次なる港は、、、。

おいらちょっくら行ってくる、、。

チョコレートフォンデュ

2006-12-17 10:22:02 | Weblog
先週の日曜日(10日日曜日)の港:ロンドン、訪問地:Putney, Bays Water

1週間さかのぼりますけど夜シェフのSさんがRと私をとてもステキなところに連れて行ってくださいました。しかも2人してたらふくご馳走になってしまいましてホントあたまが下がります。

ベイズウォータにある40年も営業しているオーストリアレストラン。Sさんはイギリスも長いですがその前にドイツに10年くらい住んでいて、ドイツに住んでいたころにロンドンに来たときに来たのが最初でもう30年くらい前からご用達だそうです。最近は相当頻繁に来ているそうで来る時は週3も来ることがあるらしい。

確かに入ったら相当常連らしく結構ビップな対応でした。



オーナーの「カウベルパフォーマンス」。オーナー、なかなかすごいミュージシャンですよ。オルガンを弾きまくり人々は踊り、カラオケし、こんなパフォーマンスもあり、アコーディオンプレイヤーもいたりととにかく居るだけで楽しいです。

日本人も見ませんでしたがイギリス人らしき人もおらず、Sさんの言うことにはお客さんの殆どはアメリカ人かヨーロッパ大陸の人。



左の特大グラスのビールは量は2パイントだそうですが、3パイントくらいありそうです。

前菜にSさんがエスカルゴを注文していまして、私は人生2度目のエスカルゴでした。Rはまったく食べたことが無く、Sさんや私が「1つ食べてみろ」と薦めてみましたが断固拒否。



私の食べたやつ。海老がたっぷり。真ん中にバターライスが入ってましてとーってもうまかった。



Rが食べたステーキのソースは黒胡椒の粒がそのまま入っていて私には辛かったんですが、胡椒好きのRは満足したようです。

ところでこの食事のきっかけは、先月の23日に2003年に昼間アルバイトしていた都心のレストランのランチに行って皆様にご挨拶し、Sさんにはいつものタバコと胃薬を届けたのですが、結婚したことを報告したら(マダム=オーナーにはその時注文した寿司ランチをお祝い代わりにタダにしていただいてしまいました!)ダンナを連れてきて食事に行こうと誘われたわけですが最初どうしたもんかと思いました。Sさんは50代の日本人男性で、ヨーロッパ長いけど、英語は話さないし、Rが日本人ならよいのですがそうではありませんし、散々Sさんに「日本人じゃないですよ。ジャマイカンですよ。大丈夫ですか?」と聞いてしまいましたがSさんが「全然大丈夫だよ。そりゃ俺英語わからないけどニュアンスで大体分かるんだから。それよりジャマイカンって何食べるんだ???」とか、「ダンナは音楽好きなの?」とか色々考えてくださったのですね。ホントよい人です。

Rに話したら最初OKと言ってたくせに行く前になったらなんだかんだ言って行きたがらなくてごねて大変でしたが、当日キャンセルは失礼だし、それじゃあ私が一人で行くと言えばそれはそれでぶつくさいうので、かなり説得してそれこそクビに縄をつけるみたいな状態で連れてきましたけどとても楽しかったみたいですよ。

Sさん英語が話せなくても平気で英単語を混ぜた日本語でRに話しかけるんですね。例えば「この店はラストオーダー、イレブンサーティーね、でもワンオクロークまで開いてるんだ。」とかそんな感じで。日本語は東北なまりですがさすがヨーロッパ在住長い国際派親父だなあと感心しちゃいました。

さて、デザートにいただいたチョコレートフォンヂュ。盛りだくさんのフルーツや砂糖菓子にちょっとビターなチョコレートでマジでうまかった。チョコがすごいおいしかったですね。

 

ところでこの日の昼は2003年に夜バイトしていた方の(2003年は沢山バイトを掛け持ちしてでも貧乏な辛い1年でした)レストランにも挨拶がてら食事に行って(ひとりで行ったのですが)ボリューム満点のとんかつランチを食べ、しかもオーナーのCさんがビールとぜんまいをサービスしてくれたのでお腹一杯でお腹痛いくらいでしたので、夜もこんなでホント食べすぎでした。ちなみにこのCさんもSさんのことを知っていて(97年に私がバイトしていた和食レストランにはCさんもSさんも働いていました。不思議な縁です)CさんがたまたまSさんの話をしだして「あいつの作る餃子がうまい」なんて話をしていたところでした。

Sさんの隠れ家かもしれないので詳細は書きませんでしたがヨーロッパムード満点な居心地のよい楽しいところで、おいしかったし楽しかったです。3人で相当飲み食いしたし結構高かったんだろうなあ・・・。またお礼に免税でタバコ買ってこようかと思います(でも年末年始は日本に帰るみたいだから調達してくるだろうけど)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バドミントンとなつかしのインペリアルホテルと両替その2

2006-12-17 08:16:26 | Weblog
というか、もうバドミントンも両替もおわったので、なつかしのインペリアルホテルだけが残りですね。大したことじゃないんですが、

Elephant&Castelから都心に行くバス停にたまたま来たRussell Square行きのバス(確か188)に乗ったんですが、まあ途中で都心を通るだろうから適当なところで降りてピカデリーに行こうと思ってたんですけどバスがなじみのある道の横の道を通ってしまったので「はて?そろそろかな?」と思ったときにはHolbornを通り越してあっという間にRussell Squareに着いちゃって終点だったのでドライバーに「この辺からPiccadilly Cercusにいくバスある?」って聞いたら、「わかんないなあ。もしかしたら7番がいくかな?ちょっと待ってて」と言われ、彼がバス内を点検するのを車内で待っていました。そんでもってまた運転席の戻り、少し走ってから7番の横に着け、「Piccadilly Cercus行く?」7番のドライバー「行かないよ。」188番のドライバー「何番が行くか知ってる?」7番「知らない」そのままちょっと先まで走り、新たに乗客を乗せ、バス停にいる黒人のおばさんに「Piccadilly Cercusか、その辺の周辺に行くバス知らない?」と聞いてくれ、おばさんが「確か91がTrafalgar Squereに行くんじゃなかったかな。」と言ったら次のバス停で「ここで降りて91番に乗りなさい。」と言って去っていきました。親切でした。

さて、バス停でバスを待ちつつなんだか非常に久しぶりにみる「ロンドン」を感じていました。というのはRussell Square周辺はホテルだらけ。お土産やみたいなのもあって、歩いている人たちも観光客っぽい人たちが多く、初めて旅行で来たときのロンドンを思い出しました。

初めてロンドンに来たのは大学2年の時だったんですけど、Russell Square周辺に宿泊したことを思い出したわけです。でなんとなくあたりを見回していたら同じ道の数メートル離れた建物に書かれているオレンジの「Hotel」という文字が気になりまして、なんとなくそちらに引き寄せられるように歩いていたら近くまで来てその建物の脇に赤っぽい看板があったんですけど「Imperial Hotel」って書いてあるのを見てまさにここが初めて来たロンドンで初めて泊まったホテルだったことに気がつきました。

大学2年のときにAという競馬の友とロンドン旅行を計画していましたが、彼女は短大の方の生徒だったので、2年の終わりってちょっと忙しかったみたいで2週間前くらいに行かれなくなったと言われて、急きょバイトでよく話すようになったMさんという2つ年上の女性を誘ったわけです。そんなに親しかったわけでもないのに微妙に波長が合う気がして誘ったのですが、そう考えると誘った私もすごいと思いますが1日だけ考えるといって翌日OKしてくれたMさんはまたすごいなと思います。これがきっかけで彼女とはこの後留学するまでの5年の間にサンフランシスコ、アメリカ+ヨーロッパなど一緒に旅することになるのですが、今は連絡が途絶えてしまって・・・どうしているでしょう・・・。

旅行期間は2週間でなるべくコストを抑えるために「格安航空券」のお店を調べていきまして、アエロフロートなんか乗っちゃいました。一番安い11月頃だったと思うんですけど当時12万円くらいでしたがこれでも格安でした。そう考えると今BAとかでも6万円くらいで乗れてしまうんですから信じられないですね。

ちなみにアエロフロートはきつかったですねえ。特にお食事がひどかった。私はこの飛行機がきっかけでその後何年もの間機内食のメインはまったく食べる気がしなくて上にかぶさっているアルミを開けてみることさえしませんでした。だからいつも飛行機に乗るときサンドイッチとかおにぎりとか自分で食べ物を持って乗ってました。何年か前にたまたま日本食が出てそれで食べたら意外とイケたので、それから食べるようになりましたけど、やっぱり匂いがきついですよね。防腐剤かなあと思うのですが独特の匂いがします。モスクワの空港も今はどうだか知りませんけど当時はすごかったですよ。あちこち壊されていて。

そうそう、それでその旅行のときに宿は安いB&Bを探すつもりだったので宿は全然予約していなかったのですが、大学の教授のN先生(若い女性)から「Sちゃんそれ無謀だよ。最初の1泊か2泊くらいはとっていったほうがいいよ。どこでもいいなら私が適当なところ予約してあげようか。」と言ってとってくださったホテルです。

このホテルの思い出はまず「火事騒動」。到着したその日、2人とも風呂入って荷物広げてタバコとか吸ってすっかりくつろいでいましたら、警報機が鳴り捲り、最初は「なんだろね。」とか言いながらそのままくつろいでいたんですけど、ずーっと鳴っているので廊下に出てみたらみんな下に出てきてて下に下りていくんですね。通りがかりでたまたま私達を見た女性が「Fire! Come on!」とか言うので慌てて着替えて荷物を詰めなおし重たいスーツケースを引きずって階段を下りてロビーに行きました。それこそロビーは宿泊客でごった返していましたがやはり誤動作でして、しばらくしてみんな部屋に戻りました。私達はスーツケースが重いのでエレベーター(ちなみにU.Kではエレベーターではなくリフトと言います)が動くまで待って部屋に戻りましたが、慌てて寝巻きや上半身裸で出てきてしまってさらにロックされてしまって部屋に戻れなくて困っている人とかもいて大騒ぎでしたね。もう1つの思い出はホテルのラウンジで酒を飲みつつ(大学2年の時・・・私の誕生日は7月ですのでちゃんと20歳になってましたよ)イギリス人の親父とつたない英語で一生懸命話をしたことです。ロンドンを旅行して初めて「もしかして日本人って嫌われてる?」っていう体験を何度かしたので何かのきっかけで話をしはじめたその親父(地方から仕事でロンドンに来て泊まっていたそう)に聞いてみたんです。実際親父の答えは「嫌いな人もいる。」という返事でした。理由は、年いったひとは「戦争絡み」若い人からは「お金持ちで買い物ばかりしていて鼻持ちならない。」という印象てな感じでしたかね。

あまりにも懐かしかったのでフロントに行って、バスのことなど聞いて、地図までまでもらい、ついでにトイレも借りて写真まで撮っちゃいました。観光客と思ったかな~なんて思ってみたんですが、かばんに刺さっているバドミントンのラケットを見て「これがあるからそうは思わないかな」と思いつつ、91番でトラファルガーへ。歩いてピカデリーに行って、醤油とパン粉を買って、クラッパムにで買い物して帰りました。家に着いたら10時くらいで随分長いことバスでうろうろしたんだなあ、と感心してしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする