4月5日6日の週末に書いて草稿中になっていたものを少し削ってアップしました。
今日の港:ロンドン
土曜日、Rが珍しく「君の好きそうなところに連れて行こう」っていうんで行ってみたらFulhamにあるスパニッシュレストランでした。
お食事もおいしく、なかなか安く、しかもめずらしくRがご馳走してくれて、旦那が特別やさしいと、なんか後ろめたいことでもあるのかな?とかんぐりたくもならなくもないですが、まあいいか。
さてさて、そこはとてもよいところでした。食べ物の写真も撮ったんですが、携帯でとって、つなぐケーブルもなければEメールも使えていないので、いつか写真をアップします。
ところで、楽しかったのは隣のテーブルに座った女性二人がすごいフレンドリーでいい感じで合流してきたわけなんです。最初はメニューのこれがおいしいよとかそんな感じで話しかけてきたのですが、Rが旅行の話をふったら、話が弾み始めまして。
私の横にいた女性はカナダ人。モントリオールの出身だそうで、その向かい、Rの隣に座っていた女性はニュージーランド人でした。2人ともとてもフレンドリーだったんですが、カナダ人の女性がよくしゃべるしゃべる。
カナダ人の彼女は中東にも5年すんでたことがあったらしく、40度というそうとう暑い気候で、彼女の出身のモントリオールはマイナス40度とかもあるらしいので、そのギャップに驚いておりました。また、90年代では韓国に1年住み、仕事をしたらしいのですが、大きなプロジェクトをまかされていったそうで、しかし韓国は女性や年下の人がチームの上に立つのを本当に嫌がる文化で大変だったそうです。日本もまだ男性が強めの社会ですし、90年代の韓国っていえば大変だっただろうなと少し想像がつきますが、彼女が言うには「日本はきっと、もっとフレキシブルで、いくら男性が強めといえども、女性でもその分野での経験や知識が豊富だったらある程度認めて仕事を任せてくれるだろうが、韓国では女性というだけで非常に嫌がるんで随分大変だった。年齢もチームのなかで若い方だったので、明かさなかった。」てな話だったのですが・・・。
ニュージーランド人の彼女のほうは、カナダ人の彼女があまりにも私たちに話しかけるので、こっちが嫌な思いをしていないかすごく気にしていたのですが、私は正直なかなか楽しかった。しかも、ニュージーランド人の彼女のほうは時々英語がわからなかったのですが、カナダ人の人のほうはすべて理解できました。
不思議だなあと思っていたら、カナダ人の彼女がRに向かって話している時は時々理解できない。
ああ、この人酔っ払って話しているように見えるのに、私の英語力を見抜いて、私に話すときには少しゆっくりしゃべっている・・・それに単語や表現のむずかしいものは使わないように話しているんだ・・・と思ったらその切り替えの速さと自然さや、どの辺のレベルまで私が理解できるのかをきちんと把握できる判断の正確さに、やっぱり頭のいい人なんだなあと感じて感心してしまいました。
ところで、先週の金曜日にNさんとNさんが通う教会の行事に行ったときも、そのテーブルに座ったイギリス人、ニュージーランド人の女性の2人とも、Nさん、私、もう一人韓国人の男の子がいたのですが、うまく私たちと会話していたのを思い出すと、きっとこの人たちもこういう外国人とまみれる環境に慣れていたんだなと思い出します。
それから私の勤め先は日本の会社ですが、もちろん日本人ばかりではありません。でも会社の人たちの英語も比較的分かりやすいので、やはり彼らが日本人に慣れているからなんだろうと思いました。
以前Rの友達のパーティーに行ったときや、Gさんの旦那さんの誕生日会に行ったときなど、周りの人と話をすると、正直よく理解できないことが多く、そうなると、私も人と会話をするのを少し避けてしまいます。
そんなわけで、やはり今までも大体仲良くなるのは、日本人か、外国人(ネイティブではない人たち)だったかもしれません。
なのでネイティブの人と会話がはずむというのはあまりないことなんですが、留学時代を通してネイティブの人との関係を振り返るときに、ごくたまに話が弾んだり、仲良くなったりした人がいたんですが、そういう人たちは、やはり海外に住んでいる経験があったり、外国人と積極的に接する姿勢ができている人たちだったなあと今思います。
ところで、話はそれますが、教会の集まりと言うのはやはりキリスト教のあつまりみたいなものだったので、イエスキリストの話題とかで話し合ったりするんでね、私自身、キリスト教ではないですし、キリスト教の教えとかもよくわかっていなかったので、「私こんなところにいていいんか?」と思ったんですが、まあ分かったふりはせず、「実はNさんにくっついてきたばかりなのであまりよくわかりません。」と言ったら随分親切にわかりやすく、かなり大雑把にキリスト教のコンセプトを話してくれました。
で、私が持っている、いわゆる神様や死後の世界の概念って言うのはいかに仏教的だったかを感じましたね。キリスト教には生まれ変わりのコンセプトはありません、これはすごい仏教的な考えだったと思いました。まあ仏教的と言うか、神教についてはよく知らないのでなんともいえないのですが、とにかく宗教の違いと言うより文化の違いなんだろうと思いました。そのキリスト教の人たちも、「特に教会に行ったり、信仰の厚い人じゃなくても、この国の人ならある程度キリスト教のコンセプトを理解しているから、やっぱり育った文化が違うってことなんだろうね。」と言ってましたから。
ベルギーのブログを2つ書きました。
初日
http://blog.goo.ne.jp/motohashi30/e/2a2a7622224275e4e724a0a90ec21db2
2日目
http://blog.goo.ne.jp/motohashi30/e/9eec02b0148be092d1fa06ff23041550
日曜日はは中学の友人Sちゃんが日本から電話をくれました。彼女はイギリス人と結婚して子供がいますが、三鷹の実家にに住んでいます。私の実家から徒歩5分くらいのところ。ハナマサがなくなって不便だねととかいう超地元の話(うちの母は米を通販にした)から、イギリスと日本とどちらが住みやすいかという話にまでいたって長々話をしておりました。結果、若い間は日本が住みやすい(こちらに比べれば税金が安いし、物価も安いしなどなど)が、老後はイギリスの方が住みやすいかも(医療が無料、失業保険など、ベネフィットが充実しているほか)てなことでお話は終わりましたが。
それから、5年前にロンドンでランチタイムのバイトで一緒だったM子ちゃんが、再びロンドンに来たので、Winbledonで彼女の携帯購入につきあい、お茶して家に来てもらいました。色んな話をしましたが、やはり年金とかそういう話にもなり・・・、私もつい最近まであまり将来のことを考えていませんでしたが、だんだん先が見えてきたのでせめて歳とって路頭に迷わないように少し対策を考えなくてはと今更ながらに思う今日この頃でした。