飲み薬をやめました、コロナ騒動が原因です。病院に行かない理由になりました。
皆さん同じだと思うのですが、朝、トイレに行きます、大のほうです。私も同じですが、そのあと、多い時には朝の間に2回、下痢便のような症状が出て、トイレに駆け込むということが長年続いていました。
こんな体になってしまったのだと思い込んでいました。腸が悪いのだろうと思っていました。ところが、薬、病院から処方される薬です、を飲まなくなって気が付けば症状が消えていました。
飲み薬をやめたら別人のように元気になり、さらには下痢症状も消えました。下痢症状が長年の悩みでした。今の作業場もまだトイレがなく、催したら急いでバイクで海の家まで駆けこんでいました。
少し遠いところに出かけた時には大変、困っていました。ある程度、広い畑を借りていた時には農道を急いで海の家まで帰ってきてトイレに駆け込んでいました。無駄時間と必要以外のガソリンを消費していました。
それが嘘のように消えました、どの薬がそのような症状を引き起こすのかはわかりません。
あまりにも多い薬、随分、前から気になっていて医者にもそう伝えましたが、相手にしてくれません。そういう状態が7~8年も続いていた。
コロナ騒動がいいきっかけになりました。ありがたや!
種まき、丘の小屋に付属する家庭菜園にいくつか種まきしました。遅いとは思いましたが、インゲンの残りだねがあり撒いてみました。オクラを撒きました、昨年は土壌が悪く、まずいオクラをつくりました、今年はどうなんでしょうか?少しは土壌改良ができているようです。
土つくりの大切さをまさに実感した、年でした。農家の方、いい土を長年かかって作ってきたのに、手間を省くために化学肥料を多く施して、まずい野菜を作っています。
北朝鮮の肥料工場がちらっと見えました、私が在籍していた水俣の新日本チッソ肥料株式会社と同じですね。ただし、水俣工場は随分早い時期から化学肥料を作り始めていました。バーバー、ボッシュ法の特許を取得して。
日本最初の化学肥料の会社だったようです。
ハーバーを持ち出したのは、彼が有機リン農薬の開発者だからです。農薬として開発したのではなく、人殺しの化学兵器として開発したのが始まりです。
彼の思惑どうり「あばてんね、人間が、ごろいごろい、け死んじょっど」皆さん犠牲になった人の家族は当然、気が付いています。が、まだ元気な農家は全く気が付いていない。