水俣病の現在

2006年はチッソ付属病院から水俣保健所に「奇病」発見の公式通知から50年。水俣病公式確認から50年です。

水俣湾はどう変わったか(地図)

2006年08月09日 | 水俣病
チッソ水俣工場から百間放水路を通って水俣湾に堆積したメチル水銀は100トン、メチル水銀を含むヘドロ層の厚さは4mもあった。1977年に水俣湾の埋立開始。1990年に埋立が終了した。
総費用485億円のうち,チッソが306億円を負担し,残りは熊本県と国の公費が投じられた。メチル水銀に汚染された水俣湾は、58haの広大な公園に作り替えられた。

1974年の地形図


1991年の地形図(水俣湾埋立終了後)


チッソは1958年には百間水路つまり水俣湾への排水をやめた。ヘドロがたまり、排水が難しくなったためである。水俣病の原因が工場排水にあるとの認識もあった。
新しい排水先は、八幡プール経由、水俣川河口であった。八幡プールで廃液に沈殿処理を施したが,しかし排水中には,メチル水銀が含まれていた。このため,水俣病が不知火湾全体に広がった。
1968年、チッソはアセトアルデヒドの製造をやめた。メチル水銀の排出も止まった。しかし、水俣川河口に工場排水を流した11年間に水俣病患者が不知火海沿岸全体に広がった。ただし、不知火海沿岸の水俣病患者の多くは、公式の水俣病とは認定されていない。
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水俣市、水俣湾、不知火海の位置は下の地図のとおりである。






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1 コメント

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絵本掲載へのお願い (三枝三七子)
2011-07-30 16:33:52
初めまして。いきなりここですみません。
どちらに連絡をしたらよいのかわからず、描きこませていただくことにしました。
私は子供にわかるように「みなまたの木」という絵本を今年の九月に水俣病のことを書いた絵本を出版します。そこの巻末に、水俣病資料館からの豆年表を転載させていただくのですが、埋め立て前と埋め立て後の地図をここから資料として使わせていただいてもよろしいでしょうか?
手書きの地図ですので多少誤差は出ますが、ここから資料として使わせていただいたということを記載しなくてはいけないのです。

どうか、ご了承ください。

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mieda_37co@yahoo.co.jp