moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

料理バトルの番組を見ていて

2005-03-22 | エッセー(雑文)
料理バトルの番組を見ていて
一昔前では、ゴールデンタイムには放映できる内容のもの
ではないなと思った。
料理の上手さを競うのではなく、女性タレントが下手さ加減を
競うバラエティになっているため、食材を無駄に扱う事を非難され、
番組として、成立しなかっただろう。
だが、現在は受け入れられてしまってるようだ。
それは、何故なんだろうか?
一つには、女性が料理をしなくなった事が原因かもしれない。
家庭ではお湯かけて3分、解凍しての食事か、外食で済ませる労働者としての女性は、
自ら料理する事なく、食材の良し悪しを見定める目が養われていない。
食材は栄養素の成分表に還元される価値観が優位をしめる教育のもとで、
妙に理系的頭でっかちの女性が増えた・・・。しかし、もとは戦争という、
食うものに事欠いた時代が遠因かもしれない。
明治大正生まれ方には、食材にたいする目利きが優れている方が多い気がするが、
昭和十年前後の方には実践的に、腹が膨れればいいという価値観が圧倒的なような気がする。
その結果、食事に関する概念はズレをおこし、すりかえられ、食事を作ることの軽視観が
蔓延したような気がする。
食事を作る、特に女性が家庭で作るという行為は大事な文化のような
気がするが・・・。なぜなら女性は生む性であるため、その生命の最初の
行為、食うことに携わらざる得ないからだ。
(直接関係はないが一読をお勧めするhttp://www.kgef.ac.jp/ksjc/kiyo/860050k.htm)
食事が大切なことは誰でもわかるだろうが、実践的知恵が欠けては、
その共同体を継続することは、かなわないのではないだろうか?
つまり、日本という国そのものの存亡にかかわるかもしれないw。
現内閣の方針の延長上に、アメリカに吸収合併された日本という州
があっても、なんら不思議ではない気がする。
昔、魚を食ってた日本人は頭が良かったが、肉を食うようになって馬鹿になった
・・・ということを聞いた当時は、そんな非科学的なと思っていたが、狂牛病の事を考えると、
まんざら嘘ともいえないような気がするこの頃である。(また外圧に負けて輸入再開かなw。)