「これは赤である。」という文の意味することには、
「黄色ではない、青ではない、白でもない・・・。」という意味が
続いてるようであるが、通常それは意識されないが、
フットした時に頭をよぎる程度の頻度がある。
「これは赤ではない。」といった場合はどうなんだろうか?
やはり「黄色ではない、青ではない、白でもない、黒でもない・・・。」と
果てしなく一つの正解を求め、続くのだろうか?
信号機の青色の場合はどうなんだろうか?
「これは青である。」に対し、
「黄色ではない、白ではない、黒でもない・・・。」と続き、
「緑でもあるじゃないの・・・緑だよこの色」そして文化の周縁性に
想いを巡らすのかな?
何を意味してるんだろうか?
ただの、否定だろうか? 打ち消しの働きのあとに続く、
意味の模索をあらわしてるんだろうか?
記憶、忘却、想起などの意識の働きは不思議だ。
隠れた意味
沈み込んだ意味
一つの文では一つの意味しか受け取れない。
多義的表現であっても、同時に多義的に意味を
汲みこめない意識のありよう。
記憶媒体=機械モデルは
同時に意味の現われの遅延を埋めてくれるのだろうか?
疑問は続く・・・。
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