがに、保育士の方が作ったカードは『上手い』。

親子製作も、お子ちゃまを参加させつつ、それなりにお子ちゃまがもらって嬉しいくらいの出来にするのはかなり大変。
器用な親御さんがうらやましい。

我が家では、たいていはネットで拾った素材とお子ちゃまの写真でごまかしてしまいます。

うーん、この歳になってから宿題に悩むとは思わなかったんだよ~。

ちなみに、保育園時代はモテモテBOYだった息子1号は今ではまったく女の子の眼中にはなく、気の毒だったので、母がコンビニで買ってあげました。

BUZZSEARCEのケーキ

2006-02-15 23:00:06 | 欲しいなあと思ってて買っちゃったもの
秋に大崎へ出張した帰り、品川駅のecute品川で見かけたケーキ屋さんのロールケーキがやけに美味しそうでした。

タイミングが合わず、その日は買わずに帰りましたが、やっぱり食べてみたい。

そこで、毎週のように東京出張しているオットにリクエストしてみました。
ネットで調べた店の名は、BUZZSEARCE.(BUZZを探す?)

子供たちを私に押し付けて出張、休出三昧の負い目からか、オットは『お土産亭主』に変身して、買ってきてくれました。
何でも、圧倒的に人気があったのはロールケーキではなく、1個500円以上のカットケーキのほうだということで、写真の3種類。
ベリーのタルト、ショコラとマロンのタルト、ティラミスタルトです。
チョコ好きの2号チャンをうならせたマロンタルトはかなり、濃厚なチョコレートムースがたっぷり。そして、ソフトクリームのようにお山になったホイップクリーム。

濃厚なお味に、ビッグなサイズ。

『参りました。』という感じ。
かなり大食な我が家ですが、このケーキについては一度に完食できずでした。

目いっぱい、飽食の罪におぼれたいならお薦めです。

屋久島のたんかん

2006-02-13 00:12:01 | 私のお薦め、お気に入り
たんかんって知っていますか?
カリフォルニアならタンジェリン。

私が初めて食したたんかんは沖縄産でした。
ITC中部の広報誌の愛称についての公募で私の応募作が佳作に選ばれ、その賞品として送られてきたのがたんかん10Kg。
(きっとメンバーの誰かが沖縄旅行だったに違いない・・・・と、思っていたのですが、最近になって幹部の一人が沖縄恋しさのあまりに沖縄料理店を開店したと聞き、賞品選びはカレの担当だったのか・・・・と思いいたったところ)

皮に青みが残る早稲みかんのような外観。みかんよりもずっと皮が薄くて、果肉はジューシーです。すっきりさっぱりして、いくつでも食べられる。

柑橘類が大好きな息子2号の熱狂的な支持もあって、10kgを家族4人で完食しました。

そして、その後、生協の宅配で屋久島産の完熟たんかんを見つけて、購入したら、その美味しさにとりこになってしまいました。
800gの袋は一晩で空になり、ネットで探して、10kgを購入。
屋久島産は沖縄産に比べると甘みが強く、誰にでも好まれる味。
今年も、そろそろだなあと思っていたら、完全に出遅れてしまい、どこも予約完売状態。現在、キャンセル待ちです。



うーん、今年も食べたいなあ。

オットの両親宅に行きたくない理由

2006-02-12 13:26:54 | 最近思うこと
今日はオットが隣県にある生家に両親に会いに行くという。
子供たちが行かないのなら、一人で短時間だけ行って来るつもりだと。

息子2号は是非自分も行くという。
息子1号は、昼ごはんが手巻き寿司なら行きたいと。

私は、できれば遠慮したい。

せっかくの晴天、毛布だの布団カバーだの休日にしか洗濯できないものを洗いたい。ショッピングもしたいし。(食料品や日用雑貨じゃなくて)

2号チャンは私にべったりなので、じーさん、ばーさんに会いに行くにもママ持参で行きたがる。どこで覚えたのか
『家族みんなで行きたいの。』
などと、生意気な発言。

オットの実家に行くと、鬼のようなオット両親にこき使われるとかいうことでは断じてない。ご馳走してもらって、帰りには、望めば山のように畑の収穫物を持たせてくれる。
子供たちには、おもちゃだの本だのを買い与えようとオット母は小遣いを用意して待っている。
私は庭で子供たちと遊んだり、『子供たちお願いします。』と言って、ショッピングに出かけてしまっても叱られることはない。(とはいうものの、ショッピングに行ける店が・・・買いたいものを売っていなかったりするんで、100円ショップくらいしか行くところはないのだが。)

参考書を持ち込んで、勉強していてもいいのだが。

実は、オット両親との会話が苦痛。
価値観がまったく合わない。

オット母は、近所の『お嫁さん』たちが、専業主婦で昼間に遊び歩く金を実家から送ってもらったりしている話を『良いこと』のように、私もそうあるべきだというように話したりする。『サワちゃんも、会社辞めて奥様してればいいのに。』とかは毎回言っている。
「オット一人の給料で、月々のやりくりを考えながらスーパーの安売りをチェックするようなのは奥様とは言いませんよ。」という私の回答に、やりくりは実家の援助でという先般の発言が飛び出したわけだ。
私は、勤労と納税は国民の義務だと思っている。義務を果たしてこそ一人前の大人である。一人前の大人足りえないものは子供を育てるべきではないと。
オットの扶養の範囲から出ない程度に小遣い稼ぎなんてパートも嫌い。
雇用機会が得られたのであれば、がんがん稼いで納税し、年金も自分で払うのがスジってもんでしょう。
別に他人に強制はしませんけどね。
事あるごとに、この考えはオット実家でも述べているのだが、オット両親にはうけいれられていないらしく、先のような話題になったりする。
こういう話題が出たときに、
『そんな人たちは人間のクズですね』と言い放てば私の気分はスカッとするのだが、多分オット母は大変気分を害するだろうし、そこで、その場で激怒する性格ではなく、後日、オット姉経由でオットの耳に入るというまどろっこしい経緯をたどるのは、これまでの付き合いで分かりきっているので、聞いているような聞いていないような曖昧な態度でその場を濁すことになるのだが、これが私の精神衛生に大変悪く、どっと疲れてしまうの。

オット父は、近所の人がインターネットをやれやれとうるさいので加入しようかとも思うのだが、月々、5000円以上かかるのは引退の身では辛いとこぼすので、『資金援助しろ』と言っているのかなあと思っていると、『骨折してギブスまでつけて出勤しなくても会社など辞めて、(オットに)食わせてもらえばいいじゃないか』と言ったりして。
ほほ~、じゃ、みんなでオットにたかろうってことかい?と思い巡らせてしまう。
どうも、オット母は『専業主婦』として完璧にオットに扶養してもらうのが女の幸せと思っているフシがあって、それを実現できなかったオット父はそれを負い目に思っている部分があって、オットが妻を働かせなければいけない『甲斐性のないオトコ』ではないということを証明することで自己実現しようとしているのではないかと私には思えるのだ。
どー思ってくれてもいいのだが、この手の話を必ず、オットが不在の時にし始めるのに困惑している。

というわけで、オットの両親宅に行くのは結構、精神的な疲労が強いのである。

そんな会話をする暇を与えないほど、オット両親宅をぴかぴかに掃除し続けるという選択肢を選ぶには、我が家があまりにも汚れすぎている。(どうせ磨くなら自分の家を先にやりたいのさ。)




WEBシステムのユーザビリティを考える

2006-02-12 12:48:22 | お仕事情報
現在、金融関係のお客様を担当する部署にいる。

とはいううものの、勘定系のオンラインとかを開発しているわけではなく、銀行向けの情報系システムや、ノンバンクの情報系システムの開発が主な業務。
昨年は、銀行と保証会社をインターネット回線を利用して情報のやり取りをするシステムを構築した。が、これは、ファイル転送を行っているだけで、ファイアーウォールで相手も特定してしまう非公開のシステム。

これまでにWEBシステム(いわゆるWEBサーバーがリクエストに応じて処理して、結果をレスポンスとして戻す形態のシステム)の構築は何件か行っているが、いづれもイントラネット向けのもの。
年末から手がけている、プロジェクトではインターネットに公開するシステムを構築する。

11月頃にちょっと暇そうにしていたばっかりにターゲットにされてしまったが、本来の私の手持ちかといえば怪しい。(一応、パッケージシステムのカスタマイズ作業ということで、パッケージの担当者が別にいるので。ちなみに、私の職務分掌上の対応は、『新規顧客』または『新規開発』となっているので。)

パッケージとはいうものの、5年以上前に1ユーザがリリースしただけで、そのユーザも解散してしまい、現状では動いていない。動いていたのもほんのしばらくの期間だったらしい。

そんなわけでカスタマイズとはいうものの、実質的には母体が存在する新規開発に近い。そしてパッケージ担当者が見積もった作業量は、5年以上前のインターネット事情ではOKだったけどねえ・・・・というもの。
スタートから赤字が予見される。

とはいうものの、地銀といえども銀行さんがインターネットに公開するシステムなのだから下手なものを出すわけにはいかない。

私の右腕(まさに右側で私を支えている存在。)ともいうプログラマ氏にささっと、シナリオプロトタイプを作成してもらい、社内にサーバーを構築して公開する。
部内と営業部門の一部に、URLと『ユーザビリティ評価のお願い』メールを一斉発信した。
要は、『何の説明なしに、システムでのエントリをやってみて感想を教えてください。』という依頼内容なんだが・・・・

システムの外部デザインが完了した時点でプロトタイプで、無関係な人に評価してもらうのが一番効果的に設計を評価できるというのが私の持論。
工数やら工期の関係でプロトタイプが作成できないと、実現できないんだけどね。
(無関係な人を捕まえて、設計書を評価してもらうのはムリだから。)

評価の結果は・・・・
思った以上に、参考になる意見が寄せられ感激。
プロジェクトマネジャー(今回は、人探し以外はあまり参加していない課長)と、プログラマ氏で、評価結果をもとにデザインレビューを行う。
経験豊富で優秀なプログラマ氏であればこそ、設計者の意見だけではなかなか自分の主義主張を変えずらい部分もあるのだが、第3者による指摘であれば冷静に聞ける部分もある。
プロジェクトマネジャーが評価するとついつい原価低減の視点が邪魔をして、改善勧告の矛先が鈍ったりするのだが、ステークホルダー以外の意見は説得力がある。

というわけで、原価のからみ見送った改善もあるが、それなりに有意義な評価結果を得られたと思う。

カネもかからないし。

中途半端な髪

2006-02-05 17:20:15 | 最近思うこと
前髪をパッツンと短く切って、モードな髪型にしようと美容院へ行った。

マンションの向かいにありながら、フラリと行くといつも予約でいっぱいと断られる店。よほどうまいんだろうと今日は電話予約して行って見た。

もう行かない。(忘れないように、ここに書きとめておこう。)

基本的にカットの後のスタイリングに時間がかかるときは、カットに失敗したときだと思っている。(二人がかりでドライヤー引っさげて・・・なんてことになったら翌日から洗髪の度に後悔することは決定。ホットカーラーで巻かれたりした日にゃ目もあてられない。)

で、今日はカットの後、コテで巻いていた。

めったに出会えないが、カットの達人にきってもらうと洗いっぱなしでタオルドライしただけでもスタイルが「決まる」。
最近だとヘアーサロン銀座マツナガの浅野茂喜さんに4年前にカットしてもらった時がそうだった。

って、ずーっとカレにお願いできればいいのだが何しろカレは東京(八重洲店)、こちらは名古屋なのでなかなか行けないのだ。

ああしかし、今の髪型(どっから見てもオバハンです。)を鏡で見ると明日にでも東京出張のスケジュールをムリにでも組みたくなる。

私に会っても気づかないフリをするか、思いっきり酷評するかどちらかにしてください。